Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
氷にヒビが入り、隙間から触手が這い出している。氷が次々に割れていく。このままでは、砂蚯蚓の口の中に、
(――落ちる!)
その時、突然左の方から衝撃がきた。反射的に目をつぶり、衝撃をやり過ごす。そして再び目を開いた時、思いの外近くにアルベルトの顔があった。
「奴が砂の中にいる以上、氷の魔術は効かないみたいだ。砂に潜って直撃を避けてる」
這い出してくる触手を見ながら、アルベルトは言った。砂蚯蚓は砂中にいるがために、砂を盾にして容易に攻撃が届かないようになっている。氷漬けにして一時的に動きを封じることは出来るが、それも砂を吹き出して破壊してしまうようだ。
「砂の上からじゃ魔術は効かないか。その上、触手から砂を吹き出すみたいね。強力だし、やっかいだわ」
アルベルトが抱えた体勢のまま、リゼは砂蚯蚓を見て言った。砂蚯蚓は触手の先端から砂を噴射して、氷を壊している。リゼもそれを受けてしまったが、氷の破壊で威力が減じていたためか怪我はないようだ。魔術の氷を砕く程の威力。直接食らっていたら、いくらリゼでも危なかっただろう。ただ、弾き飛ばされて砂蚯蚓の口の中に落ちるところだったのだから、危ないところではあったのだが。
そうしている間にも、アルベルトの足元の氷にヒビが入った。完全に壊される前に、別の氷塊に飛び乗って穴の中心から遠ざかる。砂蚯蚓の触手は短く、穴の中心近くでないと届かないから、離れてしまえばある程度安心だった。
「とにかく、奴を砂から追い出さないと。リゼ、魔術で音波を出すことは?」
「そういうのは得意じゃない。たぶん威力が足りないわ。残念ながら」
「そうか。なら他の手は――」
音波も水責めも出来ないなら、他の方法を探すしかない。砂の中の魔物に攻撃を当てられればいいのだ。とすると、奴と接触出来るのは・・・・・・
「それよりいつまでこうしてるつもりなの? さっさと下ろして」
リゼの不機嫌そうな声が飛んできて、アルベルトは我に返った。そういえば吹き飛ばされたリゼを助けてそのまま抱えたままだ。最初に降り立った氷塊は狭く下ろすスペースはなかったが、今いる場所なら十分である。それに気付いて、アルベルトは慌ててリゼを下ろした。
リゼは立ち上がって服の砂を払い落とすと、すぐさま露出した地面から伸びてくる触手の根元めがけて氷槍を打ち込んだ。触手は砂を跳ね上げながら引っ込んでいき、先端を凍らせたのみに留まった。
「やっぱりこの程度じゃ無理ね」
氷が砕かれるにつれ砂の勢いはますます速くなり、氷塊は蟻地獄の中心へのまれていく。砂を吸い込み続ける砂蚯蚓はそこから動こうとしない。奴を追いだすのに水責めも超音波も駄目なら、残る手は、
アルベルトは流されている馬車を一瞥した。馬車は氷の隙間から這い出してきた触手に再び囚われつつある。従業員達はすでにハーネスを断ち切り、砂馬(カメル)に乗って脱出済みだ。無人になった馬車は積み荷を乗せたまま、蟻地獄の中心に向かって流されていく。その馬車に、アルベルトはぽっかり開いた御者台から飛び込んだ。
馬車の中にはいくつもの樽が積まれていた。走行時の振動で崩れないように、ロープでしっかり固定されている。エドワードは大事な商品だと言っていたが、馬車は触手で搦め捕られていて、運び出すのは無理だろう。後でエドワードに謝らなければ。
アルベルトが剣を一閃させると、樽は綺麗に真っ二つになった。零れ落ちた液体が下の樽を濡らしていく。他のいくつかの樽も同じように破壊すると、独特の香りが馬車の中に充満した。
その時、馬車の外壁がみしりと音を立てた。魔物の触手が届く位置まで来たらしい。小窓の外でぬめぬめとした赤黒いものが蠢いている。アルベルトはすぐに馬車から飛び出ると、まだ僅かに残っていた氷塊の上に着地した。
「アルベルト! あれをどうするつもりなの?」
魔術で足場を作りながら、リゼが隣までやってきた。アルベルトは飲み込まれつつある馬車に視線を据えたまま、質問答える。
「大きいものは内側からだ。あとは火が必要だ」
「火? ティリーは忙しいみたいだけど、どうするの」
エドワードの馬車を見ると、触手が届くギリギリの所まで落ちてきているらしく、ティリーとゼノは応戦に追われている。着火を頼むのは無理そうだ。ならば、
「これが上手くいってくれたらいいが」
そう言って、アルベルトは手に持っていたものを足元に叩きつけた。馬車から拝借してきた霊晶石のランプだ。壊れたランプの中で、ひびの入った霊晶石がバチバチと音を立てた。
ティリーによると、霊晶石は魔法陣の部分を破壊すると暴走するらしい。火花を散らし、赤い光を放ちながら明滅する。アルベルトはそれを、蟻地獄の中心に飲まれつつある馬車目掛けて投げ付けた。
陽光を受けて輝くそれは、弧を描いて飛び、上向きになった扉の隙間から馬車の中へ落下した。砂蚯蚓は落ちてきたランプのことなど歯牙にもかけず、馬車を引き込んでいく。そして次の瞬間、砂の中から現れた牙の並ぶ口が馬車を真っ二つに噛み砕いた。
途端、青白い炎が砂蚯蚓の口から吹き上がった。炎は砂蚯蚓の口腔を焼き、焦げ臭いにおいを漂わせる。空気を震わせるような、甲高い叫び声が上がった。
蟻地獄の砂の流れが止まった。一瞬の沈黙ののち、穴の中心の砂がぼこりと盛り上がる。次の瞬間、砂が噴水のように吹き上がり、砂蚯蚓が姿を現した。
砂蚯蚓は苦しげに身をよじりながら口を開き、馬車の残骸を吐き出した。焦げた木片が砂の上に散らばっていく。異物を排除して満足したのか、再び砂の方に引っ込もうとしたが、その前にリゼの魔術がそれを阻んだ。
身動きが封じられ、のた打ち回る砂蚯蚓の頭部めがけて、アルベルトは剣をふるった。切っ先が砂蚯蚓の皮膚をとらえ、わずかに傷を作る。だが、斬り裂くには至らない。砂蚯蚓の皮膚は岩のように硬く、ここでは剣が通らないのだ。
「砂蚯蚓の弱点は口の中か眼だぜ! アルベルト!」
氷上に登ってきたゼノが、剣を構えながら言った。その横にティリーが降り立って、魔導書を開く。
「眼というか眼点ですわね。でもこれではどこにあるか分からないですわね。完全に埋もれてますわ」
眼点は小さいのか閉じているのか、砂蚯蚓の皮膚表面はどこも同じで、目のようなものは見当たらない。
――いいや、ある。
ゴツゴツした皮膚の隙間に、細い切れ目のようなものがある。眼点にしろそうでないにしろ、あそこなら剣が通るかもしれない。
「援護を頼む」
そう言って、アルベルトは隆起した氷を足場に、砂蚯蚓の口元まで飛び上がった。魔物の口から伸びる触手が、アルベルトを搦め捕ろうと鞭のように飛んでくる。それを斬り払い、あるいは避けていると、一部の触手が深紅の炎に包まれた。さらには同じように駆け上がってきたゼノが剣を振るい、砂蚯蚓の注意を引き付けようとする。それでもなお残った触手を避け、アルベルトは砂蚯蚓の急所へと迫った。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑