Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
ぐすぐすと泣くふりをしていると(いや本当に泣きたいぐらいだったが、さすがにすぐ涙が出なかったのだ)、呆れた様子でオリヴィアが呟く。でも寂しいのは本当なのだ。自慢じゃないが実家では大勢の義兄弟姉妹(きょうだい)に囲まれ、退治屋業を始めてからもキーネスやオリヴィアと一緒だったので、一人でいるのは慣れていないのだ。
「大丈夫ですよ! わたしが一緒にいますから! お仕事も手伝います」
勇んでそう言ったのはシリルだ。慰めてくれるのか、とゼノは泣くのをやめる。冷血な親友と思い切りが良すぎて時にそっけない仲間とは違って、シリルの笑顔は眩しいくらいだ。しかし、その気持ちはとても嬉しいのだが、一つ問題がある。
「でもおまえ魔物退治はできねえだろ?」
「あ、そうでした・・・・・・」
せっかく思いついたアイディアが実行不可能なことに気付いてしゅんとするシリル。ザウンで魔物に襲われた時のことを考えるとシリルはそこそこ剣が扱えるのだが、使えると言っても所詮は護身用。退治屋業に生かせるほどではない。第一、彼女はゼノの護衛対象なわけで、そんな危険なことをさせるわけにはいかないのである。
とはいえ、
「ありがとうな、シリル。ま、おまえの護衛の仕事もしないといけないし、全く一人にはならないよな。よかったよかった」
そう言うと、シリルはほっとしたように微笑んだ。ちらりと右に視線をやると、キーネスと視線が合った。すぐに逸らされてしまったが、おそらく申し訳ないと思っていたのだろう。親友は冷たいし毒舌家だし何かと厳しいが、根は真面目で義理堅いことをよく知っている。今更、考えを変えたりしないことも。
仕方ない。多少は妥協してやるか、なんて思いつつ、ゼノは退避させていた皿を手に取ると、すっかり冷めてしまったスープを口に運んだのだった。
アルベルト達がアスクレピアに滞在して、早一週間が過ぎていた。
記憶喪失になった退治屋達の治療はほぼ終わりつつあった。神殿を出入りして必要な量のエゼールを集め、解毒と傷の手当てに一日を費やす。長らく種を植え付けられていたためにすでに手遅れだった者も幾人かいたが、集落にいた大半の人間を治すことができたのは僥倖だった。
今は畑に咲き乱れていたダチュラも貯蔵されていた種も焼き払われ、アスクレピアの集落に不穏の影はない。温かい光の射す集落を歩きながら、アルベルトは目的の人物の姿を探した。途中何人かの退治屋とすれ違うが、探している人はいない。一通り集落の中を見まわった後で、アルベルトは集落の西へと足を向けた。そして、
「こんなところにいたのか」
アスクレピア神殿へと続く階段の一番上で、柱の陰に隠れるように立ったリゼはじっと神殿の入口を見つめていた。蔦と苔に覆われたアスクレピア神殿は、西へ傾いた太陽の光で明るく照らされている。神殿の奥にあった黒い気配はもうどこにもない。神殿に君臨していたものは跡形もなく消滅したからだ。まだわずかばかりの悪魔が残っているが、今すぐ害になるほどではないし時間さえあれば全て浄化するのは訳ないだろう。
「なにをしているんだ?」
アルベルトに問われて、リゼはこちらに視線を向ける。少し、いやかなり疲れたような顔をしていた。
「考え事よ。この辺りには人がいないから。下じゃ集中できない」
「ああ、なるほど・・・・・・」
毒はエゼールで中和できたものの、ダチュラの根は身体の奥深くまで食い込み、多くの退治屋達は深い傷を負っていた。後遺症が残りかねないほどの重傷を負っている者もいたが、それでもほとんどの退治屋が無事に回復することができたのは、リゼが癒しの術で退治屋達を治療していったからだった。そうでなければこんなに速く退治屋達の治療は終わらなかっただろう。
ただ問題は、ミガーでも扱える者はいないという癒しの術を使ったために、リゼは完全に退治屋達の注目を集めてしまったということだった。ことに魔術師達は率先してリゼの話を聞きたがり、当然ながらティリーもその中に加わっていた。集落の中にいると大体そんな状態になるので、騒がしいことを嫌う彼女がこんなところに退避しているのも致し方のないことだろう。
東からの爽やかな風が吹き抜けていく。
「それで、何か用?」
「ああ、そろそろ出発できそうだから、明後日にはコノラトへ向かおうかという話になってるということを伝えたくて」
ここから一番近いコノラトへ向かうためには、魔物が跋扈する人喰いの森と例の猪が棲む禁忌の森を通る必要がある。アルベルト達がここに来る時はキーネスの案内があったため猪に遭遇することはなかったが、今度は大人数だし、キーネスの案内があっても見つかる可能性がある。ゼノとシリルが森を通った時も襲われたそうだから、退治屋達の体調が万全になるまで出立を見合わせていた。それがつい先程、そろそろ出発できるだろうということになったのだ。
そのことを告げると、リゼは「そう」とそっけなく言って、また何か考え込むように柱へ背を預ける。しばらく思い詰めた表情で沈黙していたリゼは、不意に視線をこちらに向けるとこう尋ねた。
「訊きたいことがあるんだけど――あなた、フリディスが最後に言っていたこと、聞いていた?」
「最後に言っていたこと? いいや。木の根や蔓の相手をしていて、ほとんど聞き取れなかった――何か、気になることがあるのか?」
すると、リゼは「聞いてないならいい」と言って、
「大したことじゃないわ。私は消えたはずだとか我々を滅ぼすだろうだとか、訳の分からないことを喚き立てていただけだから」
別段気にした風もなくあっさりと答えた。しかし、アルベルトにもフリディスの発言の意味はよくわからないが、簡単に無視していいことでもないような気もする。「消えたはず」とか「我々を滅ぼすだろう」とか、穏やかな表現ではない。
「――フリディスは本当に“神”なのか? ミガーの神のことはよくわからない。でも、本当に“神”なら、フリディスの言ったことは何か大きな意味があるのでは・・・・・・」
正直なところ、アルベルトはフリディスが“神”であるなんて信じられないままだ。悪魔とは少し違う“何か”であるのは確かだが、“神”があんな風に話し、人を害するものだろうか。
「さあ。悪魔とは少し違うのは確かだけど、強い悪魔が“神”を名乗っていただけかもしれないわ」
「なら、“神”ではないかもしれない・・・・・・?」
「どうかしらね。“神”ってものが何であるかによるわ。なんにせよ人に取り憑いて害を為すなら、それは悪魔と同じよ」
一際強い風が吹いて、遠くの人喰いの森の樹々がざわざわと揺れた。
「それより、ダチュラのこと、何か分かった?」
「ん? ああ――」
ダチュラ。記憶喪失になる毒が含まれる植物。アルベルトがこの植物のことを知っていたのは、メリエ・リドスで貰った麻薬の原料に関する覚書があったからだった。麻薬の原料であるダチュラ。それがここにあるのなら、麻薬を製造している者がアスクレピアに採りに来ている可能性がある。そう思ったアルベルトは、ここ一週間、退治屋達にダチュラを採りに来た者がいないか聞き込みを続けていた。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑