Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
巨人は咆哮を上げると、無事な方の腕を振り上げ、リゼに向けて拳を振り下ろした。後ろに跳んで避けると、元いた足場は粉々に砕かれ、破片が四方へ飛び散る。リゼは氷片を避けながら背後の岩壁に降り立つと、剣を構えて巨人に突撃した。
剣は巨人の額を貫き、中程まで埋まって止まった。それを支えに巨人の体表に足をおろし、剣に体重をかけて押し込んでいく。同時に、浄化の術を唱えて悪魔を消し飛ばした。
悪魔が消失して、巨人の頭が大きく抉れた。露わになった断面が、体液でぬめぬめと光っている。リゼは崩れていく巨人の頭部を蹴って跳ぶと、残っていた氷塊の上に着地した。
巨人の魔物はその巨体を崩壊させながら、後ろにゆっくりと倒れた。大きな水柱が上がって、冷たい水が大量に飛散する。咄嗟に風で吹き飛ばしたため濡れ鼠になることは回避できたが、湖面に生まれた大波に押され、氷塊は後方へと流され始めた。
「リゼー! こっちですわー!」
声が飛んできた方向を見ると、岸辺に立っていたティリーが大きく手を振っていた。いつの間にかキーネス共々、反対側の岸辺まで辿り着いていたらしい。リゼは足場の氷塊を蹴ると、風の魔術の助けを借りながら岸辺まで向かおうとして、
水面から伸びてきた腕に足を掴まれた。
振り払う暇もない。リゼはあっという間に水の中へ引きずり込まれた。身を切るように冷たい地下洞窟の水。深く暗い流れの中を、リゼを捕らえた魔物は凄まじい速さで泳いでいく。移動速度が速すぎて身動きが取れない。
だがここは水の中だ。リゼは意識を集中すると、魔物のいる方向へ掌を向けた。
『凍れ』
水中で炸裂した氷の魔術は、瞬く間に魔物を凍り付かせていった。魔物は急激に失速し、水底へと落ちていく。諸とも引きずり込まれる前に、リゼは浄化の術で悪魔を滅ぼした。
術を喰らった魔物の身体が崩れ、ばらばらになって沈んでいく。解放されたリゼは水面に浮かびあがろうともがいたが、纏わりついてくる水は重い。魔術を使えば――
しかし風を生み出そうとした時、右から何かが迫ってくる気配を感じた。もう一体いる。
咄嗟に、浮上のために紡いでいた魔術をその気配に向けて撃ち込んだ。暗闇の中で、迫り来ていた魔物が沈んでいく姿がうっすらと見える。一匹仕留めたようだ。だが、魔物の気配はまだ消えていない。周りで何匹も動き回っているのを感じる。まとめて片づけるしかないとリゼは魔術を唱え始めたが、その隙を待ってきたかのように魔物が急接近してきた。
しかし、魔物の腕が目と鼻の先まで近付いて来た瞬間、魔物の接近を拒むかのように音を立てて火花が散った。火花は魔物を焼き、体表を焦がしていく。弾き飛ばされた魔物は、身を翻すと遠くへ泳ぎ去っていった。
予想外の現象にリゼは一瞬呆気に取られたが、すぐに我に返って中途半端だった浄化の術を完成させた。氷槍と共に術を四方へ放つと、水中を波動のように魔術が駆け巡っていく。それは遊泳していた魔物を斬り裂き、次々と沈めていった。
魔物がいなくなって、水中は重い静寂に満たされた。水から上がらなくては。静寂が頭の中にがんがん響いている。リゼは水を掻き分けて、どうにか浮上しようとした。
空気が足りなくて、頭に霞が掛かっている。水面がどこか分からない。方向の見当もつけられなくて、リゼはあてずっぽうに風の魔術を打ち出した。どこへ向かっているのかもわからないまま反動で水中を進んでいく。やがて何かにぶつかった衝撃と膜を突き破るような感覚を覚えて、リゼはそちらへ手を伸ばした。
辿り着いた水面を割って空気を吸うと、霞かかっていた意識が明瞭になった。また沈んでしまう前に、岸辺の岩にしがみつく。しかし水中の魔物がいつまた集まって来るか分からない。その前に水から上がろうと、リゼは岩を掴む手に力を込めた。明かりがなくて、視覚では岸の様子は分からない。しかし気配は感じる。岩を掴む手に力を込めた時、隅の方で蟠っていた気配がこちらに近寄ってくることが分かった。
魔物だ。
(しまった・・・・・・!)
悪魔教徒の番犬が数体、こちらに近づいてくる。岸辺に上がる時間はない。かといって水の中には戻れない。魔物の動きは素早く、避けられそうになかった。
しかし、魔物がそれ以上近づいてくることはなかった。リゼが身構えた瞬間、洞窟の左手から人影が躍り出たのだ。
剣が鞘走る音がして、先頭にいた魔物の首が弧を描いて飛んだ。その首が落ちる前に、別の魔物が体液を吹きながら倒れる。白い光が閃いて、魔物の中の悪魔が消失した。魔術を使わないと捉えられないほどの魔物のスピードをものともせず、彼は瞬く間に魔物を倒していく。
全ての魔物が仕留められるまで、さほど時間はかからなかった。
「・・・・・・アルベルト!?」
なんでここにいるんだ。目の前にいる人物を見て、リゼは目を見開いた。教会の牢屋に入れられたんじゃなかったのか。仮に脱獄したんだとしても、この地下洞窟の中で出会えるなんて。どういうことか問いただそうとしたが、その前にアルベルトが手を差し出した。
「怪我はないか?」
「え? いや、ないけど・・・・・・」
「そうか。よかった」
差し伸べられた手を掴むと、アルベルトは軽々とリゼを引き上げた。岸に上がると、衣服から水が滴って足元に水たまりができる。リゼは髪から滴る冷たい雫を払いのけると、自分の腕をさすった。濡れた身体が洞窟の冷たい空気に晒されて肌寒い。寒さに震えながら服を絞っていると、肩に上着を掛けられた。濡れた身体が冷たい空気に触れずに済んで、思いのほか温かい。彼らしい気遣いに戸惑いつつも礼を言おうとすると、不意にアルベルトに両肩を掴まれた。
「よかった・・・・・・無事だったんだな・・・・・・本当によかった・・・・・・」
俯いたまま声を震わせるアルベルトに、リゼは余計困惑して目を瞬いた。お人好しで心配性だから、内海ではぐれてから安否がわからなくて心配しているだろうなとは思っていたが、こんな反応をされるほどとは思わなかった。安堵のあまり言葉もないらしいアルベルトに、リゼは戸惑いつつ言った。
「大袈裟ね。私がそう簡単に死ぬわけないでしょう」
あれぐらいで死ぬほど人並みな身体をしていない。アルベルトはそれを知らないとはいえ、そんなに心配しなくていいのに。ティリーは大袈裟に抱きついてきたが、それでも涙目になったりはしていなかった。だからこれほど心配されると戸惑ってしまう。
「大袈裟じゃない。君なら魔術で身を守れるかもしれないが、船の沈没に巻き込まれたんだ。万が一のことがあってもおかしくないだろう?」
「それはそうだけど、顔色変えるほどのことじゃないと思っただけ。無事だったんだし」
「無事だったからって心配しなくていいということにはならないよ。君は不死身じゃないんだから。――本当に、無事でよかった」
少し呆れつつも優しげに言ってから、アルベルトは安堵したように微笑む。それを見て、リゼはどうにも落ち着かない気分になった。鬱陶しいのか苛立っているのか。似ているが少し違う。それらもあるが、少なくともアルベルトに向けているのではない。彼に対しては、そう、
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑