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短編集『ホッとする話』

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ニ一 親の気持ち、子の気持ち



 篤信は一人っ子だった。

 一人っ子だったから親を独占できたし、篤信自身も聞き分けの良い子だったので、欲しいと思ったものはだいたい親が工面してくれた、たったひとつのものを除いて。
 おもちゃより、本よりもそのたったひとつのものだけが欲しかった。それが、きょうだいだった。兄でも、姉でも、弟でも、妹でも。それがわがままな願望であることは子供ながらにじゅうぶん分かっていたので口に出すことはなかったが、やっぱり欲しかった。

 きょうだいがいれば助け合うことができる、家が賑やかになって楽しくなるに違いない、篤信はそう思っていた。友だちの中できょうだいが話題に上がると篤信は急に黙ってしまい、耳を立てて聞いているときょうだいについての駄目出しやケンカしたことなど、良くない話題が耳に付く。でも、それって贅沢な悩みだと勝手に解釈していた。篤信にはケンカをするようなきょうだいがいない。ひとつのものを分け合うことをめぐってけんかになる、そんな話さえも羨ましく思える時期があった――。

 6歳の誕生日に篤信は母に妹が欲しいと駄々をこねたことがあった、後にも先にも感情を表に出したのはそれ一度きりだった。今思えば酷なお願いをした、思い出すたびに心が痛む。弟ではなく妹が欲しいと言ったのには訳がある。

   * * *

 篤信には妹のような存在がいた。朱音と言って1つ年下の、血縁関係はないが外縁の親戚という関係の女の子だった。彼女の父は日系二世のアメリカ人で貿易商をしていて、母は国際線のCAだった。忙しい両親は彼女を家に預ける事が多く、物心ついた時には朱音はいつも家にいて、一緒に遊んだし、一緒に寝泊まりもし、一つのものを分けあったりもした。
 楽しかった。篤信は自分の中で求めていたきょうだいができた。なりたかった「お兄ちゃん」になった気でいたし、母も篤信たちを分け隔てすることは無く、褒める時は褒め、叱るときは叱ってくれた。
 ところが篤信が小学校に上がる直前に、彼女は父の仕事の関係でカリフォルニアに引っ越すことになった。それが彼女との最初の別れだった。数年後には日本に戻ってくると言ってたようだが、5歳の少年にはそれが受け入れられず、あまりに辛くて声を枯らしてもなお泣き続けた事を覚えている。

 彼女と別れたあと、その直後の誕生日に出た言葉がそれだった。

    妹が欲しい――

 それを言った後、母は気丈に笑っていた顔は今でも印象に残っている。ところがその夜に目が覚めて両親の部屋をのぞいてみると、いつも笑顔の母が父にしがみついてすすり泣いている姿が見えた。
 それ以来篤信の中ではいちばん欲しいものを求めることをタブーにした。

   * * *

 それから篤信は大人になり朱音を妻にとり、きょうだいは夫婦になった。
 それからすぐに長男が生まれ、二人は親になった。そして篤信の願望は自分ではなく、息子をお兄ちゃんにしてやることになっていた。それは自分ができなかった願望を託すのではなく、親として彼にできる最高のプレゼントのひとつと思うからだ。

 篤信は今でもふとした事で6歳の誕生日の事が頭をかすめる。母が泣いているのを見たのはそれが最初で最後だったから印象に残っているのかもしれない。酷いことをした、そのたびに篤信は母に対して心で許しを乞うた。
 あれから20年以上がたったある日、その記憶は意外な人が呼び起こした――。