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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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 クリストフは悪魔憑きの前に膝をつくと、短い祈りを捧げた。十字を切り、数語文言を唱える。そしてそれを終えた後、両手を広げて身体の前に出した。
 二つの掌の間に現れたのは、握り拳ほどの輝く光球だった。光球は小さな太陽の如く煌めきながら、クリストフの掌の上で浮遊する。そして光は、悪魔憑きの胸の中へすうっと吸い込まれていった。
 途端、悪魔憑きの様子に変化が訪れた。生気のない顔にわずかに赤みが差し、先程まで微動だにしなかったのに、深く息を吸って身じろぎをする。そして悪魔憑きは目を開け、目の前のクリストフに弱弱しく微笑みかけた。
 悪魔憑きの瞳は朱に染まっている。悪魔が祓われた訳ではない。
「ああやって光を与えられることで、一時的に苦痛を忘れ、心安らかにすごすことが出来るようになる。神から与えられた、兄だけの聖なる力だ」
 アンは関心の眼差しをクリストフへと向け、町の人々は彼に恭しく礼を取っている。その中心でクリストフは慈愛に満ちた表情で、何かを話している。説教でもしているのだろうか。その掌には光の粒子が浮かび、人々に降り注いでいる。静かながら、荒々しく力強い光。よく知ってる。あれは、あの力は、
 聖なる力? いいや、違う。あれは、
 魔術だ。



 魔力とは、人間の意志のエネルギーだと言われている。万物に宿る精霊の力を集め、魔術に変える力だ。
 そしてそれは、強弱はあれど誰もがその身に宿しているものなのだという。ゼノ・ラシュディが霊晶石で超音波を起こすことが出来るのは、彼が微力ながら魔力を持っているからだ。だが、普通の霊晶石であのようなことはできない。特別な、魔力を増幅できる魔法陣があって初めて、魔術のようなものを発生させることが出来る。また、あくまでそれは“魔術のようなもの”であって、魔術ではない。魔力が少なすぎる者に、魔術は扱えないのだ。
 逆に、魔力が十二分にある者なら、原理を学べば容易に魔術を使うことが出来るようになる。時には原理を知らなくても、感覚で魔術を使ってしまう者もいる。
 クリストフ・セーガンのように。
 悪魔は人間の意志力の塊(魂)を喰らう。クリストフがやっているのは、魂(意志力の塊)が削られた人間に魔力(意志力)を注ぐこと。いや、分け与えることなのだ。おそらく無意識に。これによって、一時的だが悪魔憑きの苦痛を和らげることが出来る。――あれではその場しのぎにしかならないが。
「あの力のせいで、兄は気味悪がられてた」
 悪魔憑きを言葉を交わすクリストフを静かに見つめて、テオは語る。
「害はないのに、周りの人達は勝手に怯えて。最後には石を投げられて、村を追い出された。僕達も一緒に」
 そう言って、彼はしがみつくララの頭をゆっくりと撫でる。この小さな妹と、落ち着いているとはいえまだ少年の弟を抱えて、クリストフは途方に暮れただろう。そして、知っていて目指したのかたまたまなのか分からないが、バノッサに辿り着いた。
「でも、この町の人達は兄を必要としてる。兄にとって、この町は天国なんだ。だから、ああやってデミトリウス派の神父として、教えを説いて、時々光明を与えてる。いつかみんなの祈りが報われて、悪魔から救われるように」
 町の始祖バノッサが唱えた宗派。悪魔祓いではなく、祈りによる救済を目指すデミトリウス派の教え。
「祈ったって治らないでしょう」
 リゼは思わずそう呟いた。祈って救われるなら、罪人のほとんどがとっくの昔に救われているはずだ。だって罪人と呼ばれるもののほとんどは、貧しくて教会に詣でることが出来ないだけの普通の人々で、祈り願うことを全くしない訳ではないのだから。
「・・・・・・そうだな。たぶん、みんなそう思ってる。そんなことは分かってる。だからせめて、残された時を安らかにすごせたらと・・・・・・不可能なことだけど、悪魔を祓えない以上、出来ることはそれしかない」
 そして、彼は最後に一言、こう言った。
「それが、兄の願いだ」



 その夜、リゼは与えられた部屋のベッドの上で、じっと横たわっていた。
 結局、クリストフから剣を返してもらうことは出来なかった。問題なく散歩できるくらい元気だからと言いに行ったのだが、意識が戻って一日でベッドから抜け出すなんて、と逆に怒られてしまったのだ。どこぞの悪魔祓い師のような心配ぶりで、そこまで気を遣わなくていいと思ったのだが、静養するようにと釘を刺された上に、その分なら全快するまで剣は返さないとまで言われてしまった。町の人やテオの発言から考えるにクリストフは純粋に善意でやっているのだろうが、シリルのことや手配書のことがある以上、あまり長居したくない。
 クリストフが預かっているというなら、彼の私室を探せば剣は見つかるだろう。ならクリストフが不在の間に、家探しさせてもらうしかない。助けてもらった恩がある分、罪悪感はあるが、悠長に静養している場合でもないのだ。大体、薬湯のおかげかもう十分に元気だ。
 剣を取り返すのは明日の昼過ぎだ。ちょうど、町の人達を集めた大きな礼拝があるらしい。その時ならクリストフもテオも、おそらくアンも礼拝堂に行くだろう。その間に、クリストフの部屋を探って剣を取り返す。その後は、この町をさっさと出てメリエ・リドスに向かうのだ。
 だから、今晩のうちに済ませておかないといけないことが一つある。
 リゼは起き上がると、用意しておいた机の上の紙片を手に取った。振り返って窓を開けると、ひんやりと冷たい夜風が部屋の中になだれ込んでくる。同時に、むせ返るような悪魔の気配が流れてきた。うっとうしいこれを、今晩のうちに消してしまわなければならない。
 ただ問題が一つ。剣がないことだ。補助がなければ確実に時間がかかる。かといって剣を手に入れるにはクリストフの部屋を探らなければならず、おそらく鍵のかかる場所に入れているだろうから、剣を持ち出そうと思ったら鍵を破壊しなければならない。そうなったら確実にばれてしまうし、面倒なことになる。とりあえず、剣なしでやってみるしかない。効率が悪くて、一晩で終わるかどうか分からないが、
「やってみれば分かるか」
 軽く握った手の中には、魔法陣が書かれた紙片がある。これが少しでも補助になってくれるだろう。
 明かりを無駄にできないから、日が落ちるとすぐバノッサ全体が暗くなる。今夜は新月で月明かりはないから、なおのこと暗い。夜陰に紛れて、さっさと済ませるのだ。リゼは窓から身を乗り出すと、夜闇の中へ飛び出していった。



 カーテンで遮られていない窓から、朝日が差し込んでくる。
 その強烈な日差しを避けようと、リゼは寝返りを打って窓に背を向けた。瞼を刺激する光量が減って、再び眠りが深くなる。
 耳を澄ますと遠くから何かを訴えるような声が聞こえてくるが、部屋どころか建物の外の音のようで、無視して眠ることにした。