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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 背徳の島ヘレル・ヴェン・サハル。悪魔教徒達の本拠地であり、この世の全ての悪魔が喚び出される場所。
「――本物の地獄に比べたら、ただの洞窟なんて天国みたいなものよ」
 ティリーにも聞こえない小さな声で、リゼはそう呟いた。



 悪魔の気配をたどって奥へ進むと、ほどなくして開けた場所に出た。
 そこは見える範囲で推測するに楕円形の形をした、鍾乳石と石筍が立ち並ぶ空間だった。今までと違って流水でなく、静止した水がなみなみと満ちて地底湖になっている。右手の方に別の道が伸びているのが見えたが、そこからは悪魔の気配はしない。気配は、この地底湖の奥から漂ってきているようだった。
 湖の岸辺まで近づいたリゼは、あることに気付いて臭気を遮断するために展開していた風の結界を解いた。新鮮な空気が霧散して消え失せ、むせかえるような水の臭いが押し寄せてくる。だがそこに汚水の不快臭はほとんど混ざっていなかった。
「あら、この辺りは空気がきれいなんですのね」
「みたいね」
 これなら風の結界を張る必要はない。魔力の消耗は大したことないが、絶えず集中していなければならないから結構疲れるのだ。リゼは重い荷を降ろした後のように溜息をつくと、湖面を調べているキーネスに近づいた。
「水は綺麗だな。少なくとも汚水じゃない。洞窟の構造的に、この辺りは汚水が流れ込まないようになっているようだ」
 ここは流れ出る川がリゼ達がたどって来たものと、別に右の方にあるものの二本あるだけで、流れ込んでくる川はない。そのおかげで水は綺麗なままのようだ。しかし、これだけの水量。どうやって維持しているのだろう。どこかで水が湧いているのだろうか。カンテラの明かりは地底湖の奥まで届かない。そこに何かあるのかもしれない。
「それで、気配の発生源はここなんですの?」
「いいえ、この奥よ」
 悪魔の気配は地底湖全体に満ち満ちているが、最も濃いのはこの奥だ。ここからでは何があるか分からないから、近づいてみるしかない。ただ岸を回っても奥まで行くことは出来ないようだ。歩けそうな岩場が途中で途切れているのを見たリゼは、ならば水面を凍らせようと魔術を唱えようとした。
 しかしその瞬間、遠くから物音が聞こえてきた。
 誰かいる。
 洞窟内は暗く静かだ。姿は闇に紛れるが、物音を立てればすぐに分かる。先程聞こえたのは、リゼ達の内の誰のものでもない、革靴が岩を踏み締める音。
 ぴんと冷たい空気が張り詰める。闇の向こうで何者かが息を潜めている。見つかることを恐れるのではなく、獲物を狙う獣のように。
 次の瞬間、キーネスが無言でナイフを投擲した。ナイフは鈍い煌めきを残して闇の中に消えていき、一拍置いて冷たい金属音を響かせる。避けられたのか、何もいなかったのか。岩に当たって跳ね返ったナイフは、ぽちゃりと水音を立てて地底湖に没した。
 それが合図だったかのように、地底湖の奥から奇妙な啼き声が響き渡った。闇が蠢き、湖面がざわめく。咆哮に空気が震え、びりびりとした感覚が肌に伝わった。来る。そう思った瞬間、水柱を上げながら、水中から黒い物が現れた。
 巨大な石筍の上に降り立ったそれは、一匹の魔物だった。つぶれた顔。飛び出した眼球。胴体からは奇妙に長く細い手足が伸び、先端では鋭い爪が並んでいる。獲物を見つけたとばかり鋭い牙をむき出しにした魔物の姿を見て、キーネスは怪訝そうに呟いた。
「なんだあの魔物は」
「あの魔物、メリエ・リドスで遭遇した奴ですわよね」
 魔物を見ながらティリーがそう呟いた。ティリーにとっては二度目だろうが、リゼにとってはこれで三度目になる。メリエ・リドス、バノッサ、そしてここ。共通しているのは、悪魔教徒が関わっていることだ。
「気をつけて。こいつ、素早いわ」
 そう言うと、リゼは剣を抜いた。こいつは悪魔教徒の飼い犬だ。こいつがいるということは、悪魔教徒がこの場所にいるということだ。それもこの先で、番犬を配置してまで守らなければならないようなことをしている。部外者に邪魔をされては困るようなことを。
 再び奇妙な咆哮が響き渡ったかと思うと、今度は天井の割れ目からも魔物が現れた。カンテラの光が届かない岩の向こうから。立ち並ぶ石筍の陰から。湖の中から。悪魔教徒の番犬は次々と姿を現し、数を増やしていく。奴らは集まってリゼ達をぐるりと取り囲むと、威嚇するように吠えた。
「んー『帰れ』って言ってます?」
「『侵入者は死ね』じゃないの」
「まあ。ここにいるだけでアウトですの? 入っちゃダメなら事前に看板でも立てておいて欲しいですわね。『この先進入禁止。入ったら殺す』って」
「無駄口を叩いている場合か!」
 魔物達が襲ってくるのを見て、剣を抜いたキーネスが呆れたように叱咤する。だがその心配は杞憂だ。もう準備は済んでいる。
 リゼは魔術を唱えると、目の前に氷壁を創り出した。突進してきた魔物は次々と壁にぶつかり、跳ね返って耳障りな声を上げる。そこへすかさず氷槍を降らせて魔物の頭部を次々と貫いた。地面に縫い止められた魔物はもがき苦しんだが、すぐさま浄化の術で滅ぼされて動きを止める。悪魔は浄化され、魔物はただの黒い肉の塊と化した。
 この魔物は素早い。だから自分から斬りかかるのではなく待ち構えていればいい。リゼは剣で氷に飲まれた魔物の頭部を貫き、風の魔術で薙ぎ払う。ティリーは展開した重力魔術で魔物を捕らえ、キーネスは捕らわれた魔物を一体ずつ仕留めていく。それでも仕留めきれなかった魔物の爪が身体をかすめたが、その隙に何とか魔術で捕らえた。
 だが、魔物はそれだけではなかった。三人がかりで魔物を追いかけ、数を減らしたころになって、派手な水柱が上がって、湖の中から新たな魔物が現れたのだ。
 それは巨大な人の形をしていた。無数の魔物が一つに集まり、一体の巨人となったようだ。体表から無数の腕が伸び、目は頭部がいくつも集まって複眼のようになっている。腰と思われる部分から下は水中に没していて、巨人の魔物が動く度に湖面に大きな波紋が出来た。
「あんなのもいたんですの!?」
「らしいな――避けろ!」
 巨人が拳を振り上げたのを見て、キーネスは警告を発した。巨人はその巨体に似合わぬ速さで拳を振り下ろし、岩場をいともたやすく陥没させる。リゼはその攻撃を避けて飛んだが、他に足場となる場所はない。湖に着水する直前に、リゼは魔術を発動させた。
『凍れ』
 凍りついた湖面に着地して、リゼは巨人と対峙した。氷は瞬く間に湖面を覆い、巨人の元に辿り着く。身動きが取れなくなった巨人は、叫びながら自由な腕を振り上げて、氷を破壊しようとした。
 その瞬間、深紅の炎が巨人の頭を包み込んだ。燃え上がる業火は巨人を焼き、真っ黒に炭化させる。皮膚は表面だけだったが、目を焼かれたのはさすがに堪らなかったようだ。人間のように炎を払おうとし、腕をバタバタと動かす。そこへキーネスが飛び掛かり、すり抜け様に巨人の胴を斬り付けた。
 巨人の注意がキーネスに移った。目はもう見えないのか、キーネスがいる方向へめちゃくちゃに拳を振り下ろし、誰もいない氷を砕いていく。リゼはその隙に残された足場をたどりながら巨人に近づくと、その片腕を風の魔術で切り裂いた。