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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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「住民――退治屋達の何人かが言っていたんだが、採ったダチュラの種を箱詰めにして置いておくと、月に数度、商人らしき男達が箱を持っていくらしい。代金代わりにこの集落では手に入らない物資を置いていくらしいが、話しかけても無言のままで、彼らが何のために種を持っていくのか、全く分からなかったらしい」
「本当はダチュラの種は麻薬の材料で、その商人らしき男達は麻薬の密売人かその手先だったということか」
「そういうことみたいだな。オリヴィアがダチュラは危険な植物だから、決まった場所でしか栽培されていないと言っていたし」
 実家が薬草問屋で植物には詳しいというオリヴィアが詳しく教えてくれたのだが、ダチュラはその危険性から栽培が規制されており、数少ない許可されている栽培地にこんな場所は含まれていないのだという。そもそもフリディスがアスクレピアの住民を増やすために育てていたものだし、自生しているものでも採って販売するのは違法なのだそうだ。月に数度、ダチュラの種を買っていく商人とやらは、まず間違いなく麻薬に関わる者だろう。
「なら――」
 アルベルトの説明を聞いて、何か考え込んでいたリゼがぽつりと呟いた。
「なら、ここにいたら密売人の奴らと鉢合わせするということかしら」



 深夜。
 夜闇に沈む集落を、月と星の清かな光が照らしている。
 住人達の大部分はとっくの昔に眠りについている時刻。まだ起きている者もいるかもしれないが、薪や油が無駄になるから明かりは最小限に抑えているのだろう。月と星以外に光源はなく、アスクレピアは静かに、夜の帳に包まれている。澄んだ月の光を浴びて、少し傾いだ家々は黒い影を落としていた。
 その闇の中を蠢く複数の黒い影があった。影は音を立てず、静かに家々へと近づいていく。硝子はない、木の格子だけの窓から、影は中の様子を窺った。簡素な寝床の中で、部屋の主は薄い布団にくるまって微動だにしない。
 ほとんど音を立てず、窓の格子が斬られて落ちた。元から雑な作りだったので簡単に壊れてもおかしくないが、それにしても影の手際は見事だった。人一人が容易に通れる隙間ができたところで、影は静かに室内へ降り立つ。
 窓から差し込む月光が侵入者によって遮られた。月の光で蒼く照らされた室内に落ちる黒。それ以外に動く者はいない。侵入者はゆっくりと寝床にいる部屋の主へと近づいた。どこからか取り出した、黒塗りされた剣を手にして。
 その時、薄い掛け布団がばさりと宙を舞った。
『凍れ』
 布団を頭から被った侵入者に向けて、リゼは魔術を放った。氷雪が走り、壁際まで吹き飛ばして氷漬けにする。侵入者は抜け出そうと身じろぎしたが、当然その程度では抜け出せない。
「夜中にいきなり何の用かしら。一体どこの誰?」
 侵入者は答えず、どうにか抜け出そうと足掻いている。布団をかぶったままだから表情は見えない。
 まあ、どこの誰かは大体見当は付いている。今夜来るとは思わなかったが、あいつらの手先で間違いないだろう。目的は――口封じか。
 標的は自分だけということはないだろう。他にも仲間がいるはずだ。耳を澄ますと、遠くから剣戟の音が聞こえてくる。誰かが交戦しているのか。
 加勢しようとリゼは寝床にいる間も抱えていた剣を腰に差した。剣帯を留め、剣はいつでも抜けるようにしておく。
 あとは侵入者だが、仲間が来て抜け出されては困るのでこのままにしておくわけにはいかない。話を聞ける奴がいた方が良いし、完全に氷漬けにして再起不能にしておくか。ついでに素顔を確認しておこうと――覆面をされていなければの話だが――リゼは侵入者に近付いて、そいつが被ったままの布団をはぎ取ろうとした。
 手を伸ばしたその瞬間、嫌な予感がして、リゼは後方に飛び退いた。
 途端、目の前に黒い闇が広がった。月が雲に隠れたのではない。窓も明かりもない部屋に閉じ込められた時のような、目の前にあるものすら分からない真っ暗闇だ。
『清かに煌めきたる光。我が行く末を照らせ』
 リゼはすぐさま右手を広げ、静かに光の魔術を唱えた。魔力が収束し、掌に小さな光球が生成されていく。闇の中で、それは確かな輝きを見せ――
 完成直前であっけなく砕け散った。
 得意分野ではないとはいえ、光魔術が阻害されたということは、これは高威力の闇の魔術だ。仕掛けたのは、あの氷漬けになった侵入者ではない。すぐそこにもう一人いたのか。
 魔術が発動する直前の張りつめるような空気が流れる。一拍おいて闇の向こうから何かが押し寄せてきた。咄嗟に氷壁で防いだが、一部突き抜けてきた魔術が腕をかすめる。腕の皮膚が綺麗に斬り裂かれ、血が滴るのを感じた。
(風の真空刃か)
 相手の位置が分からないので、魔術が来た方向へ向けてあてずっぽうで氷槍を撃ちこんだ。氷槍が何かにぶつかり、砕け散る音。音からして、敵にはあたっていない。そう思った瞬間、風の塊が襲い掛かってきた。
 殺傷力はなかったが、吹き飛ばされて後ろの壁に叩きつける。氷壁を創ることで追撃は防いだが、相手の位置が分からないことには動きようがない。いっそ風で全部吹き飛ばすか。敵がすぐ近くにいるのは確かなのだから、視えなくても広範囲を一気に吹き飛ばせば当たるはず。
『悠久の時を過ぎ行く風よ。翠の流れとたゆたいし、勝利を奏でる精霊よ』
 闇の向こうで再び魔力が高まるのを感じた。また、敵が魔術を撃ってくる。
『我が魂が結ぶ盟約。我が意志が紡ぐ力。其に従い、其を対価として、我に力を与え給え』
 風を切る音と共に、頬をかすめて何かが通り過ぎて行った。魔術ではない。ナイフだ。敵の魔術師か、氷漬けにした侵入者か、それとも新しく来た奴らの仲間か。こちらも術を唱えていることに気付いて妨害しようとしたのだろうけど、直撃しなかったことを見るに相手にもこちらの姿が見えていないらしい。
 しかし、敵の魔術は完成しつつある。こちらはまだ少しかかる。間に合うのか。
『我が願うは、動乱齎す猛き烈風。空と大地を巡り行き、無限の時空を奔り行き――』
 その時、魔力の流れで敵の魔術が完成したことが分かった。こちらの魔術は間に合わない。負傷を覚悟で魔術を発動した後の隙を狙って、この魔術を使うしか――。
 そう考えて、リゼが身構えた時だった。
 派手な音を立てて、部屋の扉が開かれた。誰かが暗闇を突っ切って敵の方へ向かっていく。呻き声と人が倒れる音。完成した魔術が明後日の方向へ迸っていく。そして次の瞬間には、視界を覆っていた黒い闇が瞬きするうちに消え去っていった。
 月の蒼い光が目に飛び込んでくる。にわかに明るくなった部屋の中には、二人の黒服の男と、剣を手にしたアルベルトが対峙していた。



 リゼが使っていた部屋の中は、黒服の男達の襲撃でめちゃくちゃになっていた。床や壁には斬り裂かれたような傷が奔り、窓があった場所は大穴が空いている。その穴の向こう、小屋の外と中の境目に、黒いローブを纏った魔術師が立っていた。