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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 グリフィスが言っていた言葉を思い出す。なるほど。やはりあの魔物は麻薬の番人で、悪魔教徒が仕掛けたものらしい。この見慣れぬ魔物は、奴らの飼い犬なのだ。
「あいつを殺しちゃえ」
 リリスはまさしく飼い犬にそうするように、魔物に命じた。それに応えるように、魔物が唸り声を上げる。鋭い爪が床をひっかき、嫌な音を立てた。
 リゼは剣を構えると、魔物と対峙した。奴とはメリエ・リドスで一度戦っている。倒したのはアルベルトだが、全く未知の相手ではない。こいつは素早いが、魔術を使えば倒せるはず。
「待ちなさい!」
 その時、礼拝堂の左側の扉が開いて、澄んだ声が礼拝堂中に響き渡った。思わずそちらを見ると、何か細長いものを持った人物が目に映る。それが誰なのか気づいて、リゼは驚いた。
「アン!? 何してるの! 戻りなさい!」
 水差しを取って戻ってきた時に、リゼが井戸にいないことに気づいたのだろう。それで探しているうちに礼拝堂での騒動に気づいたのだろうが、わざわざ乗り込んで来なくてもいいだろうに。これ以上一般人がいてもお荷物が増えるだけなのだ。
 しかし、アンは魔物を見てもおびえる様子は一切なかった。それどころかリゼのそばまでやってきて、一緒になって魔物とリリスに対峙する。
「事情はよくわかりませんが、クリストフ様とテオ殿が負傷されているのはあの子のせいなのですね。こんなこと、許せません」
「あのね。見ての通り、今、魔物が目の前にいるの。あなたがいたって邪魔よ」
 事態がよく飲み込めていないにも関わらず堂々と魔物の前に立つアンに、リゼは苛立ちながらそう言った。いや、その認識は間違ってはいないのだが、この分では一から十まで見ていたわけでないだろう。その状態で、しかも一般人なのにこんな場所に来るなど無謀すぎる。しかしアンは聞く耳を持たない。
「いいえ。あなたを一人にしておくわけには参りません! 微力ながらお手伝いします!」
 そうのたまい、どこで見つけてきたのか鉄の棒を握り締める。しかし、棒を構える姿はどう見ても素人そのもので、手伝いどころか邪魔になるだけだ。
「余計なことを・・・・・・」
 いつものように魔術を駆使すれば、魔物一匹倒すことなど造作もない。しかし、アンがいては満足に魔術が使えない。剣技だけで奴を倒さなければならない。
(・・・・・・殴って気絶させるか)
 些か物騒なことを考えたが、気絶した人間を抱えるのもそれはそれで面倒だ。ただでさえぶっ倒れている人間が三人もいるのに――
(どうす――)
 その時、直感が告げるままに一歩後ろに下がると、魔物の爪が目の前を通り過ぎて行った。頬にひやりとした感覚が奔り、一拍遅れて生温かい液体が流れ落ちる。魔物は獲物を捕え損なって壁に激突し、くぐもった声を上げたが、すぐにこちらへ向き直って唸り声を発した。
(・・・・・・見えなかった)
 今の突進、全く目で追えなかった。直感に従わなかったらあの爪の餌食になっていただろう。だが正直、次も勘でよけられるとは思えない。
「い、今、何が起きたのですか・・・・・・?」
「アン、下がって。邪魔よ」
 リゼは戸惑うアンを押し戻して、壁際まで下がらせた。一般人の彼女が魔物のスピードについていけるはずもない。本当に邪魔でしかないので、おとなしくしているか、さっさと礼拝堂から出て行ってほしい。
「ソフィア殿、あの魔物は・・・・・・」
「話しかけないで。ていうか邪魔だからさっさとここから離れて」
「でも、あなたを一人には」
 アンはしつこくそう主張したが、付き合ってなぞいられない。リゼは何か言いたげな彼女を無視して、魔物に向かって駆け出した。
 魔物はすでに方向転換を終えて、こちらの隙を窺うようにゆっくりと床を這っていた。奴は近づいてくるリゼを見て、耳障りな唸り声を上げる。その脳天めがけて、リゼは刺突を放った。
 しかし魔物は機敏な動作でそれを避け、瞬時にリゼの後ろに回りこんだ。剣先はかすりもしない。すぐさま振り返ったが、魔物の爪がすぐ目の前まで迫っていた。
 爪は剣の腹をひっかき、嫌な音を立てた。同時に服が避け、血の飛沫が散る。痛みをこらえて剣を振るったが、軽々とよけられてしまう。こいつ、メリエ・リドスの時の魔物より速い――そう思った時、背中に焼けつくような痛みが走り、リゼは前方につんのめった。
「ソフィア殿!」
 リゼが負傷したのを見て、アンは悲鳴のような声を上げ、それどころか駆け寄ってこようとする。だが、今来られても邪魔なだけだ。「来るな!」と叫ぶと、アンはぴたっと足を止めた。
 しかし、時はすでに遅かった。魔物は何を思ったのか、アンを標的に変えたのだ。
 魔物の飛び出た眼球で睨みつけられ、アンはひっと息を飲んだ。棒を放り出しすぐに逃げようとしたが、パニックになったのか足が絡み、数歩もいかないうちに転んでしまう。牙を剥き、唸り声を上げながら魔物がゆっくりと近づく一方、アンはかろうじて立ち上がったものの、恐怖のためか完全に硬直してしまい、ただ茫然と魔物を見ているだけだった。
 止める間もなく、魔物が地面を蹴った。
 奴は瞬く間にアンと距離を詰め、牙を剥いて飛びかかった。アンは両腕で頭をかばい縮こまるが、そんな行動に意味はない。魔物は人の腕の肉など軽々と抉り取ってしまうだろう。奴の爪と牙にかかって、むごたらしく殺されてしまうだろう。
 あのままなら。
 ほとんど反射的にリゼはアンの元へ走った。滑りこむように彼女の目の前まで向かい、剣を構える。そして次の瞬間には、魔物が勢いよくぶつかってきた。
 魔物が噛みついたのはアンでもリゼでもなく、細いレイピアの刀身だった。魔物はそのまま口の端が避けるのにも構わず、凄まじい力でこちらへ近づこうとする。知能は低いのか、剣に喰らいついたまま離れようとしない。ただ、目の前の獲物に襲いかかろうとしている。さらに、魔物は細長い手を伸ばして、剣を支えるリゼの両腕を掴んだ。魔物の爪が皮膚に食い込み、血が腕を伝って落ちる。
「何してるの、速く逃げろ!」
 硬直したままのアンを叱咤すると、彼女はようやく我に返ったらしい。ほとんど這うようにして、その場を離れていった。邪魔するだけしてこれなのだから、全く持って迷惑だ。しかしこれで、お荷物はいなくなった。
 だが、魔物が剣に喰らいついているせいで、リゼも身動きが取れなくなってしまった。背後は壁。魔物の膂力は凄まじく、じりじりと追いつめられている。
 壁際に追いつめられる前に、リゼは思いっ切りのけ反った。魔物は勢いのまま、リゼの上を通り過ぎていく。その瞬間、リゼは横に転がりつつ、魔物の口から剣を引き抜いた。
 魔物は壁に正面からぶつかって、ぎゃあぎゃあと泣きわめいた。口は裂かれ、体液が滴っている。だが獲物を求める本能からか、引くことはしない。魔物はすぐさま跳躍すると、血をまき散らしながら鋭い爪を振り上げた。
 何とか爪を躱し、リゼは柱の陰に回り込んだ。魔物は障害物のことなどお構いなしに爪を振るい、柱に深い溝を作る。その隙に柱から離れ、祭壇の前まで退避したリゼは、そこに落ちていたあるものを拾い上げた。