短編集『ホッとする話』
同じ年の6月、開南丸は東京に帰港した。距離にして地球一周と少しの48000キロメートルの大航海を終え、およそ50000人の市民に出迎えられた。一人の死者も出さずに生還してきたことが支援者や新聞社を喜ばせ、開南丸は歓喜の渦に包まれた。
たった204トンしかない開南丸で「吠える(南緯)40度、狂える50度」と呼ばれる地球上で最も厳しいといわれる暴風域と濃霧を越えてしかも犠牲者を出さずに生還したことは、同じ年に南極点に到達したが生還できなかったイギリスのスコット隊や、これも同じ年に沈没した豪華客船「タイタニック号」(大きさは開南丸の200倍以上!)と比較しても、未知の世界に挑む文明的な事業を行うことで示した日本の技術と気概は、先に勃発した日清、日露戦争で好戦的な人種だと恐れられつつあった排日の目を冷すのにじゅうぶんであったと言え、アジアの国で初めて列強に肩を並べる国に発展する国威発揚の効果はあったと言える。
白瀬 矗中尉率いる南極探検隊はこれで解散することとなり、生還した六頭の犬のうち五頭は今回の探検を支援した人たちに引き取られることとなり、犬係の二名のアイヌであるが、山辺は懇意にしている教授のもとへ行くため東京にしばらく残り、花守は貰い手のつかなかったぶち一頭を連れて故郷の樺太に帰ることとなった。
花守も山辺も日本に帰ってこれた事、和人、アイヌ関係なしに歓迎されたことには喜べたが、やっぱり置き去りにしてきた犬の事が頭から離れなかった。
二人は日本のために力を尽くすことはできた。しかし、これにより得たアイヌの評価に対する代償はあまりに大きすぎた――。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔