ワルツ ~二十歳の頃~
しばらくしてから「ようし、俺も」とやる気を出して、美大の予備校みたいな美術学校に通学しながらのバイトである。そこでも同期の仲間が個展を開き、何枚か売れるのを焦りと嫉妬の気持ちで見ていることになった。
――俺には才能が無いのだろうか――そんな気にもなるが、まだ諦めたくはなかった。
それは単なる意地だけであることもうすうす気づいている。
以前二科展で入選した鈴木の部屋に行ってビックリしてしまった。部屋中に描きかけや完成した作品がいっぱい置いてあって、まさに足の踏み場もないという感じであった。鈴木もバイトをしながら描いているのだが、疲れの色は見えない。女っ気のないのは同じだったが、鈴木はまるで女なんて必要ないという感じだった。鈴木自身が女言葉を使ってなよなよしているのは、高校時代から知っていたが、それさえ天才の証拠なのかなとも思ってしまう。軽い敗北感とともにそれを思い出しながら、それをバネに夢中で描いてみたこともある。それでも進歩が見えなかった。
同居のヒデと絵のことについて少し話をしたことがある。
「これは音楽の話だけど、ある音楽家は聞く人がどうしたら感動するか、心地よいかを考えながら作るって言ってるよ」 ヒデはそう言ったが、俺は違うと思った。
「そんなのは芸術じゃない。すぐ飽きられる」
「じゃあ、絵は見る人のことを全然考えないわけ?」
「そうじゃなくて、こうしたら売れるだろうかと考えることが芸術じゃないって」
「別に芸術じゃなくてもいいじゃない、多数の人が感動してくれれば」
「ちょっと違うんだなあ」
「ピカソが具象から抽象に変わっていった時、こうしたら売れると考えて描いたとは思えないと思うけど」
「ピカソの絵を買いたいと思う素人なんているの」
「ありゃあ、話にならないよ」
そんな会話をしたが、絵に対する情熱をかきたてるような話にはならず、何だかかえってやる気を無くしてしまったような気もする。それにしても、絵を描いていない者と議論して、美術学校の仲間と絵に対して議論することは無かったというのもおかしい話だった。彼らとは安酒を飲んで、有名になっている画家の絵が何万から何百万で売れたという話や女の話、さらにカードを使った賭け事などで時間を潰していたのだ。
彼女が欲しいという思いは絵に対する情熱とは反対に高まっていった。かといってどうすることも出来ないもどかしさが頭をしめる。またバイト代から美術学校の月謝を払うと
微々たる金しか残らず、経済的な問題もとりあえずの課題だ。
止むに止まれず皿洗いにビル掃除のバイトを追加して、少しは経済的に良くなったが、絵を描く時間がずいぶん少なくなった。
作品名:ワルツ ~二十歳の頃~ 作家名:伊達梁川