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短編集『ホッとする話』

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「あちゃあ、傘、ねえんでよね」
 空を見上げて愚痴を溢した。一人になると方言が出る。
 購買部に行けば傘など安くであるだろうが、そんな自分の体たらくにお金を出すのはもったいない。雨がやむまで大学で駄弁ってもいいけど、生憎相手がいない。5限目まですることがないなら、さっさと帰った方がいい。そう判断する小夜はどうにかして家に帰るかという選択肢ははずせないでいた。 
「ええい、雨よりも速く自転車漕いぢゃる」
 小夜は訳の分からない理論を言って意を決し自転車を漕ぎ出した。少し濡れるくらい大したことない。梅雨といっても夏なんだから服だって乾くさと思っていた。

 傘も差さずにペダルを漕ぐ小夜。ところが、そんな小夜の読みはもののみごとに外れ、小雨になるどころか雨足は勢いを増した。さらには空に穴が開いたような豪雨になり、家につく頃には全身ずぶ濡れでもはや何のために雨の中を走ったのか分からない、服を着ている分だけシャワーを浴びるよりひどい状態で家にたどり着いた。
「びええぇぇ……」
 自転車を止めて玄関に入った小夜は目の前に飛び込んでくる自分の部屋を見て更なる後悔が襲ってくる。
「また洗濯じゃん……」
 玄関から見える散らかった部屋、そしてその先に見える窓の外、朝のうちに干していた洗濯物が、洗濯機に戻ったくらいずぶ濡れで主の助けを待っているのだ――。
 今日は天気がもつだろうと見越して、ここんところの長雨で滞っていた洗濯を一気にしたのが完全に裏目に出た。
「ああーっ、ゲンナリぃ」
 小夜はとりあえず濡れたままで濡れた服を取り下げて、もう一度洗濯機の中に戻した。ついでに着ている服も放り込んだ。大きな溜め息をついて部屋の中を見るとベランダから洗濯機までの導線にポタポタと水の足跡が付いていて、床や座卓の上にはホコリやゴミが散らかっている。
強い雨音だけでなく視覚でも気分を萎えさせる。
「でやしよう、もう着て行く服しゃあねえで」
 小夜は一着だけ濡れずに残った高校時代のジャージに着替え、ベッドの上であぐらをかいた。着ていく服さえない。散らかった部屋を見て、休講で空いた時間をなぜ部屋の掃除に充てなかったのかと実家の母親の声が聞こえたような気がした。
「わかってりゃ、わかってりゃ」 
 頭の上に現れた母の顔を手でかき消すように振り払って返事する小夜。
「あーあ、退屈だぁ」
 小夜は愚痴をこぼしてはベッドに寝っ転がった。
 そして、口から出た愚痴は悪寒に化けて小夜の濡れた背中に襲いかかった――。