短編集『ホッとする話』
「――ちょっと、ちょっとお姉?」
陽人は前で鼻をすする姉の肩に手を置こうとしたところで手を止めた。
「だって、だってよ。悠里が、悠里が……」
「そんなオーバーな」
「あんたねぇ、悠里がどんだけの思いでやったことかわかっとうん?」
軽いツッコミのつもりで言った陽人だったが逆に詰め寄られた。二人は目線の先の遠くにいて、互いに何を話しているかは聞こえないが、その様子を見ただけでそれが何を意味するものなのかは強烈に伝わってくる。
「ま、まあ。そりゃそやけど――」
姉の朱音と弟の陽人は朱音の運転する単車に乗ってみどり公園の見える道路の陰から妹の悠里がサラとやり取りしているのを遠巻きに見ていた。悠里が家を飛び出したすぐ後、心配して妹を付けていたのだ。
「あのねぇ、自分からすることに意味があるねんで」
「わかってますよぉ……」
陽人は言い返さなかった。姉は自分の過去をサラという子とダブらせている。朱音が日本の学校に通い始めたのも今の悠里やサラと似たような年頃だ。外国人扱いされて思うようにクラスメートと関係ができなかった苦い過去があったのは陽人も知っている。今では日本の生活が長くなったので日々の生活に言葉の壁は全く無いが、今でも二人が一緒になると日本語と英語が混ざり合った、二人にしかわからないもはや違う言語の会話をする。いつしか姉と弟はお互いの相談相手になっていた。
「悠里は、悠里は自分で自分の逆境を跳ね返したんよ。しかもあの子の分まで」
弟は姉のいう言葉をゆっくりと考えてハッとした。朱音は全く中立の立場で目線の先にいる二人を見ている。感情で動いていたら姉は妹の肩を持つだろう、陽人は姉と自分とを比べるとやっぱり大人なんだなと感じずにはいられなかった。
「悠里も知らんうちに大きくなってるんやね」
「ホンマやね。度胸あるのか無いんかわからんわ、あいつ」
陽人は姉から妹に視線を移した。基本的におっちょこちょいで忘れ物も多い妹が緊張する場面でしっかり自分の意見を自分の口で言っているの見ると兄としても何だかちょっと嬉しくなり、陽人はふふっと鼻で笑っては妹にエールを送った。
「さ、行こうか。陽人」
朱音はそう言い終わらないうちに単車に跨がった。感傷に浸りすぎると悠里がこちらの存在に気づいてしまう、それは避けねばと朱音は気持ちを切り替えた。
「行くって、どこへ」
「帰るのよ、悠里が先に帰ってくる前に」朱音は目をハンカチで拭いてヘルメットのシールドを下ろした「今日の食事当番はアンタやったわね。悠里ががんばったんやから何かちょっと気合い入ったもの作ってやりなよ」
「Yes, ma'am(りょーかい)」陽人は朱音に肩を叩かれしぶしぶ答えると、単車が休憩を終えてエンジンが動き出す音が聞こえた。
「good grief……(やれやれ)」
陽人も眼鏡をはずし、ヘルメットをかぶりながら小さく呟いて姉の駆る単車の後ろに続いて跨がると単車はアイドリングの音のみで神戸の急な坂をゆっくりと惰力で下りて行った――。
「あの子達、いい友達になるかな?」
横を向いて朱音は後ろにいる弟に英語で声を掛けた。声が弾んでいるのが陽人にはわかる。
「ああ、なるだろうね!」
ヘルメットをかぶっていると自然と声が大きくなる。陽人は元気良く姉に答えてやった。
『友だち』 おわり
作品名:短編集『ホッとする話』 作家名:八馬八朔