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短編集『ホッとする話』

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 次の日の早朝、花守は山辺の先導で落帆のコタンから山へ向かったその奥、川を越え、森を抜け、吊り橋にたどり着くと、そりを降りてぶちだけを連れて吊り橋を渡り、川が見える林の合間の小高い丘の上で立ち止まった。
「オオォーーーーン」 
 ぶちが一声、吊り橋の向こうの他の犬、さらにはコタンまで届くような透き通る声で空に響き渡った。
「ヤヨマネクフ――」
花守は山辺の名を呼んだ。山辺も丘の上の音のないこの空間で、上を向いて目に大粒の涙を溜めた。
「ああ、ここにしよう」
「そうだな……」
 二人はぶちの鳴き声で決めた。お互いに何かを言わなくてもここが遠い南極に残してきた家族を思う場所にしよう。そう決めた。
 二人は20の盛り土をここに作った。墓標は立てなかった、まだ生きているかもしれないという希望と祈りを込めて。
 山辺は花守に
「何かを書き記しておこうか」
と提案したが、
「アイヌに文字はない。ワシは字が読めん」といってそれを断った。
 そう決めると二人はユーカラ(叙事詩)を唱い始めた。樺太から寒い氷の大地に届けとばかりに、そしてアイヌの言葉と文化を伝える最大の方法であるユーカラに二人の気持ちを託して声を高らげ、そして涙に震えながらその声は遠い南の白い空に飛び立っていった――。

   * * * * *