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相談屋

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 けっこうな密度で竹が生い茂っているので、頭から突っ込むようにして私は中のほうへと足を踏み入れていった。
 枯葉が積もった地面にくっきりと浮かび上がるようにそれは落ちていた。先日、投げ入れてから雨が降った日はない。
 私はそれを拾いあげ、埃を手で払ってそそくさとまた来た道をひきかえした。
 畳の間にもどって襖を閉め、ちゃぶ台に肘をついて本を開く。
 「お前は誰だ」
 最初の頁はその言葉ですべて埋まっていた。
次の頁へ進んでも延々と繰り返しで同じ言葉が続いている。
 先へ読み進めていったが、句読点もはさまず最後まで同じ内容であった。
 私は読み終えて一息つくと、本を閉じた。
姿見の前に立って、自分を眺めてみる。
 鏡の中には、何のことはない普段通りの自分が映っている。髪がだいぶ伸びてきたなと思いつつ頭に手を持っていったところで突然、鏡の中の私がニヤリと笑った。
 私は誰なのであろう?名前を知っていたところでそれが答えにはならない。
 社会的な地位や仕事だろうか。それとも自分の夢や目標が自分というものを表現するのに何か役にたっているのだろうか。
 堂々巡りすぎて危険だ。私は急用を思いついたように飛び上がり玄関に向かった。サンダルをつっかけ引き戸をバタバタと開けると歩き出した。
 考えてみれば、鏡の中の世界を自分のいる世界と同じように扱いすぎではないだろうか?
実体は無いし、左右も逆だ。鏡の中はもっと変わっていていい。それが自然なはずだ。
 思考を撒き散らしながら当ても無く歩いていると喧騒が聞こえてきた。いつの間にか駅の近くにある商店街まで来ていたらしい。子供たちの喚声や主婦の話し声に吸い寄せられるように私は商店街の中へ入っていった。
ふらふらと歩いていると、種々雑多な建物が混じって立っている一画が目に入る。雑居ビル、トタン屋根の家なのか倉庫なのかはっきりしないもの、普通の一軒家など。飾り気のない雑居ビルの隅に薄暗く幅の狭い登り階段がついていて、木製の看板が掲げられている。看板の輪郭は真四角ではなく、所々に木の自然な切り口が残っていた。近づいてよく見ると『相談屋』と書いてある。あまり特徴の感じられない、平凡な字面ではあったが、墨を使って太い筆で書いてあるようだ。
 私はコンクリート製の急な階段を登って二階へと上がった。
 建物の反対側に向かって薄暗い廊下が伸びている。どうもこじんまりとした事務所のようなものが並んでいるようだった。廊下の中ほどにある扉に相談屋と書いてあるのが見える。
 脆そうな磨りガラスの部分を避けて、扉の枠を二度ノックした。返事はなく、中で人の
動く気配もない。磨りガラス越しに中を見ているとはいえ、室内は暗すぎた。誰も居ないのかもしれない。試しにノブをひねって押してみる。少しドアと床が引っかかる感触があったが、扉は奥に押し開けられた。
 正面に重厚感のある大振りの机があり、その前には相談をしにきた者が座るのであろう肘掛けの付いた椅子があった。相談屋という商売、そのままの図式を目の当たりして、自分はしばらくの間、立ちつくしていた。
 我に返り、部屋の中に入ると、右に開いたドアで視線が遮られていた所に、黒いソファが置かれていて、その上に男が、仰向けに寝ていた。
 歳は自分と同じぐらいで、三十代半ばぐらいだろうか。横になっているせいか、判然としない。口を少し開けて、完全に熟睡中といった感じだ。
 まったく起きる様子がないので、部屋をゆっくり見て廻った。
 取調室に入った経験はなかったが、鉄格子のない取調室といった感じの部屋だった。ドアを入って、右手に奥行きのある、長方形の部屋だ。左の壁に背の高い本棚がある。ドアの反対側の壁に、大きな両開きのガラス窓がついていて、灰色の空が見えた。装飾品が無く、生活感を感じさせる物がない。相談屋に余計な物は必要ないということなのだろうか。
 本棚の前に立ち、タイトルをざっと眺めていった。棚が七段に分かれていたが、目の高さにある二段目と三段目にしか、本が置かれていなかった。『新英和和英辞典』、『錠前の開け方』、『埼玉県の民話』、『いいのがれ』、『小六国語』、『万能字典』、などが目に付いた。タイトルや装幀を見る限りでは、小説らしき本が大部分を占めているようだ。
 『錠前の開け方』という本も気になったが、それ以上に『小六国語』が気になった。手にとって中を見たかったが、無断で部屋に入った上に、本を盗み見るのも気が引ける。
 ソファのこすれる音に気付き振り返ると、男が顔をさすりながら体を起こしているところであった。男と目があったが驚く様子は無い。自分も驚きはしなかった。
 「こんにちは・・・依頼人の方ですか?」
 その男の最初の声を聞いた時、違和感を覚えた。「相談屋」という一癖ありそうな商売からは想像できない程、顔も声も服装も普通だった。意外な対応に一瞬戸惑ったのを隠しつつ私は答えた。
 「いえ・・・『相談屋』という職業を見てみたくなったので、来てしまいました」
 ソファに座っていた男は手を頭の後ろで組んで足を投げ出し、寝ていた時の体勢に戻ってしまった。そして、客用の椅子を指差し、座るように勧めてきた。どこにでも居るような人間ではないことが分かって、なぜかほっとしつつ私は椅子に座った。
 男は天井を見つめてじっとしていた。その間、自分は男の服装に目がいっていた。男は白いカッターシャツを着て、カーキ色のスラックスを履いて、茶色の革靴がソファの側に置かれていた。休日を迎えてくつろぐ助教授といった感じだ。一見若そうに見える。しかし、皮膚の艶を注意して見ると、それ程若くはないようであった。
 「何か聞きたい事はありますか?」
 相談屋は唐突に聞いてきた。
 「相談屋っていうのは何をする商売なんですか?」
 「その名の通り、相談を聞いて助言するのが商売の内容だよ。最近の相談内容は退屈そのものでね。自分で考えた方が早いと思えるような相談ばかりだよ。それでも相談に来る人が多いのは、面白い話ではあるね」
 「どんな相談でも受けるんですか?」
 「受けるよ。自分でもどう助言すれば良いのかわからない場合もあるけど、でも話を聞いてあげるだけでも役には立つだろう。ところで君は哲学についてどう考えてる?」
 相談屋が急に威嚇するようにこちらに顔を向けてきた。
 「哲学?・・・」
 なにか相談屋に関係がある質問だろうか。
 「・・・学問のひとつだね」
 「なるほど・・・」
 そう言うと彼は天井を見たまま何も言わなくなってしまった。自分の頭の中には何人か哲学者の名前が浮かんで来たので素直にそのイメージを言葉にしてみたのだった。
 なぜ彼がそんなことを聞いてきたのか、わからなかった。
 言葉を失っていると、残念そうに相談屋は言った。
 「知らないというのは全然悪いことじゃない・・・でも、もうちょっとましな答えを期待したんだけどね」
 自分では、少なくとも人並み以上には知識があると自負していた。しかし、自分に限らず哲学に触れる機会は、そう滅多にあるものではないように思えて、苦々しい気持ちになって言った。
 「普段、哲学とは無縁の生活をしてるもんでね」
作品名:相談屋 作家名:吾唯足知