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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 クリストフはリゼが来たことに驚く様子もなく、心配そうにそう言った。まあね、とリゼが返すと、彼は頭を下げ、心底すまなさそうに謝罪する。
「弟が君に大変なことをしたようだ。兄として謝罪する。本当に、すまなかった」
「・・・・・・彼はどうしたんですか」
「地下牢にいる。客人を殺しかけたんだ。弟とはいえ、許す訳にはいかない」
 いいや、違う。テオじゃない。直感だが、彼は嘘をついていない。第一薬湯に毒を入れたら、誰が犯人かすぐに分かってしまうではないか。そんな単純なことをするほど、テオは馬鹿ではないだろう。
 だが、それを証明することはできない。そもそも確証もない。直感だけで、彼を擁護するのは無理がある。そして、今したいのはそのことではなかった。
「一つ聞きたい。悪魔祓いをしたというのは本当?」
 時間が惜しいから、リゼは単刀直入に尋ねた。
「ああ、そうだ」
 クリストフは静かに、しかしきっぱりと首肯した。
「どうしてそんなことが・・・・・・」
「天啓だ」
 クリストフはそう言って、祭壇の方を向いた。燭台の明かりが、彼の白い法衣を照らしている。
「ここで祈りを捧げていたら、天井から眩いばかりの光が射し、御使いが現れたんだ。御使いは私に神の力を与えると言って下さった。その力で、人々を救うようにと」
 空を仰いで、クリストフは静かに言う。
「この力があれば、多くの人を救える。気休めじゃない。誤魔化しでもない。たくさんの悪魔憑きを救うことが出来る」
 両手を掲げたクリストフの声は、歓喜に満ちていた。彼にとっては念願の力。欲しくてたまらなかった力だろう。だが、
 神の力だというなら、何故こんなに嫌な予感がするんだ?
「・・・・・・もう一つ聞いていいですか。あなたが悪魔祓いをしたあの男性は今どこに?」
「そこの部屋だ。他に空いている部屋がなかったから、そこに泊まってもらっている。それがどうしたんだ?」
 クリストフは礼拝堂の右手の部屋を指して不思議そうに言った。だがリゼは礼もそこそこに、彼が示した扉に近づく。ノックもせず扉を開くと、家具の少ない、ベッドと机があるだけの狭い部屋が現れた。
 中にいる男は、ノックもしなかったことを咎めることはなかった。部屋には静寂が満ちたまま。明かり一つすらない。その中心で、男はじっと立っている。リゼは男の様子を観察した後、無言のまま扉を閉め、こっそりと閂をかけた。
 それからリゼは踵を返し、クリストフの元へ行った。不思議そうな顔をしてリゼの挙動を見ていた彼に、
「この町を出ます。剣を返して下さい」
 そう言うと、クリストフは驚いたような顔をした。
「え? ああ・・・・・・しかし身体の具合は・・・・・・」
「それならほぼ治りました。祖父の教えで、毒を飲んだ時の対処法を知っているので。それより毒を飲ませるような人がいる町に長く留まりたくありません」
 わざと強い口調で言うと、クリストフは引き留める理由もないと悟ったようだ。
「・・・・・・もっともだ。剣を返そう」
 そう言って、懐から小さな鍵を取り出した。そのまま礼拝堂の隅にある物置に近付き、鍵穴に鍵を差し込む。クリストフは開かれた戸から、布に丁寧に包まれた細長い物を取り出した。剣は彼の私室ではなく、こんなところにあったらしい。予定通りの場所を探ししていたら、見つけられないところだった。
 クリストフは捧げ物を持つように剣を両手に乗せると、リゼの元まで運んだ。
「海水で濡れていたから、洗って磨いておいた。勝手なことをしてすまないが、錆びたりしていないはずだ」
 クリストフが布を解くと、見慣れた銀の柄が現れた。魔法陣の形の装飾が、ランプの明かりで鈍く光っている。磨いておいたという言葉通り、見える範囲に錆びも曇りもない。リゼは剣を受け取ると、柄を握り、鞘から一気に引き抜いた。
 そしてリゼは曇りのない銀の刃を、クリストフの首元に押し当てた。
「な、何を・・・・・・」
「動かないで」
 わざと低い声で言うと、荒事には慣れていないのか、クリストフは青い顔をして固まった。下手に反撃されたら氷漬けにしなければならなくなるから、大人しくしてくれるのはありがたい。さすがに助けてくれた恩人を氷漬けになどしたくなかった。
「時間がないからさっさと答えて。あなたはあの男性以外、誰かに悪魔祓いをした?」
 問いかけると、クリストフはおびえながらもすぐに答えた。
「い、いいや。していない。悪魔祓いをしてから、ずっとここで祈っていた」
 嘘ではないだろう。嘘をつくメリットもない。あの男性以外悪魔憑きはいないし、そうすぐに取り憑かれたりしないから当然だが、他の人間に術を使っていなくて安心だ。もし町の人達があれを知ったら、パニックになるかもしれない。
「それが一体――」
「黙ってろ」
 リゼの質問にクリストフは疑問を抱いたようだが、説明している間が惜しい。リゼは一言でクリストフの台詞を封殺し、目を閉じて意識を集中させた。
『虚構に棲まうもの。災いもたらすもの。深き淵より生まれし生命を喰らうもの』
 ゆっくりと唱えると、足元に魔法陣が出現した。空気が渦巻き、魔力が風を起こす。幾何学模様が描かれた光の帯が、クリストフを取り巻いた。
『理侵す汝に我が意志において命ずる。彼の者は汝が在るべき座に非ず。彼の魂は汝が喰うべき餌に非ず』
 渦巻く光の中、クリストフは苦しげな表情をした。光の帯が近づくたび、身体を振るわせ、膝をつきそうになる。その彼の身体の中には、黒いものが蟠っていた。
「やっぱりその力、ロクなものじゃなかったようね」
 どうやってこの力を得られたのだろう。クリストフに取り憑き、悪魔祓いの力を与えていたのは、悪魔だった。いや、本当は悪魔を祓ってなどいない。そんな風に見えただけか、一時的に離れさせただけだろう。あれを見た以上、そうとしか思えない。
 だから、さっさとクリストフの悪魔を祓ってしまわなければ。
 リゼはさらに魔力を集中させると、中断していた術を再開した。
「待て! この力があればたくさんの人を救えるんだ! これから救っていくことが出来るんだ! だから奪わないでくれ!」
 クリストフはリゼが何をするつもりなのか察したらしい。光の帯の中から必死に懇願する。だが無理だ。悪魔の力(そんなもの)で人は救えないのだから。少なくとも、今クリストフの持つその力で、悪魔憑きは救えない。
 救えるはずが――
 その時、すさまじい音と共に、部屋の扉が蹴り開けられた。振り向く間もなく、飛び込んできた人物に突き飛ばされる。バランスを取り損ねてよろめき、膝をつきそうになったが、何とか体勢を立て直した。顔を上げ、先程まで自分がいた場所を見ると、そこには息を切らしたテオが、クリストフを庇うように立っていた。
「兄を殺さないでくれ」
 絞り出すように、テオは言った。
「恨むなら僕を恨め。兄は関係ない。責任があるのは僕だ」
 クリストフを庇うように両手を広げたまま、テオは必死に懇願する。確かにクリストフの喉元に剣を突きつけているこの状況を見たら、そう思ってしまうだろう。だがもちろん、リゼにそんなつもりはない。まさかテオが来るとは思わなかったが、こうなったら説明するしかない。