逢魔ヶ刻の少女
「――そうなんだ。ありがと、参考になったよ」
一月十日。降りしきる雪の中、生活の拠点を手に入れたカンテラは、生活物資を調達する為に町を散策していた。そのついでに、昨夜止まったレストランに付いて色々嗅ぎまわっていた訳である。オーナーの借金が云々、夜逃げで従業員も散り散り云々。それはまあ、いい噂は聞かなかった。
半日歩き回って冷え切った体を温める為に、喫茶店に入ることにした。
「霧雨堂、か……」
きいと、重く古い音を出しながら戸は開く。
陽光を主な灯りにしている店内は薄暗かった。まず目に付くのはカウンター。窓際にはテーブル席。差し込む太陽の光でテーブル席側だけ別世界のように明るい。いや、眩しいと言った方が正しいのかもしれない。
カウンターの向こうで作業をしていた主人が、ちらりとこちらを見る。
「あんた……いや、いらっしゃい」
一瞬の怪訝な表情。思い出したかのように営業スマイルを主人は執った。
――いや、まさか。だがしかし、この町はなんだ? 彩花市だ。何も『不思議なこと』はない。
カウンター席に座る。コーヒーを売りにしているのか、がりがりというコーヒー豆を粉砕する音が聞こえてきた。
「僕みたいなのは善いことか悪いこと、どっちかしか運んでこないからね。その表情は正しいよ」
「確かに、貴方みたいな強烈な霊格をお持ちの方はそうですね。
――しかし、こっちもプロですからね。そういう意味では、さっきのは大失態ですよ」
やはり正体がバレていたようだ。この町に来て初めて出会った人間がこれなのだ。この町の話というのは、その大概が正しくそして間違っていると思っておいた方がよさそうだと、カンテラは考える。
「まあまあ。そっちの方が話が早くていいよ。――とりあえず、何か飲み物……。ブレンド、ホットで」
「ブレンドですね。あやさん、ブレンド、ホットで一つ」
主人がそういった時だった。既に目の前にコーヒーが置かれていた。
「はやっ!」
さっきからがりがりとコーヒー豆が粉砕される音が聞こえていたが、まさか自分が店に入ってから豆を粉砕した訳ではあるまいな、とカンテラは思う。
コーヒーを持ってきたウェイトレスに目をやる。ショートカットの黒髪と眼鏡。奥ゆかしさをカンテラは感じた。
と、そろそろコーヒーを口にすることにしよう。外も寒いし、このままでは冷めてしまう。
コーヒーの香りが、カンテラの鼻孔をくすぐる。ただのコーヒーだというのに、何故か食欲まで刺激されるようだ。
一口、その芳醇な香りを醸す液体を含む。
鼻孔に広がる暴力的なまでの香り、調和の取れたその香りが、脳髄を擽る。そして何よりも特徴的なのが――。
――強烈なまでの塩気だった。
いや、いやいやいや。確かにコーヒーの苦みを抑える為に一つまみ程の塩を入れる塩コーヒーというのは聞いたことがある。しかし、これってこんなに入れるものじゃない筈だ。
大さじ一杯は軽くイッてる。何も考えられなくなるぐらいに強烈な塩気だ。
――だというのに何故だ? 何故自分はこれを『美味い』と感じてしまったのだ。完璧なまでに調和の取れたブレンドをあえてぶち壊すかのような大量の塩。完璧なコーヒーは、その大さじ一杯以上の塩で何もかも台無しになっている。それなのに、カンテラは、このコーヒーを美味いと思ってしまったのだ。
――いや、違う。このコーヒー、普通の人間が飲んだら間違えなく飲めたものじゃない。しかし、今のカンテラにとって、この強烈な塩コーヒーこそが、必要なものだった。その事実にカンテラは気付くと、戦慄した。
「まさか――」
――このコーヒーは、客個人個人の趣味やその日の体調、気分に合わせて特別に『ブレンド』されたコーヒーであるという事実。
カンテラは、この喫茶店に入ったのは初めてだ。当たり前だ、この喫茶店に来たのも今日が初めてなのだから。で、あるのに、何故、この喫茶店は今日初めて来た筈のカンテラの、しかも彼の体調までも考慮したブレンドを用意できたのか?
「一体、これをどうやって……っ?」
カンテラは驚きを隠しきれず、喫茶店のウェイトレスとマスターに問い掛けた。
「「勘です」」
――いやいや。それこそまさかだろう。