小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

INDEX|110ページ/115ページ|

次のページ前のページ
 

 今はまだ持ちこたえているものの、結界はすでに何カ所もひび割れが入り、完全消滅は時間の問題だった。スミルナの結界が壊れれば、更に多くの悪魔が街の中になだれ込んで来るだろう。すでにスミルナ上空には引き寄せられた悪魔が黒雲のように立ち込めている。ただでさえ結界の内側は悪魔で溢れ返り穢れで澱んでいるのに、これ以上悪魔が増えたら・・・・・・
「悪魔召喚は止めた。あとは教会がなんとかするだろう。これは本来奴らの仕事だ。後始末までしてやる義理はない。――それともスターレン。奴らに捕まりたいか?」
 そうキーネスに言われ、アルベルトははっとして剣の柄から手を放した。せめて結界を壊そうとする悪魔だけでも浄化しなければ。そう考えてしまっていた。だがキーネスの言う通り、そんな悠長なことをしている時間はない。そんなことに時間を使えば最後、彼らに捕まるのがオチだ。まさかスミルナそのものが危険にさらされているのに教会が動かないということはありえない。アルベルトがやらなかったからといって誰が困るという訳でもないのだ。アルベルトは「すまない」と呟き、彫像から降りようと振り返った。そして、降りる前に無言のまま空を見上げていたリゼに声をかける。
「リゼ、行こう」
 しかし、彼女は返事をしなかった。無言のまま、ただじっと空を見上げている。ひょっとして聞こえていなかったのだろうか? そう思い、もう一度声をかけたが、またしても返事はない。不審に思って、アルベルトはリゼに一歩近づいた。
「悪魔・・・・・・」
 不意に、リゼはぽつりとつぶやいた。零れ落ちたその言葉には、抑えきれない怒りが滲んでいる。驚いて横から彼女の顔を覗き込むと、蒼い瞳は怒りに燃えて完全に据わっていた。それもただ怒りに駆られているのではなく、激烈なまでのその感情に囚われているようだった。
 ぶわり、とリゼの周囲に風が起こった。自然のものではないその風は、瞬く間に広まって人々の集う広場を駆け抜けていく。肌をなでる風の感触。それに続いてやってきたのは圧倒されそうな力の感覚だった。この感覚はよく知っている。悪しきものを断つ静謐で荒々しい力。温かい太陽のような光。
 リゼは悪魔祓いをする気なのだ。
「ちょっと! ここはスミルナですわよ!? そんなさらに目立つことをしたら――!」
 異変に気付いたティリーが叫んだが、案の定リゼの耳には届いていない。彼女は虚空を見つめたまま、詠うようにアルベルトの知らない言葉を紡ぎ続けている。魔術のための言の葉は風と光を生み出し、リゼを取り巻いた。何度も目にしているリゼの悪魔祓いの術。その力は眩しく凄まじい。だが、今日はいつもとは違った。
 術を紡ぐ最中、リゼは不意に身体を折ると、苦しげに咳込んだ。それに呼応するかのように、魔術の光が激しく明滅する。力は風の前の灯の如く不安定で、膨れ上がったと思えば今にも消えてしまいそうなほど弱くなるのを繰り返していた。
「リゼ! いくらなんでも無茶だ!」
 目に見えて消耗しているのに、これ以上悪魔祓いをしたらいかにリゼとはいえただでは済まない。下手をすれば命に関わる。しかし今の彼女は冷静さを欠いているのか、自身を顧みることもアルベルトの声に耳を傾けることもしない。一心不乱に術を唱え、悪魔を浄化しようとしている。しかし、やはり力が足りないのか、悪魔祓いの術が生み出す光は弱弱しく明滅していた。
「おいスターレン! そいつを止めろ! こうなったら力ずくでも連れていく!」
 像の下からキーネスの焦ったような声が飛ぶ。言われなくとも、アルベルトもそのつもりだった。今のリゼは怒りで我を忘れている。何か言っても聞くとは思えない。悪魔祓いの術が生み出す光と風に圧倒されながらも、アルベルトはリゼに近づき、その腕を掴んだ。
「――なきゃ」
 その時、いつの間にか彼女の唇から紡がれる言葉は詠唱から別のものに変わっていることに気付いた。まるで熱に浮かされているかのように、似たような言葉を繰り返している。
「悪魔を消さなきゃ。悪魔を消さなきゃ。悪魔憑き(あのひとたち)を助けなきゃ。悪魔を消して、でないと結界が壊れる。みんな死ぬ。悪魔に取り憑かれる。私がやらなきゃ。私がやらないと。私が――」
 強迫観念めいた呟き。自分で自分に言い聞かせるかのように繰り返される言葉。マリウスが死んだ時と同じように、彼女の瞳は目の前にあるものを見ていない。どこか遠く、自分の記憶の中にあるものを見ている。過去に起きた悲劇。悪魔を滅ぼさなければと思う何か。
 だが、それを為し得る力は今の彼女にはない。
 ――あの娘は自愛を知らぬ。己を卑下し、自身に価値はなく、他者を救うことでしか存在意義を示せぬと思い込んでおる。
 不意に、アルネス博士の言葉が脳裏に蘇った。
 ――もし仮に他者を救うことが出来なくなったとしたら、あの娘は自身を無用な者だと非難するじゃろう。断罪するじゃろう。
 力が足りなくて悪魔祓いの術を使えない。他者を救うことが出来ない。そのことが、彼女を追い詰めているのだろうか? 他者の救済が自身の存在意義になるというのなら、ここで無理矢理止めてしまったら、彼女は一体どうなるのだろう。何と言えば、彼女は術を止めてくれる? それとも、止めるべきではないのだろうか?
(――俺に力があれば)
 力があれば、このすさまじい数の悪魔を祓えるのに。悪魔憑きを救えるのに。彼女を助けられるのに。だが、今のアルベルトにそこまでの力はない。どうすればいい。どうすれば、
 ――だがそれではいかん。それは間違いじゃということを、誰かが教えてやらねばならん。
 どうすれば、彼女を救えるのだろう。



 足りない。
 力が足りない。頭が痛い。眩暈がする。足がふらつく。悪魔祓いの術を使おうにも、ただ真っすぐ立っていることすら難しい。それでも術を唱えようとすると、酷い頭痛と吐き気に襲われた。
 足りない。力が足りない。悪魔(奴ら)を滅ぼさなければならないのに。悪魔憑き(あのひとたち)を救わなくてはならないのに。結界を守らなくてはならないのに。どうして出来ないの。どうして。私がやらなきゃ行けないのに。私しか出来ないのに。それが出来ないなら、私は何のために――
「――リゼ!」
 不意に、頭の中に声が響いた。背後から聞こえる聞き知った声。名前を呼ばれた。あの時と同じように。そしてその声は、どこか必死に言葉を紡ぐ。
「君一人でやらなくていい。全部一人でやろうとしなくていい。例えそれが君の宿命だとしても、一人で背負わなくていいんだ」
 その声はやけにはっきりと聞こえた。うまく働かない頭で、告げられた言葉の意味を認識する。
 一人でやらなくていい。
 一人で背負わなくていい。
 ――私の背負う宿命のことなんてこれっぽっちも知らないくせに。
 能天気でお人好しな悪魔祓い師。何も知らないくせに、少しも関係ないくせに、ただの他人のくせに、そんなに必死になっちゃって。馬鹿みたいだ。本当に。
 ――でも、
 もし本当に一人で背負わなくていいのなら、
 私は――
 気が付くと、あの酷い頭痛はなくなっていた。眩暈もしない。吐き気もない。その代りにやってきたのは、腕から伝わってくるやわらかい温もりだった。