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後宮艶夜*ロマンス~皇帝と貴妃~【後編】

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「よくそのようなことをおっしゃいますね。私はあなたに騙されているのも知らず、恥知らずにもあなたに夜毎、身を任せた。あなたはきっと笑っていたのでしょう。愚かな女があなたの魅力に負けて陥落したと」
 この男に抱かれて、甘い快楽の虜になっていたのが確かなだけに、今、法明自身からそのことをあからさまに突きつけられるのは芳華の自尊心をいたく傷つけた。
「私は愚かにも、あざ笑われているとも知らず、あなたを愛してしまった! あなたは私の身体だけでなく心も踏みにじったのですね、陛下」
 芳華は激情のままに、拳で膨らんだ腹を叩いた。
「その挙げ句、私は身籠もった。こんな子は要らない! 私は皇帝の御子を産むつもりなんかなかった。私は法明の子どもを授かったと歓んでいたのに」
 幾度も腹に拳を打ちつける芳華を見て、法明が蒼褪めた。
「止めよ、止めるのだ。子に罪はない」
 だが、芳華は大粒の涙を零しながら、拳で腹を叩く。法明が芳華の両手をひと纏めに掴んだ。
「頼むから、止めてくれ。そなたも待ち望んだ私たちの子であろう」
 法明はまだ抗おうとする芳華を逞しい腕で抱きしめた。
「憎みたいのならば、予を憎め。殴りたいのなら、予を殴れ。子に罪はない。私とそなたが心から求め愛し合ったあの日々を私は片々たりとも悔いたことはない。それどころか、何故、もっと早くにそなたに逢おうとしなかったのかと烈しく悔いている。芳華、私は幼い頃から生命を狙われ続けたせいで、自分以外の人間を信じられなくなってしまっていた。ゆえに、妃を娶ろうともせず、後宮に入ったそなたをも最初は遠ざけたのだ。今更何を申したとて言い訳にしかならぬのは判っているが、どうかもう一度、私とやり直してくれ」
 法明が芳華の両手をその大きな手のひらで包み込んだ。
「始まり方は普通ではなかったかもしれない。さりながら、私たちは愛し合い、子も授かった。これからは互いに隠し事をすることなく、誠実であろう。これから生まれてくる子と三人で新しく家族を作ろう」
「―それは無理です、陛下」
 芳華は囁くような声で応えた。
「何故? 何故、そう決めつける! 私たちはまだ始まったばかりだろう」
 法明の瞳の色が更に濃くなっている。その紫の美しい瞳を見つめながら、芳華は繰り返した。
「偽りの関係の上に真実は成り立ちません。私たちは始まりからして間違っていたのです」
 法明が信じられないといった表情で叫んだ。
「何故、皇帝というだけで、そんなに嫌うんだ? 予が皇帝というだけで、そなたは何ゆえ、私をそんなに嫌うのだ! 私だって、好きで皇帝になったわけではない。あのまま文法明というただ人として一生を市井でそなたと暮らしたかった。だが、それは皇帝となるべくして生まれた者には所詮、許されぬ夢だ。自分一人の幸せとこの国の大勢の民との幸せを引き替えにはできぬ」
 つまりはいずれ宮殿に戻る日が来ることは覚悟していたということだ。文法明として芳華の前に存在するのにも限りがあると法明なりに考えていたのだろう。
 皇帝の嫡子として生まれ、生まれたそのときから、将来は皇帝になるべく育てられた法明。継母に幾度も毒殺されかけ、生命の危機を乗り越えてきた。その肩には背負いきれないほど多くの重いものを背負って生きてきたのだ。それはこの操という国そのものであり、この国で暮らすあまたの民草だった。
 彼の抱えた孤独と責任は芳華には察するに余りある。けれど、それと自分たちの問題はまた別だ。それに―、芳華ははたと思い当たった。もし腹の子が男の子であったら?
 法明のように襁褓の取れぬ中に皇太子に立てられ、いずれは皇帝となるべき子だ。もしかしたら、法明の幼少時代のように何ものかに生命を脅かされるかもしれない。そんな危険極まりない場所で我が子を育てるなんて、真っ平ご免だ。
「お別れです。私は陛下のお側にはいられません」
 芳華はどこまでも頑なだった。法明が深い息を吐いた。
「できれば、この話はしたくなかったが―、芳華、そなたはもう抜き差しならぬ立場にある。そなたはまだそのことに気づいておらぬようだが」
 芳華はハッとして法明を見た。
「それは、どういう意味ですか?」
 法明の紫の瞳が哀しげに揺れた。
「文法明としてそなたと祝言を挙げた翌朝、私は婚姻の誓いとして、そなたに鳳簪を贈った」
「鳳簪といっても、あれは紛い物だと」
 法明自身がそう教えたのではなかったか。法明は芳華の言わんとしたことを見透かしたかのように、したり顔で頷いた。
「紛いものであるかどうかなぞ、この際、些細なことなのだ。大切なのは皇帝たる私がそなたに簪を贈ったという事実。あの簪を受け取った時、そなたは朕の妻、唯一の后となった」
「私は確かに華燭を行い、陛下より貴妃の位を賜りましたが、皇后に冊立されたわけではありません。貴妃にすぎない私は厳密な意味で、陛下のただ一人の女人とはいえません」
 皇帝の妃である限り、あくまでも妻の一人ではあるが、皇帝にとって唯一無二の存在はやはり正妻である皇后だけだ。
「それは違う、芳華。そなたは祝言の翌朝、鳳簪を受け取ったのだ。あれには二重の意味がある。私の妻であると同時に、即ち皇后に、この操の国の正式な母になったのを意味するのだよ」
「私が皇后に?」
 唇が、戦慄く。法明が微笑んだ。久しぶりに見る優しい笑みに思わず涙が出そうになる。
「そなたなら良き国母となれるはずだ。短い間だが、そなたと暮らして、その聡明さは十分に理解したつもりだ。皇后という立場をもってすれば、いつか芳華が話していたような貧しい民でも通えるような官立の学校を作ることもできる。そなたが皇后になれば、好きなようにすれば良い」
 誰もが無償で通える学校を作る。それは芳華にとって、とても魅力のある言葉だ。だが、それだけで国の母という重責を引き受けられはしない。一時の気持ちや浮ついた理想だけで務まるものではないのだ。
「申し訳ございません。私のような者に、皇后の立場は荷が重すぎます。どうか、このまま私の好きなようにさせて下さい」
 芳華はうつむいて言った。
「好きなように、とは?」
 畳みかけるように言われ、芳華は法明の眼を見られないまま続けた。
「宮殿を出て、ひっそりと子を産み、一人で育てます」
 皇帝からの返事はない。永遠に続くかと思われる静寂はふいに破られた。
「そのようなことができると思うのか、私から逃れられるとでも?」
 打って変わった冷酷な声は芳華が耳にしたこともないものだ。その冷え切った声に、芳華は一瞬、すくみ上がった。
 おずおずと顔を上げたその先には、濃い紫に染め上がった双眸が射るように彼女を見つめていた。氷の欠片を含むようなまなざしと声に、言いようのない恐怖が背筋を這い上る。
 到底眼を合わせていられず、芳華は慌てて視線を背けた。皇帝が近づいてくる。男性にしては細くしなやかな指先で顎を摘まれ、クイと仰のけられた。
「そなたも存じておろう? 今の皇帝は望みを叶えるためには、時に手段を選ばず冷酷にふるまうと」
 ―憶えおくが良い、私はそなたを逃しはせぬ、芳華。―