メドレーガールズ
「それでは、女子400メートルメドレーリレーの選手入場します」
手拍子とともにレーン順に会場に入る。私たち浦風中は聖橋学院、北原中に続いて6番目だ。純白の背中に背負った「一蓮托生」は浦風中水泳部に関わる人みんなの希望を背負っている。この場に立てたことが嬉しい、いやいや、ここで喜んじゃいけない。私ははやる気持ちを抑えながら気持ちを落ち着かせようと会場のあちこちを見回した。
「第6コース、浦風中学」
全てのチームの名前が読み上げられた、全部で8チーム、しかし実力的には4,5,6コース三校の勝負だ。開始直前の緊張の瞬間、準備に入る他の学校を横目に私たちは予定通り{円陣}{ハドル}を組んでお互いの顔を見つめ合った。そしてのんたんが大きく息を吸い込んだ。
「みんな一緒だよ!」 オーッ!
「てっぺん獲ったるで!」 オーッ!
「みんなカワイイよ!」オーッ!
「浦中ガールズ!」
「We're number one!」
この時会場が一つになった。それを示すかのように、会場から手を叩く音が聞こえたかと思うと、その音は二倍四倍と増え、最後は会場全体を包み込む大きな拍手になった。横のレーンにいる相手チームさえもこちらを見ていた。試合は始まっていないのに、私はこの音の渦の中で感極まってしまいそうだ。
「第一泳者、用意」
のんたんは私に眼鏡を託し、それから一人一人と抱き合ってから送り出されると、堂々とした足取りで入水した。スタートするまでの間、残った三人は手を繋いで先頭泳者の出陣を見守る。一番緊張する瞬間、テンションが最高に上がる、時間の流れが止まる。スタート音が鳴ると同時に止まっていた時間が急に動き出すのだ。
「用意」
会場の音がピタリと止んだ。時間も止まった。まだ出番でない私たちも大きく息を吸い込む。前を見るとスタート台に頭を寄せるのんたんの表情が変わった。
ビッ!
戦いの火蓋は切り下ろされた。同時に周囲の歓声が聞こえ出した。
優勝候補の北原、聖橋、そして我ら浦風、三人とも水から上がってこない。得意の潜水スタートで距離を稼ぐ。
「やった、来たよ!」真由が叫ぶ先を見た。最初の奇跡が起こった。開始15メートルちょうどのライン、のんたんが一番に浮き上がって来た。個人戦1位の聖橋・天野さんをもわずかに抑えトップで折り返した。
「帆那、焦らなくていいからね」
律っちゃんと真由が私の両肩をポンと叩いてくれた。前泳者がターンをすると次の泳者は準備に入るのだ。
残り25メートル、個人戦3位だったのんたんがなんと一着で戻って来そうなのだ。ここ一番にポイントを絞る勝負強さ、私もこの勢いを継いで次に繋げたい。私は徐々に近づいて来るのんたんを見て肺に出来るだけ多くの空気を取り込み始めた。
のんたんの顔が真下に見えた。飛び込むタイミングだ。足が離れていなければ前泳者がゴールする前に動き出すのは反則にならない。コンマ1秒でも速くリレーする、何度も何度も、それが当たり前になるまで練習してきた。私はのんたんの手がタッチしたのを確認して、渾身の力を入れて飛び込み台を蹴った。
試合の時でも特別なことは考えず、フォーム、ストローク、ターン。基本を思い出すと不思議と周囲が静かになった。周りの声援すら気にならない。トライアルの時と同じだ。横の影も気にならない、ただ違うのは前方に「浦中のエース」である真由が待っている。
それから私は50メートルのストローク数を心の中で逆に数えた。
6,5,4,3……
最後の一回になると私は大きく頭を水面から出して真由にサインして、残ったすべての力を両腕に集めてゴールを衝いた。
「どうだった?」
私はのんたんに引き上げられてすぐに後ろを振り返った。真由はもう25メートル辺りだ、前を泳ぐ二校のすぐ後ろを泳いでいるのを見て急に体の力が抜けて行くのを感じた。
「帆那。大丈夫、大丈夫だよ」のんたんは私を抱き締めてくれた「真由ならやってくれる」
どうやら私はのんたんが保ったリードを譲ってしまったみたいだ。それでも二人は目付きが変わっていない。
「速かった。予想通りの展開だから気にしないで」
二人の言葉に嘘も飾りもない。私はベストを尽くした。それは分かってもらえている、負い目を感じては駄目だ、胸を張れ帆那!試合はまだ続いている、感傷に浸る暇はないのだ……、私はそう自分に言い聞かせて両腕を広げてどんどん離れて行く真由をありったけの声で押した。
真由は50メートルを泳ぎきり、素早くターンした。遠くてはっきり確認できないが、浦風、北原、聖橋の三校はほとんど同じタイミングだ。第三泳者のターン、それはいよいよアンカーが準備に入る時間になったことを意味する。
「後はお願いね――」私は律っちゃんに抱きついて、僅かに残った力を分け与えた。
「任せな」力強い、男前な返事が返って来た。
「信じてる――、律っちゃん」
続いてのんたんと抱擁すると、浦風中学のキャプテンは堂々と飛び込み台に歩み出した。残り25メートル、真由は聖橋の波多野さんにリードを許し始めた。それでも必死に食らい付いている。
律っちゃんは台に上がり、背を向ける前に私たちに親指を立て笑顔を見せた。その姿は浦中水泳部のすべてを背負ったキャプテンのそれだ。私はこの頼もしい幼馴染みに何度も救われた、そしてすべてを託しても後悔しない、そう思った。飛び込む体勢を整えた後ろ姿を見て、今出来るすべての気持ちを律っちゃんに送った。
勝って!
あなたのため、チームのため、そして私たちを応援してくれるすべての人のために――。