Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
アルヴィア側から南へ伸びる半島が一つ。その対岸、ミガー側から北へ伸びる半島が一つ。向かい合う二つの半島の間に、挟まれるように島が一つ存在している。アルヴィアでもミガーでもない、どちらにも属さない場所。
それが“背徳の島”と称される悪魔教の総本山ヘレル・ヴェン・サハル特別自治区だ。
「ヘレル・ヴェン・サハルに向かっているとなると、シリルを悪魔召喚の生贄にするというのはあながち間違いでもなさそうですわねえ」
ティリーの推測に、ゼノが不安そうに顔をしかめる。ヘレル・ヴェン・サハルでは魔王(サタン)を喚び出すため、日々悪魔召喚が行われていると言われているのだ。ゆえにこの世に存在する悪魔は全てヘレル・ヴェン・サハルにある地獄の門から喚ばれたものだとされている。たとえ生贄にされなくても、シリルがそんな場所に足を踏み入れたらどうなるか、想像に難くない。
「島へ入られると面倒なことになる。その前に奴らに追いつかなければならない。そのために協力してくれる人物に、すでに話をつけてある」
「レーナが話していた行商人のことか。そういえば、彼女はどうしたんだ?」
「とっくの昔にメリエ・リドスへ帰った。仕事があるからと言ってな」
喋りながら、キーネスは立ち並ぶ道具屋の間の路地に入っていく。砂に煙る狭い路地を抜けると、広い停留所のような場所に出た。
「あれだ」
キーネスが指差す先には、オアシスの岸辺に並ぶ三台の馬車があった。馬車といっても車輪ではなく橇のようなものがついていて、前方には砂色の馬のような生き物が繋がれている。数人の旅装束の人々がその生き物に水を与えたり馬具の状態を確かめたりして世話を焼いていた。
キーネスは三台の馬車の内、手前にある最も大きい馬車へ足を向けた。よく使いこまれた頑丈そうな馬車で、五頭の砂色の馬が繋がれている。その隣には、馬車に繋がれていない馬が一頭、桶から水を飲んでいた。キーネスは馬車に近づくと、その横で何やら作業をしている男性に話しかけた。
「ローグレイ殿。話の通り、護衛を連れてきた」
話しかけられた男性は作業の手を止めると、振り返って立ち上がった。
壮年の、取り立てた特徴のない人物だった。中肉中背。小じわの寄った目じりに無精髭と、平々凡々な容姿だ。
「キーネス殿! 待ちかねてました」
男性は人のよさそうな笑みを浮かべ、そう言った。笑みで目じりの皺がますます深くなる。キーネスは振り返ると、
「ローグレイ商会とそれを率いるエドワード・ローグレイ氏だ」
紹介を受けて、エドワードは使い込まれてよれよれになっている帽子を取った。そのままお辞儀をすると、心なしか毛髪の少ない頭頂部が露わになる。頭を上げたエドワードは帽子をかぶり直すと、自信にあふれた様子で言った。
「キーネス殿から話は聞いてます。ルルイリエ方面へお急ぎだそうですね。我らローグレイ商会ならば三日とかかりません。お任せください」
ローグレイ商会は商隊の規模こそ小さいものの、どこよりも速い商品配達で着実に利益を上げている商会だという。移動速度を維持するため少数精鋭。多くの荷物を運べない代わりに配達の速さを売りにしている。それを可能にしているのが、馬車に繋がれた砂色の馬のような生き物、砂馬(カメル)である。
砂馬(カメル)は馬の中でも砂漠に適応した種族のことで、背中に盛り上がった瘤のようなものがあること以外、見た目は普通の馬とほとんど変わりはない。大きく異なるのは砂漠のような高温環境下でも最低限の水分で生きていけること、平地と変わりないスピードで走れることで、砂漠の移動には欠かせない生き物だという。
「多くの行商人が砂馬(カメル)車を使用していますが、その中でもうちの馬は最速です。ルルイリエまでなら五日かかるところを二日と少しで済みます。他所の二倍は速いってことでさ」
エドワードは自慢げにそう言って胸を張った。砂馬(カメル)車のことは詳しくないが、それだけ速いなら追いつくのは難しくないだろう。
「助かるわ」
「ですわね。この暑い中、歩かなくていいですし。――ところでキーネス。先程護衛と言っていましたけど」
ティリーが尋ねると、キーネスは、
「辻馬車じゃないからな。運賃の代わりに商隊の護衛をする条件で了承してもらった」
「すみませんが、うちも商売があるのでタダというわけにはいきませんので」
そう言って、エドワードは軽く頭を下げる。そういうことなら別に文句はない。悪魔教徒と一戦交える予定なのだから、魔物退治ぐらいなんてことないのだ。
「ちなみに、積み荷は砂漠産の蒸留酒です。大事な商品なので、魔物が現れた時はよろしくお願いします」
馬車の中には沢山の樽が積まれている。おそらくあれが商品なのだろう。他の二台の馬車にも同様に樽が積まれている。馬車の中には火の霊晶石が入ったランプが下がっていた。
それから、エドワードは馬車の横で砂馬(カメル)の世話をしていた人物に手招きした。その人物は抱えていた桶を置き、小走りでこちらへやってきた。
「自分は御者をしなければならんので、その間必要なことは彼女に聞いて下さい」
エドワードがそう言うと、その人物は砂除けのフードを取った。
「紹介します。妻のカティナです」
カティナは平凡な容姿のエドワードと違って、かなりの美人だった。綺麗に結われたライトブラウンの髪に、優しげな瞳。砂漠にいることが多いだろうに、肌には日焼けもシミもない。なによりエドワードが五十代に見えるのに対して、カティナはどう見ても二十代である。見た目の年齢差が大きいので、夫婦というより親子に見えるぐらいだ。
「こんにちは。分からないことがあれば、なんでも聞いてくださいね」
ライトブラウンの髪をなびかせ、カティナは微笑んだ。すると彼女を見たゼノが目を丸くして言った。
「カティナさん!?」
「あらゼノくん。久しぶりね」
驚いているゼノに、カティナは嬉しそうに笑いかける。その様子を見て、アルベルトがゼノに訊ねた。
「知り合いなのか?」
「知り合いも何も、キーネスのねーちゃんだよ」
結婚したとは聞いていたけどこんなところで会えるなんて・・・・・・と、ゼノは少し嬉しそうにしている。その様子を見て、リゼは呟いた。
「キーネスのお姉さん?」
「はい、そうです。弟から聞いていませんでしたか?」
もちろん聞いていない。ローグレイ商会と話をつけたとは言っていたが、身内がいるなど一言も言っていなかった。ゼノもいるのに、である。
そのことを察したのか、カティナはいつの間にか一歩引いた所にいるキーネスに近付いた。腰に手を当て、若干咎めるように言う。
「キーネス、わたしのこと、言ってなかったの?」
「・・・・・・わざわざ言う必要があるのか」
「ゼノくんもいるんだし、伝えておいてもよかったじゃない。説明する手間も省けるし。もう、気が利かないんだから・・・・・・まあいいわ。それで、こちらの皆さんは新しいお友達?」
「依頼人だ」
「そうなの。皆さんに迷惑かけたりしてない? 仕事は順調? 怪我してない?」
「・・・・・・聞かなくても分かるだろう」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑