短編集『ホッとする話』
ニ〇 誰のものでもない場所
幼稚園の近くの広場の横にある細い路地には夕方になるといつも商用車が止まっている。駅から家に帰るにはその細い道が一番近道なので電車を利用するここの住民はほぼほぼここを通る。
仕事を終えて電車に乗って、バスがあるなら乗ってもいいかと思う距離をトボトボ歩いた先にあるマイホーム。その直前でいつもこの風景を見ると、武の疲労はさらに増した。
「何でい、横着しおって」
そう吐き捨ててここに止まっている車の中をのぞいた。
武が通る道に、この時間はだいたいこの路肩に添って車が駐車している。といってもここは公道。車両の半分ほどを路肩にのせて、助手席からは降りられないスペースで上手にとまっている。
しかし、この車。住宅街の真ん中が使用の拠点にはとても見えないし、ここが指定の駐車場ではないのは明らかである。
商用車だけに設備に多くをかけていない。ところどころが凹んでいて、窓にフィルムも貼っていないから車内がよく見える。中に見えるのは後部に積まれた大量の工具類と雑然とした運転席、そして吸い殻で溢れた灰皿――。愛車精神があるとはとてもいえない。
そして、武が出勤する朝には無くなっているから、この車はおそらくこの辺の住民が通勤で使っているのだろう。
「警察は何をやっとるんじゃ」
口ではそういうが、直接被害を被っている訳ではないから責任を行政に押し付けて通報するつもりはないし、いちいち警察に説明するほどの時間ももったいない。武は「やれやれ」と吐き捨ててここから見える家の灯りを見て重い足を動かした。
* * *
「あそこって公道じゃないのか?」
その日の夜、武は食卓を囲んで妻と娘の葉月に愚痴に近い話を切り出した。
「どうやらあそこは駐車禁止場所に当たらないみたいよ」
「どういうことだよ」
武の話題に娘が答えた。
「『取り締まる法律がないんだ』ってお母さんが、ねえ」
「そうそう。こないだお隣の石垣さんと立ち話してて見ちゃったのよ」
話題に上がったのがお隣の広告塔である石垣さん。専業主婦だけに周辺の車の様子もお見通しである。だが本人には運転免許がないので、それがどれほどモラルのないことなのかは分からない点があるが。
「何を、見たのさ?」
「あの車の持ち主よ」
妻の話では車の持ち主は同じ地区に住んでいる高橋という家の主人で、町で工務店を営んでいる。大きくはないが会社の事務所には駐車場があって、本来の車庫はそこにあるのは容易に察しがつく。ということは、会社の車で自宅近くまで来てあそこに駐車しているのだろう。
「自分ちの駐輪場にとめりゃいいのに……っていかないか」
「まあ無理だろうね、あそこは」
その自宅のガレージには二台の駐車スペースがあるのだが、縁石に乗り上げるのは到底できなさそうな車高の車と、品のないカスタムをした大きなバイクがある。
「単なる車庫飛ばしじゃないか!」
「だからあ、取り締まる法律がないんだって」
葉月がネットで調べた情報だと、駐車違反は公道に止まっていることが前提なんだとか。敷地に止めたところで警察は取り締まることができず、もし取り締まろうもんなら猛烈な抗議行動を起こしかねない。
「まあ、あんな家だからネットで法の抜け道を調べてるんじゃない、呆れた」
葉月は中学の頃そこのどら息子に眼をつけられたことを暗に示して吐き捨てた。そんな息子も夜中に近所迷惑な単車に乗っている。
「だけど、公道の脇に寄せて止まっているだけじゃないか。それも取り締まることはできんのか?」
「そうみたい」今度は妻が話に入ってきた「さっそく石垣さんが警察に問い合わせてみたんだけど、確かに公道に被っているけど敷地部分がほとんどで、取り締まりの対照としては難しいんだって」
「さっそく通報したのか?」
「ええ。思い立ったら、すぐ」
「その辺しっかりしてるなあ」
取り締まる法律がないのは確かなようだ。実際問題難しいようだし、警察ももっとしなければならないこともあるだろう。
言われてみればこれだけ我が物顔で道路を駐車場代わりに使えば誰かが通報する。
「でも、あそこは公道でなくても人の土地じゃないか」
「人の土地だから、取り締まれないのよ」葉月は大学で法律を勉強しているだけに決まりにはこだわる「法は基本家には入らないの」
「結局は、横着なのよ」
最後は妻が話を締めた。一連の流れを聞いて武は腹が立って、テーブルを拳で一度叩いた。
「何とかならんもんじゃろか」
「あれば警察だってなんとかするでしょうけどねえ」
「わしゃあ免許はあるが法律のことには詳しくない。でもこのままきゃつの自由にさせるのは納得いかん」
というが、自分達に損得のない問題にそこまで取り組むほどの意欲も名案も思い付かず時間が流れた。
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔