メドレーガールズ
望の決断
「律っちゃーん」
夕食後、私はいつもの指定席から律っちゃんを呼んだ。夏至も近付きすっかり陽も長くなり、まだ周囲が明るい。一つのハードルを越えた私達は本番に備えて自主練は続けているが、いつまでも沈まない陽に時間的な余裕と解放感がある。
「今日はのんたん部活に来なかったけど大丈夫かな?」
「うん、体育の授業も休んでた。元気無さそうだった」
普段の体調まできっちり管理してそうなのんたんだけに私達は心配していた。今日は火曜日、この時間になるとのんたんは自転車で家の前を通る筈なのに今日はその姿が見えない。
「トライアルで体力使いすぎたかな?」
「かもねー、もしそうだったら2、3日で元気なるよ。今までの特練で疲れたんだよ、きっと」
私と律っちゃんは笑い合った。
元気のないのんたん。私達はその原因が体調が悪いとか、からだの問題ではなかったということはこの時全く知らなかった――。
* * *
「ムー、いる?」
望は弟の睦の部屋をノックした。
「いるよー」
部屋に入ると睦は携帯ゲーム機とにらめっこしていた。弟がするゲームはパズルや謎解きものが多いので、部屋が静かで普段もいるのか遊びに行ったのかわからない程だ。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「ええ、いつもの偏頭痛だから……」
望は頭に冷却シートを貼っている。知恵熱持ちなので、許容範囲を越えると頭痛になることがしばしばある。選考トライアルを終えて、嫌でも我が家のこれからについて考えなければいけない時間が増えたのがその原因だ。
睦は姉の額を見てそう言ったのだが、彼も姉が頭を痛めている原因がわかっている。
「ムーはどうするの?」
睦はゲームをする手を止めて姉の顔を見た。何でも素早く計算して、いつも的確な判断をする望が迷っている。珍しく自分に意見を求めていることに不思議に思った。「どうする?」と聞かれただけでその内容は5年生の頭でもわかる。
「僕はみんな一緒にタイに行きたいな」
「そう――」望は額に手を当てた「ムーは私だけ日本に残ったらどう?」
睦はゲーム機を閉じた。
「難しいなぁ。お姉ちゃんは受験でしょ?僕が中3だったら迷うよな。僕にはお姉ちゃんに一緒に来てとも言えないよ、来て欲しいけど」
「だよねぇ……」
望に与えられた選択肢は大きく三つ。一つは家族みんなでタイへ引っ越すこと、今まで自分が決めなくてもずっと採られてきた選択だ。もう一つは父の単身赴任、今までと違って、家があるので父だけがタイへ行く方法もありだ。そして最後、望だけが日本に残る。父の実家がすぐ近くにあるので住む環境には問題ない。
望は中学三年生、部活の次は受験勉強に真剣に取り組もうと思っていたところだ。尊敬している父とは離れたくないし、同じ様に将来は大学に行ってエンジニアになりたい望にとって、大切な時期に海外に住むことはプラスになるのかマイナスなのかわからない。確かに日本に残って、気の合う仲間たちとこれからの学生生活をエンジョイする方が無難に楽しい気もする、というより楽しいに違いない。
本当は自分じゃなくて決めて欲しかった。両親は自分が大人になりかけている事を見越して決断を任せてくれたのはよく分かるし、感謝してもいいくらいだ。だが14歳の少女には重い選択だった――。
「ごめんね、邪魔して……」
望は弟にそう言って部屋に戻った。机に座ってノートをめくり、三つの選択が書かれたところで手を止めた。
「ムーは決めてたなぁ……」
弟は転校する覚悟を決めている、望自身も父を一人外国に行かせるのはどうしても出来なかった。ノートにある選択のひとつを納得しながら消した、残る選択は二つだ。タイに行くか、自分だけ残るか――。
思えばずっと考えている。部活や塾の間は忘れられるが、一人になった時を待ってたかのようにそれは襲ってくる。
それから望は机のタブレットを弾いてタイの情報を見る、それも手につかず水泳、海外移住、高校受験、帰国子女……とサイトを徒然にサーフィンした。結局どれも望の胸に響くものはなく、ベッドに転がって眼鏡を置いて天井を見つめた。タブレットからはお気に入りの音楽が流れてきた。