Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
そう語るカティナはこの揺れの中だというのに平然と座っている。何かにしっかり掴まっているわけでも身体を固定しているわけでもない。ごく普通に座っているだけだ。見た目は華奢だが体幹が強いのか。それとも慣れか。慣れが重要なのか。
「夫から聞いていると思うけど、うちは他の商会の二倍は速く目的地に着くから、それまでゆっくりしてね。この中は狭いから大したことは出来ないけど」
狭さよりもこの揺れのせいでゆっくりできません、とティリーは内心思ったが、喋ったら今度こそ舌を噛みそうだったから口に出すのはやめておいた。なんにせよ揺れを抑えるにはスピードを落とすしかなく、無論そんなことは出来ないので揺れのことをどうこう言っても仕方ない。二日間我慢すれば済む話だ、ティリーは自分を納得させた。
馬車の窓から外を見ると、道の脇の棒状の距離標がものすごいスピードで過ぎ去っていくのが見えた。ルゼリ砂漠にも一応街道――といっても道路が整備されているわけではないが――が存在して、目印を兼ねた距離標が立っているのだが、一つ一つの間がそれなりに離れているはずなのに次々と過ぎ去っていくので、馬車の速度がどれほど速いかが良く分かった。この揺れは困るが、これだけ速いとなんだか爽快だ、とティリーは考え直しはじめた。きっと御者は風圧と砂で大変だろうけれど、乗る分には悪くないかもしれない。ただ、この速度だとブレーキをかけた時には大変なことになるだろうけど。そのことは、あまり考えないようにした。
その後、途中でいくつかのオアシスで休憩を挟みつつ、砂馬車は順調に街道を疾走し続けた。揺れで身体の節々が痛くなったが、それは我慢だ。そして、出発したころには中天近くあった日が西の地平線に近づき始めた頃、
それは現れた。
「エドワードさん! 馬車を止めて下さい!」
突然、アルベルトが御者台に向かって叫んだ。
「進路方向! 砂の下に大きな魔物がいます!」
アルベルトがそう叫んだのと同時に、エドワードは手綱を引いてブレーキを掛けた。カティナはすかさず旗を立て、並走する馬車に停止の合図をする。馬車の速度が急激に落ち、反動で前方に吹っ飛ばされそうになりながらも、座席にしがみ付いて必死に耐えた。
そうして三台の馬車が止まりかけた瞬間、突如として足元の砂がすり鉢状にへこんだ。へこみはみるみる内に深くなり、中心に砂が吸い込まれていく。まるで巨大な蟻地獄だ。舞う砂塵で穴の中心は見えない。エドワードを始め三台の馬車はすぐさま方向転換したが、砂が流れ落ちるスピードの方が速いようだった。
「砂蚯蚓(スナミミズ)だ!」
ゼノが叫んだ。
「何でこんなにでっかいんだよ! おかしいだろ!」
穴の中心を見据えて、ゼノはやけくそ気味に叫ぶ。砂蚯蚓はその名の通り蚯蚓のような細長い形をした魔物だ。砂に潜って獲物を待ち、蟻地獄を作って獲物を引きずり込む。しかし、
「普通は馬車一個引きずり込める程度だろ! デカすぎ!」
砂の中に隠れて本体そのものは見えないが、馬車三つを引きずり込んでなお余りある蟻地獄を形成するほどだ。砂蚯蚓自体も相当な大きさであろう。しかし何にせよ、この蟻地獄から脱出するには本体を叩かねばならない。
「ウダウダ言ってないで対策なさい! 貴方専門家でしょう!」
「分かってるよ!」
ティリーが叱咤すると、ゼノはそう言いながら荷物から何かを取り出した。翠色の、二の腕ほどの長さの石棒だ。それを見てアルベルトが呟いた。
「あれは?」
「霊晶石ですわ。砂蚯蚓撃退のために、文言さえ唱えれば誰でも超音波を起こせるようにしたものなんですけど」
魔物というのは元の生物の性質をある程度引きずるらしい。砂の中の砂蚯蚓を追い出すには元の砂漠ミミズと同じように、超音波が有効なのだ。石棒はそのための道具で、やたら高価な品なのだが、ゼノはちゃんと常備していたようだ。それを持ってゼノは馬車の後方に行くと、流れる砂の斜面に突き刺した。
『風よ謡え! 大気よ震え! 流れ行きて彼の者を撃て!』
ゼノが文言を唱え終わった瞬間、頭に響く甲高い音がした。石棒が生み出した音波は砂中を伝い、波状に砂蚯蚓へ迫っていく。そして、
何も起こらなかった。
「駄目だ、相手がデカすぎる! これじゃあ威力が足んねぇ!」
変わらず砂を吸い込み続ける穴の中心を見て、ゼノは顔をしかめた。あの道具は通常サイズの砂蚯蚓を想定して作られているものだから、あの巨大な砂蚯蚓には効かないようだ。
「砂蚯蚓を追い出すのに有効なのは超音波以外は水責め――オリヴィアなら! おいオリヴィア・・・・・・っていないんだった!」
自分で自分につっこみを入れてから、ゼノは真剣な目で思案しはじめた。その表情はまさしく専門家のそれだ。普段抜けている彼も、仕事の時は多少真剣になるらしい。
するとその時、左手の方から悲鳴が聞こえた。外を見ると、馬車が一台、穴の中心近くまで引きずり込まれ、砂中から伸びる触手のようなものに捕われていた。あのままでは彼らは喰われてしまう。
「助けなければ!」
ティリーは馬車の方を向いて立ち上がった。しかしどうする。この距離で上手く触手だけ焼き払えるだろうか。積み荷に火をつけたら大惨事になるし、重力魔術はこういうことには向かない――。ティリーがそう思案していた時、すぐ横を誰かが風を起こしながら通り過ぎ、さらには馬車を飛び出して行った。
リゼだ。
「リゼ!? 何してるんですの無茶ですわよ!」
ティリーが叫んだが、そんなこと気にしてなどいられない。リゼは風の魔術を纏い空へと駆け上がり、砂塵舞い上がる穴の中心真上まで飛び上がった。砂蚯蚓の触手もここまでは届かない。上昇が止まり、落下へと切り替わり始めた時、リゼは真下目掛けて剣を振り下ろした。
『貫け』
斬撃から生まれた無数の氷槍が穴の中心へと降り注いだ。槍は地中から伸びる触手を断ち切り、砂の渦へ次々に突き刺さる。囚われていた馬車も、触手が断ち切られ、あるいは氷漬けになって、自由になっていた。
リゼが馬車の天井に着地するころには、蟻地獄の中心はすっかり氷で覆われていた。砂蚯蚓は沈黙し、動く気配はない。リゼはそれを確認すると、御者台に集まっていたローグレイ商会の従業員達に話し掛けた。
「動ける?」
「へ、へぇ」
「ならさっさとそれを切って」
馬車を切り離せば脱出は楽になる。積み荷に未練はありそうだったが、従業員達は手分けしてテキパキとハーネスを切り始めた。
砂蚯蚓を氷漬けにしたのが効いたのか、砂の流れは大分緩やかになった。魔物本体も大人しくしている。魔術を打ち込んだだけで倒したわけではないから、今のうちに止めをさせればいいのだが、生憎砂蚯蚓は砂の下。果たしてどうしたものか。
砂漠の熱に、氷が白い霧を立ち上らせていく。砂が風に舞い上がる。氷上にぱらぱらと砂が散った。
その時、氷が砕けるような音がした。
次の瞬間、背後の氷が割れて砂の塊が吹き出してきた。避ける間はない。熱い砂粒の直撃を受けて身体が宙に投げ出された。
(しまった! こっちの方向は・・・・・・)
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑