メドレーガールズ
真由は自宅に向けて電車でひと駅の距離を自転車で帰っていた。今日はいつもより距離を泳いでいないのにペダルを漕ぐ脚が重い。
勝てなきゃ水泳辞める
思っている事いない事、言うのは自由であるが口に出す事で責任がついて回る。思っている事を声に出して言ってしまった。後悔がないと言えば嘘になる上、今の真由には自信がない。しかし、仲間と心中しても惜しくないのは本当だ。
「お姉ちゃん、フラフラしてたら危ないよ」
横で妹の真美が姉のふらついた自転車を見て注意するが、真由の耳には入らない。そんな暗い道で対向からゆっくりと近付く自転車のライトを見てふと我に帰った。縁のある眼鏡に涼しい色のワンピースを着た望だ。この時間に外にいるということは塾の帰り道だろう。
「おーい、のんたん」
真由が先に声をかけると、望は声の主が真由とわかり返事をした。
「あらぁ、真由」
望は自転車を止めた。こないだ転校をするという告白をしたが、日頃の業務はいつもと同じようにこなしている。切り替え上手な望の性格にはいつも感心する。彼女が困ることってあるのだろうかと真由には思える程だ。
「真美、私はのんたんに話すことあるから先に帰っててよ」
「へーい」真美は姉に向かって小さく手を挙げた「先輩、失礼します」
真美はハキハキとした声で挨拶をして、真っ直ぐ通りを走って行った。
「なあに、話って?」
二人は家路の途中にある公園に立ち寄り、並んでブランコに乗った。周りには誰もいない。普段よりも真剣な顔をしている真由の顔を見て望は笑顔を消すと、公園が静かになって蛾の羽音が聞こえてきた。
「私ね、今度負けたら水泳辞めようって思うんだ……」
望みはそのままの表情で真由を見つめた。驚きも動揺もない。
「真由はスゴく本気なんだね」望の目に映る真由は何かに燃えている。さっきまで濡れていた短い髪がもう乾いている
「でもさ、そんな思い詰めなくても……」
望が話しかけようとしたと同時に、鞄から着信音が鳴り、二人の話を遮った。
「もしもし、どうしたの?ムー」
望は電話にでた、かけたのは弟の睦だ。普段なら帰ってきている時間になっても帰って来ないので連絡をよこしたようだ。
「帰り道に友達とばったり会って、ちょっと寄り道。ちょっと待ってね」
望は携帯を素早く操作してテレビ電話に切り替えると、そのカメラをずらして真由に当てた。
「あっ、ムーちゃんだ」真由は緊張が解け、画面の睦に手を振ると睦もかわいらしい笑顔を見せた
「早く帰っておいでってお母さんが」
「うん、もうすぐ帰るよ。大丈夫だから」
望が電話を切った。その自然な仕草を見た真由は自分の事を一方的に言っていることに気付き、
さっきまで高ぶっていた気持ちが落ち着き始めて行くのを感じた。
「そういやのんたんも大変な時期なんだよね」
真由は立ち漕ぎを始めた。長身の真由が起こす振り子はすぐさま大振りになった。
「私はいいよ、全然」
望も同じように漕ぎ出した。同じ振れ幅だと二人はいつまでも真横にいる。
「目標を作ってそこに突っ走るのは、好きだよ」望の変わらない表情に真由は不思議と安心した「私は勝っても負けても次で最後だから、今までのすべてをリレーに出したい。だから個人も100しか出ない」
真由はブランコを止め、前へ後ろへ振り子になった望の横顔を見つめた。気持ちが揺れているのは自分だけでなく望も同じだ。お互いが揺れていればお互いにわからない。でも、片方が止まって見ればもう片方が揺れているのが見える。真由はその動きを見て、仲間がいることの大切さがわかった気がした。
「じゃあ私は真由を勝たせてあげなきゃ」
望は元気よくブランコから飛び降りて真由の方を振り返った。
「真由には続けて欲しいから、水泳」望はニコッと笑った「だから、真由は思いっきり泳いでね。思い詰めるのも少しは必要だけど、真由は考え事しない方が伸びるんだから」浦中水泳部の頭脳は浦中のエースに最高のアドバイスをした。
「――ありがとう、のんたん」
真由はゆっくりとブランコから降りると、無意識に望の手を取っていた。
クラブチームにはない「信頼と結束」。真由は本当の意味で、仲間のために泳ぐことの意味がわかった。ライバルを破りたい、自分の実績を残したい、そんなことでなくただ単純に
勝ちたい、最高の仲間たちのために
と感じた真由の目は潤んでいた――。