逢魔ヶ刻の少女
一月九日。正午過ぎ。七草粥も食べ終え、世間から休みボケが抜け始める頃、その男はふらりとこの町に現れた。
大量の荷物を詰め込んだバックパックと、片手には『カンテラ』を提げた男。どかどかと降り積もる雪をかきわけながら山越えし、この彩花市に入ってきたのだ。
――後に『カンテラ』と名乗る男である。
カンテラは、ボロボロの財布を開く。中身はそれほど入ってないが、別に金が無くて困ることはない。腹は鳴るが、霞を摂ればいいのだから問題ない。身体に必要なモノは太陽の気から生成できるので、仙人である彼にとって金とは、嗜好品の一部であるわけだ。
それ故に、彼は金を稼ごうとする訳だ。楽しくなければ生きている意味がない。怠けたり楽しいことを探したりして、これから先も彼は生きて行く訳だ。
そもそも、仙人としての知識と不老不死を手に入れた彼にとって生とは永遠の暇潰しな訳である。常世に一人引きこもるぐらいなら色んな人と関わっていたい、というのが彼の願望でもあるところだった。
「とは言え、現世には寝床がないと来た」
彼は流浪人である。分かりやすく言えば野宿者である。定住先がないので雨風を凌げそうな場所を探してウロウロしているわけだ。
一応仙人の類なので、その気になれば仙界に引っ込むことができる。が、行くのも帰るのも一苦労なので仙界に行くのは国家権力に追われた時だけにしようと、仙人という割には俗っぽくロクでもないことを考えていたりもする。
とにもかくも、寝る場所は確保しなければならない。風呂トイレベッド付きなんて贅沢は言わないので、濡れず寒くない所が好ましい。別に風邪を引く訳でも凍死もする訳ではないが、寒いより暖かい方がいい。その為に、この町を歩き回る。
ネットカフェはおろか、カラオケボックスすら見かけないのはどうかと思うところだった。そうやってぶらぶらと北へと歩いていると、少し賑やかな場所に出た。どうやら繁華街の類らしい。カラオケボックスはないが、カラオケスナックなら何軒か目にする。その他にも居酒屋や怪しげなモノを売る露天商などなど。この露天商、どうやら人間ではなさそうだ。
「凄い町だな。化け物の類が自然に溶け込んでる」
彼らに気付いている人間も多くはなさそうであるが、少なくもなさそうだ。怪異の類が人に紛れ込んで生活しているなど、他の土地では珍しい。そしてまた、廃墟の類の数も、他の町よりも多かった。
人や、それ以外の気配を感じる廃墟もあるが、基本的に無人のようだ。どこも管理者が仕事をしていないのか、それとも権利関係が宙に浮いているのか、まともに管理されていないようだ。廃墟は繁華街を抜けた辺りから急激に増え始め、十分ほど歩いただけで人の気配まで感じなくなった。
彩花市の開発は列島改造ブームの際に急激に進んだものの、結局それが人の定着させるまでには至らなかった。その結果、このあちらこちらに廃墟が点在するという異様な町並みが出来上がったのだ。
好都合なのか不都合なのか。そういった寝床になりそうな所が多いのはありがたい。が、その分だけ治安が悪いということにも繋がる。下手をして管理者に見つかるのもよろしくない。
見つかった時はその時だ、とカンテラは開き直る。なるべく人の出入りがなさそうな施設を見繕い、侵入する。
どうやら元々レストランだったらしい。机や椅子がそのまま放置されており、テーブルの上に載せられた椅子が栄枯盛衰を物語っていた。
先人の気配は感じない。廃墟はこざっぱりとしており、人の出入りのある廃墟特有の生活感はなかった。
一応、廃墟の中を歩き回る。もし誰かと出くわしたら面倒だ。
ホール、キッチン、バックヤード、事務所と見回る。どうやら九十年代に店を閉めたようで、その頃のカレンダーが掛ったままになっている。
調理器具の類が残ったままだ。使えるかどうかは別として、金属類は換金しやすい。こういったモノが持ち去られていないのは珍しいことだった。
キッチンには目立つ位置に焼き物用の鉄板があり、冷蔵庫がずらりと並んでいる。開業時は常時冷蔵庫が唸り声を上げていたのだろう。
設備のあちこちが錆付いており、鉄板も例外ではない。当時の炭汚れですら分からなくなる程の錆だ。
どうやら本当に人はいないようだ。周囲に人が住んでいる建物が無いところもポイントが高い。
積まれた椅子を並べて簡易ベッドを作り、床に就く。固いベッドだが、地面よりもマシだった。
夜中、ふと目を覚ます。物音が聞こえてきたからだ。
じゅうじゅう、じゅわじゅわ。肉の焼ける匂いが漂う。
はて、こんな時間に料理か。こんな時間までご苦労なことだ、とカンテラは再び眠りに付こうとする。
そして、違和感に気付く。
「この辺、人が住んでそうな建物、なかったような……」
背筋が凍る。跳び起きて、周りを見回す。
何もない。ただ、がらんどうの空間が広がっているだけだ。
なのに、肉の焼ける音が、匂いがこの空間には満ちている。
カンテラは起き上り、がらんどうの空間を見つめる。
――ここには何もいない。じゃあ、どこだ? 肉を焼く場所といえば、そりゃぁ、あそこしかない。
はてさて。それは別に必要のないことだ。気になるなら別の廃墟を探せばよいし、別にやらなくても誰も困らないだろう。
「けれど、まあ。お化け怖いし」
そうぼやき、カンテラは頭を掻いた。
簡易ベッドから降りて、カンテラ片手にキッチンへと向かう。
キッチンに向かうほどに匂いも強くなり、そして音も大きくなる。
じゅうじゅう、じゅわじゅわ。これほど胃を刺激しないステーキの匂いというのも初めてだ。
きぃっと、戸が鳴る。
――果たして、それはそこでこんがりと焼き上がっていた。