短編集『ホッとする話』
十七 観覧車 前編
前編
迷っていることがあれば右
近所の動物園の中には小さな遊園地がある。戦争が終わり、日本が平和な国家として生まれ変わろうとする頃にここに出来て以来、復興のシンボルの一つとして存在している。
近くで商店を経営していた両親にはよく連れて行ってもらった。私のお気に入りは観覧車だった。他の遊具は動きが速く、当時の自分を恐怖に陥れるには充分で、喜びながらジェットコースターやクルクル飛び回る椅子に乗る姉たちの気が知れなかった事を思い出す。その点観覧車はゆっくりと回り、園内の一番高い地点に登る。決して大きなそれではないが、観覧車の中からは街が一望でき当時3歳くらいだった自分を満足させてくれたものだ。
私は遊園地に行けば必ず観覧車に乗って、力強く移り変わる戦後の復興をこの観覧車からずっと見守りながら大人になり、一般的な学校を出て、一般的な会社に就職し、一般的な女性と結婚し、三十路の時に娘が生まれた。五月一五日生まれに因んで葵(あおい)と名付けた。裕福ではないが、仕事をすればそれなりの対価が得られる。収入の安定しない家業を継ぐより会社に勤める方が時代と自分には合っていて、忙しいのも受け入れることができた。
動物園は古くなったが今も変わらずそこにあって、ここに来た子供たち、かつては「子供たち」だったお父さんお母さん、かつては「お父さんお母さん」だったお爺さんお婆さんを今も変わらず満足させる。
自分が生まれた頃から回り続けている観覧車も勿論健在だ。あの時少年だった自分が娘を連れてここへ来ると思うと感慨深くなって、ついつい時間が経つのを忘れてそれを見上げては立ち尽くす――。恥ずかしいが今でも動きの速い遊具は苦手だ。
今日は葵が三歳の誕生日だ。小さく生まれて来たが大きな病気一つせずちゃんと成長している。最初は何をしていいのかわからずオロオロするばかりだったが、「好き」「イヤ」「ぶーぶー」「だーだー」だけで彼女の考えていることが大体わかるようになったのだから親というのは不思議なものだ。
仕事の終わった土曜の午後、動物が好きな葵を連れて家族三人で動物園に行った。今では多種多様な娯楽も増えたが、自分が子供の頃はこの動物園くらいしか近くに娯楽施設がなかった。父が連れて行ってくれるのもいつも此処で、自分が父になった今、子供を連れていく先の選択として動物園はいつも選択肢の中にあった。
私と同い年のゾウや器用に道具を使うチンパンジー、葵は動物たちを見てご機嫌な様子で、私達は喜ぶ娘の姿を見てご機嫌になった。抱っこをするのは私の役目だ。仕事が忙しく、留守を妻に任せる機会が多いにも関わらず、葵は私になついてくれる。
一通り園内を練り歩いたあと、併設の遊園地に足を踏み入れた。いろんな遊具がある。三歳の娘に乗れそうなものは多くはない、大人になっても速い遊具が苦手な自分の子なのでそれは構わなかったが、三歳でも乗れるものが一つだけある。そう――、それが観覧車だ。私はその大きな車輪を見て、娘に私自身が長年暮らしてきた街を高い所から見せてあげたくなった。
二人分のチケットを買おうとすると妻がやんわりと断った。
「あなたと葵ちゃんとで乗りなさいな、私は結構ですから」
妻のお腹には新しい命がある。今夏、葵は姉になるのだ。車内で何かあったらお腹の子供に良くないと説明する妻は母親らしい優しい笑顔を娘に向けた。
「二人だと葵はぐずるよ」母の手を離さない娘の顔を見た「そんな気がしてならんのだけど」
「またそう言って私を誘うんですから――」
妻は暗に自分も乗るように言っているのが、私の口癖でわかるようだ。
「大丈夫ですよ、葵はお父さんが好きだから。ほら、行っといで」
葵は私の手を引いて「カンランチャ、カンランチャ」と言いながら私をその遊園地一大きなものへと誘った。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔