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後宮艶夜*ロマンス~皇帝と貴妃~【後編】

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 声を上げる間もなく唇を奪われる。ひとしきり貪るように烈しく唇を重ねた後、皇帝は漸く口づけを解いた。銀色の唾液の糸が滴るのを無造作に手のひらで拭う彼は美しいだけに凄艶な色香を滲ませている。
 彼は妖しい微笑を湛えたまま、踵を返した。扉が開いて、皇帝が出てゆく。今宵もまた、この寝所で彼に抱かれることはなかった。その事実に自分が安堵しているのか落胆しているのか判らないまま、芳華は愕然として再び閉まった扉を凝視した。
 この扉の向こうに彼(法明)がいる。今すぐに扉を開けて追いかけていったら、彼はどんな顔をするだろう。きっと今までのように優しい笑顔で、温かな腕で抱きしめてくれるに違いない。
 だが、芳華にはできなかった。二人の出逢いそのものには作為がないと知った今、愛した男がたまたま皇帝だっただけで、法明には罪はないと判っていた。皇帝であると告げられなかったのは、彼の言うように懐妊した直後の彼女が受ける打撃を慮ってのことだろう。その言葉そのものにも嘘はないのは判っていた。
 ならば、何故―、何故、素直に彼の腕に飛び込めないのか? 自分が皇后になるとか、彼が皇帝であるとかは二の次で、最も大切なのは彼自身を愛しているかどうか、ずっと彼の側にいたいかどうかの気持ちではないだろうか。
―そんなの、とっくに応えは出ている。
 芳華は法明の側にいたいのだ。もしかしたら、子どもすぎる自分は意固地になっているだけなのかもしれない。
―お前は本当にいつまでもお子さまだな。
 法明がよく揶揄していた科白がありありと甦る。
―だけど、その変わらないところが俺は好きなんだ。
 臆面もなく堂々と好きだと言ってくれた彼。もう、自分たちはあんな屈託ない関係には二度と戻れないのだろうか。法明は扉を隔てたすぐ先にいるのに、自分には手が届かない。あんなに愛し合い求め合った男が今は近くて遠い人になってしまった。
 芳華は涙を零しながら、その夜、一人で眠るには広すぎる寝台で一夜を過ごした。

 真実を知る瞬間

 後宮で再び暮らすようになってから、ふた月が経った。季節は四の月になり、冬場は温室でしか咲かなかった花も宮殿の庭でしばしば見かけることができるようになった。
 その朝、芳華は凜鈴の給仕で朝食を取った。二ヶ月前の夜からしばらく、それでも法明は数日に一度は、昼間、律儀に後宮に通ってきた。しかし、彼が芳華を訪ねても、芳華は終始沈黙を守っている。話しかけられても、おざなりな言葉しか返さない。その頑なな態度に辟易したのか、ここひと月ほど皇帝のお渡りはふっつりと途絶えた。
 もちろん、夜のお召しは一度もない。凜鈴などは気を揉んでいるようだが、芳華にとっては法明の相手をして気詰まりな時間を過ごさないで済むのは助かる。
 三度の食事もすべて居室で一人取り、話し相手は凜鈴だけという極めて閉鎖的な日々だ。しかし、お腹の胎児は順調に育ち、もう八ヶ月、産み月まで二ヶ月となった。お腹はますます大きく突き出し、歩くのですら難儀になってきた。
 自然、動き回る機会もますます減ることになる。食後の石榴茶を飲むのがここのところの芳華のお気に入りの時間になっていた。
 妊娠も後期に入ると、大きくなった子宮が胃の腑を圧迫して、食べ物も少量しか食べられない。初期に安定するまで悪阻が続くように、後期にも似たような症状が起こることがあった。最近の芳華もこれに悩まされているのだけれど、甘酸っぱい石榴茶は胸焼けを抑えて気持ちをさっぱりとさせてくれる効果がある。
 実家から届く石榴茶はわざわざ栄から取り寄せたものだという。凜鈴の淹れてくれた石榴茶を飲みながら、芳華は意外なことを聞いた。
「このようなお話を貴妃さまのお耳に入れて良いものかどうか判らないのですが」
 これまで?お嬢さま?と呼んでいた凜鈴は最近、?貴妃さま?と呼び方を変えた。やはり凜鈴なりに、芳華には皇帝の御子まで産むからには、もう覚悟を決めて後宮で生きていって欲しいと望んでいるようだ。もちろん、凜鈴は利口だから、差し出がましい口は一切きかない。ただ、彼女の立ち居振る舞いから、凜鈴の言いたいことはよく判った。
 凜鈴は微妙な言い回しで前置きしてから、言葉を選んで最近の後宮の様子を話してくれる。
「どうやら新しい御方が後宮にお入りになるとの専らの噂です」
「新しい方?」
 石榴茶を飲むと、食欲もわずかながらも湧く。その朝、粥さえろくに食べられなかった芳華は、凜鈴が運んできた焼き菓子(クツキー)を一つ摘んで口に入れた。これも栄渡りだという南国の果物を細かく刻んだものを小麦粉に練り込んで焼き上げた絶品だ。
 凜鈴は頷いた。
「つまり、新しい妃が入内するということね?」
 芳華の問いかけに、凜鈴は小首を傾げる。
「まだ噂の段階ですから、何とも申せませんが、宮女たちによれば、?将軍の二の姫さまが後宮入りなされるとか」
「玉蘭さまね。でも、凜鈴、玉蘭さまには恋人がいたはずよ」
「その恋人の存在が将軍の知るところとなり、無理に別れさせられたとか聞いておりますが」
「そうなの、玉蘭さまもお気の毒ね」
 臈長けた美貌に似合わず、ざっくばらんな玉蘭を芳華は好きだ。あれだけの美貌なら、若い皇帝の心を奪うには十分だろう。自分など、どうせ法明はすぐに忘れるに決まっている。
 現に今だって、ろくにお渡りもない有様だ。芳華は自分の方から法明を避けている癖に、一向に訪れない彼をどこかで恨めしく思っていた。
 何か面白くもない話を朝っぱらから聞いてしまったようで、芳華は立ち上がった。
「少し外でも歩きましょうか。こう毎日、閉じこもってばかりでは、気が塞いでしまうわ」
 凜鈴は即座に頷いた。
「それはよろしうございます。少しは身体を動かされた方がお腹の御子さまにもよろしいかと思いますので、早速、参りましょう」
 芳華は凜鈴一人を伴い、庭に出た。気持ちの良い春の朝である。うららかな陽が地面に降り注ぎ、木々の緑濃い梢が地面に光の網を描いている。春のやわらかな風が頬を撫でて通り過ぎる度に、その光の網がちらちらと揺れた。
 今朝まで雨が降っていたので、まだ、あちこちに雨雫が残っている。少し歩くと牡丹園に辿り着いた。一面に白や紅の牡丹が植わっていて、さながら牡丹の花の海に囲まれているように見える。
 その中央に白い瀟洒な造りの小さな四阿(あずまや)が見えた。歩いてきて息が上がっていたので、芳華は迷わず東屋に足を運んだ。
 石造りの四阿は、奥に張り出た部分があり、椅子となって腰掛ける趣向だ。その場所から、真正面に庭が広く臨めた。いつ誰が訪れても良いように錦の分厚い座布団(クツシヨン)が幾つか用意されている。芳華はその一つに座った。
 風が牡丹の園に吹き渡ると、重たげな大輪の花たちがかすかに揺れる。そんな美しい春の眺めを愉しんでいると、気の利く凜鈴が傍らから控えめに言った。
「少しお身体を動かされたので、咽がお渇きになっているのではありませんか? 冷たくした石榴茶をここにお持ち致しましょう」
 部屋で呑んだ石榴茶は温かかった。芳華は微笑んだ。
「ありがとう、悪いわね」