Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
そうか。
足りなければ借りればいい。補えばいい。脳裏に閃いたのはごく単純な答えだった。
そうだ。
力ならここにある。
リゼの瞳に光が戻った。
その次の瞬間だった。明滅を繰り返していた浄化の光が、突如としてまばゆい輝きを放ったのだ。疲労など欠片も見えない凄まじいまでその光は、アルベルトをも巻き込んで膨れ上がっていく。ティリーとゼノが何か叫んでいたが、声は光の奔流に巻き込まれて流されていった。
眩しい。リゼの周りは虹の色を帯びた光で溢れ返っている。アルベルトはかろうじて目を開き、リゼの姿を探した。いや、探すまでもない。光の本流の中で、リゼの姿はくっきりと浮かび上がっている。リゼの腕を掴んだ姿勢で硬直したまま、アルベルトは光に包まれる彼女を見つめた。
『虚構に棲まうもの。災いもたらすもの。深き淵より生まれし生命を喰らうもの――』
光と風が渦巻く中、彼女の高らかな声が響いた。詠唱は歌のように流れ、魔法陣を描き出していく。
『理侵す汝に我が意志において命ずる。彼の者は汝が在るべき座に非ず。彼の魂は汝が喰うべき餌に非ず』
魔法陣から幾何学模様の光の帯が紡ぎだされた。帯はリゼとアルベルトを取り巻いて、ゆっくりと揺れる。逃げなければいけないことも忘れて、アルベルトは揺れる魔法陣を魅入られたように見つめていた。そして、
『惑うことなく、侵すことなく、汝が在るべき虚空の彼方。我が意志の命ずるままに、疾く去り行きて消え失せよ!』
リゼの高らかな声が広場に響き渡った。
彼女の足元に現れたのは八芒星の魔法陣。悪魔祓いの術を操る彼女の紋章だ。魔法陣は術の完成と共に、まばゆい閃光を放つ。プリズムのような光は空へ立ち上り、地を駆けて悪魔憑きを照らし、その中に宿る悪魔をあぶり出して行った。人々が驚き上げる声。戸惑い叫ぶ声。それを掻き消すように谺する悪魔の断末魔。光の中で悪魔はもがいていたが、逃げられるはずもなく次々と浄化されていった。リゼの悪魔祓いの術は留まるところを知らず拡大し、悪魔を消し去っていく。赤い閃光も、黒い渦も、漂っていた悪魔は消え失せ、辺り一帯は明るく、清浄な空間へと戻っていく。
やがて立ち込めていた靄が晴れ、役目を終えた悪魔祓いの術の光も消えていった。明るくなった広場は澄み切った静謐な空気に満ちている。悪魔に怯えていた者達も、あるいは取り憑かれ苦しんでいた者達も、今は静かに一点を見つめていた。
靄が晴れ、まじりっけない日の光を浴びるリゼ・ランフォードを。
日の光が降り注いだ瞬間、リゼの身体がぐらりと傾いだ。
倒れ込んできた彼女を見て、アルベルトははっと我に返った。天使の彫像にぶつかりそうになったところを、腕一本で支え、そのまま安全な場所まで引き寄せる。まともに立つことも難しいらしいリゼを支えながら「俺の声が聞こえるか」と声を掛けると、彼女はようやく視線を合わせた。疲労のためか焦点の合っていない目をすがめ、リゼは小さく頷く。ようやく正気に戻ったらしい。
「はあ・・・・・・はあ・・・・・・疲・・・・・・れた・・・・・・」
荒い息をつきながら、リゼは切れ切れに呟く。元々“地獄の門”に飲まれかけ、かつその破壊に力を使ったのだ。その上でまだ悪魔祓いをする余力があったことは驚きだが、さすがに限界が来たようだ。苦しげに息をするリゼを支えつつ、アルベルトは今起こったことを茫然と思い返した。
――今のは何だ?
リゼが術を使った瞬間、身体の力が抜けていくような感覚があった。悪魔祓いをする彼女に触れていたせいなのか。今までになかった現象だった。だが一番驚いたのは、
(――言葉が分かった)
今までずっと理解できなかったのに、今回はリゼが唱える言葉の意味がはっきりと分かった。リゼが、あるいはティリーが使う、魔術のための文言。術を使うために必要な特別な言語。何度も聞いても音の羅列にしか思えなかったそれが、明確な意味を為して耳に届いた。何が違うのだろう。
頭の芯が重い。悪魔祓い師の術を使った時と同じ、精神的な疲労感。だが何より、今まで理解出来なかった悪魔祓いの術の文言が理解できたことへの疑問が頭の中を占領している。一体何が起こったのか? リゼに問おうにも、彼女は今度こそ本当に力尽きてしまって、喋ることすら辛そうだ。息を切らすリゼを支えながら、アルベルトはただ茫然と立ち尽くした。
だが、呆けている暇はなかった。
「スターレン! 何をしている!」
キーネスの鋭い声に、アルベルトは振り返った。すると、広場の向こう側から鋭い銀色の光が飛んで目を射る。手で光を遮ると、広場の入口に白い人影が立っているのが見えた。人影はこちらへ歩を進め、市民達はそれに道を譲るように左右に分かれていく。開かれた道を歩みながら、人影は腕を振り上げた。
「――!」
そいつが手に持つ物が何か気付いた瞬間、アルベルトはリゼを連れて彫像群の上から飛び降りた。像に引っかからないよう注意しながら、石畳の上に着地する。その途端、誰もいなくなった彫像群に白い炎が降り注いだ。
突然の出来事に驚いた市民達からどよめきと悲鳴が上がった。炎の直撃を喰らった彫像は砕け散り、白く燃え上がりながら飛散する。飛んできた石を剣を抜いて叩き落し、彫像を背にしたアルベルトは、市民達を押しのけながら近づいてくる人物を正面から見据えた。立ち並ぶ銀色の鎧を率いる白いローブの人間。手にしているのは十字架を模した杖。
「やっぱり来たな。魔女」
杖を携えたウィルツは、満足そうに笑いながらそう言った。杖の周りには白い炎が揺らめき、火の粉が舞い落ちている。ウィルツの背後には数人の騎士達が並び、剣呑な雰囲気を漂わせていた。
「あんた、生きてたの?」
ウィルツを見たリゼが、至極不愉快そうに呟いた。
「濁流にのまれたくせにしつこいわね。こっちは二度と会いたくなかったのに」
「オレは会いたかったぜ、魔女。数日前、貧民街でそいつを見つけた時、てめえがいなくてがっかりしたくらいだ。今日は二人揃ってて嬉しいぜ」
そう言うと、ウィルツはアルベルトに眼を向けた。
「しかし、あっさり脱獄しやがって。だからしっかり見張ってろって言ったのに。騎士は当てになんねぇな」
ウィルツが非難の目を向けると、隣に控えていた騎士長は動揺を見せた。責任を取らなければならない立場なのだろう。焦りつつ、親の仇でも見るような目でアルベルトとゼノを睨みつけている。しかし騎士長とその部下の怠慢はアルベルトにとって助けとなったものの、怠慢は怠慢だ。アルベルトとしても職務に対する不真面目な姿勢は改めるべきだと忠告したくなった。
「それにしてもしばらく会わないうちに人数が増えたな。そっちの男もミガー人か? ミガーで手下を増やしてきたのか」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑