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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 扉を開けたアンは、リゼが寝間着から着替え、小鞄まで持って立っているのを見て目を丸くした。手に箒を抱えているところを見るに、掃除に来たらしい。リゼは「自分でやるから置いといて」とだけ言って、さっとアンの横をすり抜けた。
「え? ちょっと、どこへ行くんですか? まだ安静にしていた方がいいですよ!」
 慌ててアンが引き留めようとしたが、リゼは足を止める気はなかった。そのまま廊下を歩きながら、振り返らずに言う。
「少しは動いた方が治りが速い」
 アンの話によると三日も寝ていたようだし、ある程度動かないと身体が鈍るのだ。幸いなことに、ここは教会から異端とされたデミトリウス派の町。ここには礼拝堂はあれど、本家たるマラーク教の教会とは繋がりがない。つまり手配書のことを知らない。外に出ても、そこまで問題はなさそうだった。
 それに、外出の理由は運動したいからだけではない。
「それに、この町を見て回りたいから」
 バノッサは悪魔憑きが互いに助け合って生活する町だ。当然、ここには悪魔が大量にいる。気配は濃く渦巻き、気持ち悪いほどだ。こんな状態ではどちらにせよゆっくり休めない。静養するためには、静養できる環境が必要だ。
 静養したい訳でもないが。
「待って! わたしも行きます!」
 リゼが階段を降りようとした時、後ろでアンがそう言った。物音がするのは、箒を置いているからだろうか。リゼがため息をつきつつも歩くスピードを緩めないでいると、どたどたと音がしてアンが走って追いかけてきた。
 一階まで降りて玄関に向かう頃には、アンはリゼの隣に当然のように並んでいた。大げさにため息をついてみてもアンは動じない。
「なんで私についてくるの」
 玄関の扉を開けつつ、隣のアンに問う。すると彼女は、
「まだ住まいも仕事も頂いてないので、引き続きあなたの看病をすることにしたんです。この町に来たばかりで、他に親しい方がいませんから」
「看病ならいらないわよ。それに、別に私とも親しくないでしょう」
 目を覚ましてから約一日。必要最低限の会話しかしていない。それも体調のこと以外ではバノッサについて教えてもらったくらいで、お互いのことについては、名前ぐらいしか知らない。親しいというには無理がある。大体、看病のためなら散歩にまでついてくる必要はないではないか。
 リゼはもう一度ため息をついてから、ニコニコ笑うアンをじろじろと見て、ふとあることが気になった。
「そういえば、あなた、この町の人じゃないの?」
 アンの身なりは質素で使い古されたものだが、彼女自身が纏う雰囲気がどこか町娘らしくない。上品でしとやかといった感じだろうか。いやむしろ、どこか浮世離れしているような・・・・・・
「はい。先程も言いましたが、実はわたし、この町に来たばかりで」
 アンは頷いてそう答えた。
「つい最近まで、両親と巡礼の旅をしていました。しかし旅の途中、両親とも悪魔に取り憑かれてしまって――。すぐに教会へ向かったのですが、間に合いませんでした」
「・・・・・・」
「本当に突然のことで、驚いてしまって――そんな時にこの町のことを知りました。悪魔憑きとその親族が、互いに助け合いながら穏やかに暮らしていると」
 バノッサの町並みは、決して整っているとはいえない。風雨で痛んだ家。修繕が繰り返されて継ぎ接ぎだらけになった家。傾いている家。そしてそのどこからも、悪魔の気配がする。悪魔憑きが集まっているのだがら当然だ。
 しかし、町の雰囲気はただ暗いだけではなかった。町の大通りを歩いていると、似たような状況のラオディキアの貧民街とは違い、道行く人達は皆穏やかな顔をしている。ごくごく普通の、平穏な村のようだ。
「そして噂通り、ここは素晴らしい町です。皆がこんなにも穏やかに暮らしているんですから」
 悪魔憑きではない、何人かの若者が、漁で取ってきたのであろう魚の籠を抱えて談笑しながら歩いていく。煉瓦造りの家の中では、女達が料理をしている。小さな子供と老人が、ゆったりと散歩している。体力のある者が食料を調達し、食事を作れる者が食事を作り、悪魔憑きでない者が悪魔憑きに食事を与え、世話をする。たわいもない雑談に笑いあう声。子供達が無邪気に遊ぶ声。食事と団欒を楽しむ声。
 そして、狂った悪魔憑きの声と、誰かを悼んで泣く声と、死を前に恐怖に震える声が聞こえる。
 この町は悪魔憑きで溢れている。恐怖で溢れている。だが、
「クリストフ殿が来るまで、ここは地獄じゃったからのう」
 いつの間にか子供を連れた老人が近くに来ていて、そう呟いた。老人は昔を思い出すように遠い目をしている。
「地獄・・・・・・?」
 穏やかでない表現だ。それほど、ここの状況は悪かったのだろうか。いいや、今も良いとは言えないが、バノッサは昔から悪魔憑き達が支えあう場所なのだから、この状態が普通のはずだ。悪魔憑き達で溢れている、今の状態が。
「今よりもっともっと酷かったよ。食べる物も、着る物も、ほとんど与えられなかった。どんなに苦労して手に入れても奪われた。これならペルガモンの貧民街にいた方が何倍もマシだと何度思ったことか。だが、この町から出ることさえできなかった。それを、クリストフ殿は変えてくださったんじゃ」
 老人の視線は、通りの一角に向いている。そこでは、クリストフが町人達に囲まれて、何かを話していた。説教でもしているのだろうか。町人達は熱心に聴いている。時折、子供がクリストフにじゃれついたが、クリストフは困ったように微笑むだけで、子供の相手をしながらゆっくりと話を続けた。
「神父様は町の方に慕われているのですね。いきなりこの町に来たわたしのこともすぐに受け入れてくださいましたし、町の方々が慕うのもわかります」
 人々の様子を見て、アンがそう言った。確かに、これだけ悪魔憑きに溢れた町なのに、町の人々はクリストフと話す時、穏やかな顔をしている。子供達も楽しげだ。だが町の人々の視線には、親しみだけではない、別の感情も含まれていた。
 畏敬だ。ただの尊敬ではない。まるで“救世主”でも見ているかのような目で見ているのだ。
「慕われている、ね」
 経緯は知らないが、老人曰く“地獄”だったバノッサを変えたなら尊敬もされるだろう。しかし、“畏敬”までいくだろうか。
「兄には不思議な力がある。悪魔を祓うことは出来ないが、光明を与えることが出来る」
 いつの間にか、テオが隣に立っていた。その後ろに隠れるように、ララがぴったり張り付いている。甘える妹の頭をなでながら、テオは町人達と語らう兄の姿を見つめていた。
「光明・・・・・・?」
 テオの発言の意味を図りかねていると、クリストフ達の方からざわめき声が聞こえてきた。どうやら、クリストフのもとに一人の悪魔憑きが運ばれてきたようだ。悪魔憑きは正気こそ保っているものの、やせ細り、すっかり生気をなくしていた。ほとんど死んでいるのではないかと思うほどで重症で、身体の周りを(普通の人間には分からないだろうが)黒い靄がまとわりついている。彼女を連れてきた親族らしき男は、クリストフに一言何か言って頭を下げた。