メドレーガールズ
「お父さん、転勤することになったんだ」
望は三年前の今頃がフラッシュバックした。四人がこうして揃うといつもこうだ。母は予め知っていた顔、弟は自分と同じ驚きよう、それも同じだ。このシーンだけが印象に残っているので、望の中では暗示にかかったように記憶が甦ってしまう。
「そう慌てないでよ。単身赴任とか、望だけ残るという選択肢もあるんだ。望も中3だし、大切な時期だからね……、今回はゆっくり考えて欲しい」
望は弟と顔を見合わせた。経験上転勤と言えば即引っ越し、転校だったのが今回は時間があるようだ。
「転勤っていつ?それでどこ?」睦が質問をした。父はいつものように誇張なく、決定事項を述べた。
「時期は八月、赴任先はタイなんだ」
予想の枠を越えた答えに姉弟は並んで目を丸くした。今まで日本国内をあちこち引っ越してきたが、外国だとは思わなかった。
「お姉ちゃん、タイってどこ?」
睦が望の袖を引っ張る。
「知らないの?ちょっと待ってよ」望は父が見ているタブレットを借りて、慣れた手つきでタイに関するサイトにアクセスした。
「タイ王国、首都バンコク、日本から飛行機で約6時間……」
睦はサイトの情報を読み上げ地図をタップすると、東南アジアの地図が映し出された。
「ここにお父さんの会社の工場があるんだ」
「すげえ」弟は無邪気に喜んでいるが、望は喜べなかった。それと同時に水泳部の仲間との思い出があれもこれもと頭の中を駆け巡った――。
一同の沈黙を風呂からのアラームが破る。
「お父さん、お風呂どうします?明日も早いんでしょ?」
父は「ああ」とだけ答えて最後の一杯を飲み干した「ムーも一緒に入るか?」
二人は仲良く部屋から出ていくと、リビングには望と母だけになった。
「ねえ、お母さん。何でタイなの?」
望はタブレットを適当にタップしながら母に問い掛ける。
「そうね――。海外はビックリしたわ」父の転勤に慣れている母は、そう言いながら手際よく望の食事を片付けて、望のグラスにお茶を継ぎ足した。
「時間はあるわ。望が一番いいと思う選択をしなさい。お友達もできたんだし、極力あなたに合わせるから」
「うん……」
望は小さく返事をして二階の部屋に上がった。いつものように表情を変えなかったが、今日から大会の日までの計画に影響が出るのは必至だ。つい数時間前まで、チームメイトの帆那を心配していたが、まさか自分も黄信号になるとは思ってもいなかった――。