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後宮艶夜*ロマンス~皇帝と貴妃~【後編】

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 凜鈴が一礼して去ってゆく。また一陣の風が吹き抜けて、牡丹の葉上に乗った水晶のような雫が震えた。小さな雫が陽光を眩しく弾いて煌めく様は、本物の水晶のようだ。
「綺麗」
 もっと近くで眺めたいと思い、重い身体をよっこらしょと持ち上げた。ゆっくりと気を付けながら四阿から出て、牡丹の群れへと近づいていく。どうも、お腹が大きくなりすぎて、身体がすっかり重くなってしまった。
 自分で自分の身体が思うように動かせないのは不自由だとつくづく知った。溜息をついた時、前に身体が大きくつんのめった。足許がよく見えない状態なので、石に躓いたらしい。
「おい、危ないだろうが」
 咄嗟に誰かが背後から抱き止めてくれたから、転ばずには済んだ。妊娠初期に転ぶと流産、後期の今は早産になるから気を付けろと宮廷医からはくどいほど言い聞かされている。
 何でも、国の祭祀を司る大神殿の神官が数日前に今年の国運を占ったところ、今年一番の慶事として、?皇太子殿下のご誕生?と卦が出たという。その行事は国の一大儀式として毎年、この時期に大々的に執り行われるもので、神殿には皇帝自ら臨席するという格式のあるものだ。
 芳華は正直、あまり迷信深い方ではなく、その占いとやらも半分は信じていない。しかし、?皇子誕生?と耳にした宰相の父や他の重臣たちはそれはもう色めき立ち、父文昭は宮廷の専属医に
―何が何でも貴妃さまのご出産を無事に終えるように。
 と、厳命を下した。そのせいで、侍医が余計に口うるさくなり、芳華にとっては傍迷惑極まりない。
―男の子でも女の子でも良いから、元気に生まれてくるのよ。
 そのときも、語りかけて膨らんだ腹を触ると、中から赤児が呼応するかのようにポンポンと腹を蹴ってきた。
 誰かが抱き止めてくれたお陰で、大切な赤ちゃんを守れた。芳華は振り向かずとも、それが誰かはすぐに判った。大体、こんな喋り方をするのは一人くらいしかいない。
「ありがとうございます、陛下」
 芳華が跪こうとすると、法明がすかさず言った。
「礼は良い。そんなでかい腹でひざまずけるものか。また転んだら、どうする」
 芳華はつま先立つようにして法明を見上げた。と、久しぶりに見る法明は見る間に顔を紅くした。
「な、何だ。俺の顔に何かついているか?」
「いえ、言葉遣いがいつもと違うといいますか、元に戻ったような気がしましたもので」
 今日も法明は皇帝の盛装をしていて、どこから見ても威厳のある美々しい姿だ。それで砕けた言葉で話すものだから、どうにも違和感が先に立ちすぎる。
 法明が肩を竦めた。
「お前の前で皇帝らしくふるまうのは止めた。俺はこれが地だからな。窮屈な言葉を使うのは、どうも性に合わんらしい。せめて一人くらいは、素の自分を出せる相手がいても良いだろう」
「はあ」
 どう応えたら良いものか判らず、とりあえず相槌を打つ。しかし、芳華にとっても、実はこの方が法明らしくて良いと思う。皇帝に戻ってからの彼は言葉遣いもまったく違うし、まるで別人のようだった。
 その時、ふと、考えるよりも先に言葉が出てしまったのは、やはり凜鈴の話が心に掛かっていたからだろうか。
「陛下、新しいお妃をお迎えになるのですか?」
 法明が切れ長の双眸を見開いた。
「それは、どういうことだ?」
「いえ、何でもありません」
 芳華は漸く、自分がどれだけみっともない問いをしてしまったかを悟った。後宮の妃たるもの、たとえ他の女が乗り込んで―もとい入ってきても、見苦しく騒いだりしないのがたしなみではないか。
 が、法明はそのまま放っておいてはくれなかった。
「おい、そこまで言っといて、途中止めはないだろうが。ちゃんと最後まで俺にも判るように話せよ」
 芳華は仕方なく、話を続けた。?将軍の次女玉蘭が近々、後宮に入る予定だという噂が後宮にひろまっている話だ。
 法明は黙って聞いていたが、おもむろに芳華を見た。
「お前はどう思う? 芳華」
 それをこの自分に訊くのか、この男は。
 思わず皇帝陛下に対するには不敬すぎる言葉が出そうになるが、そこはグッと堪えた。
「それは―結構なことではありませんか」
 ありきたりというか、後宮の妃としては模範的な回答ができたと我ながら思ったのに、法明は面白くなさそうな顔だ。
「結構なこと?」
 問い返すのに、芳華は頷く。
「?将軍は国の軍隊を掌握している方です。たとえ陛下がこの国の最高権力をお持ちだとしても、やはり軍部は重要です。それを動かす力を持つ?将軍のご息女を娶られるというのは即ち、軍部を味方につけたも同然。陛下のこれより先の御世に大いに役立ちましょう」
 法明はこれ見よがしな溜息をついた。
「あー、お前って、本当に面白くない女だな。そんなことは判りきってるさ。俺が訊きたいのは、お前自身の気持ちだ。俺が他の女を妃に迎えても、お前は平気なのかって意味だ」
 芳華は口を尖らせた。
「そのようなことをお訊ねになる陛下のお気持ちが私には判りかねます。後宮の妃は常に複数いるのが当然のこと、陛下にも私だけでなく、これからはもっとたくさんの女人がお仕えすることになりましょう。そのようなことで、私はいちいち何も申したりはしません」
 これも模範的な回答で、我ながらよくやったと褒めてやりたい。なのに、何故か心は苛々として、嫌な感じだ。
 法明が大きく頷いた。
「そうか、郁貴妃は真に女人の鏡のような賢女であるな。それでは、近い中に?将軍の娘に淑妃として入内するように勅令を出そう」
 何故か口調が刺々しいのは気のせい? 
 芳華はプイと横を向いた。せっかく芳華が気の利いた受け答えをしたというのに、何故、法明は機嫌が悪いのだろう。
 後宮の后妃の位階は次のようになっている。

操国後宮
   
(正妻)(四妃)
皇后→ 貴妃→七嬪→十容→十媛→十才人
    淑妃
   賢妃
華妃

 つまり、正式に認められて位階を賜った側室だけで四十一人。正妻たる皇后を頂点に側室を含めて総勢がその数になる。英雄色を好むではないけれど、三代皇帝の御世には何と正式に定められたこの四十一人の他にもお手つきの宮女、女官も含めれば、その数七十人とも百人ともいわれている。
 ちなみに、三代皇帝の子女は記録に残っているだけで、五十数人。もちろん、いつの世も皇帝がこの四十一人の妃をすべて侍らせていたとは限らない。現に先帝の後宮は皇后と貴妃がそれぞれ一人ずつで、その貴妃も最初の皇后が崩御した後、二番目の皇后となった。
 今の皇帝に至っては二十一歳になっても、いまだに妃は芳華一人だ。後宮でこの妃たちに仕えるのが女官・宮女であり、女官は正式な侍女、宮女は見習いといえる。その中にも細かな位や役割分担・担当部署があるのだ。
 女官や宮女を取り仕切るのが女官長。後宮の一切を決める権限は皇后にあるが、実務を取り仕切り運営していくのは女官長である。凜鈴のような侍女は後宮の正式な職員ではなく、郁家から付いてきた私的な使用人である。ゆえに、給金は後宮から公費として出ず、郁家の方から支払われる。