Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ
何故魔女がこんな力を使えるのだ――。マリウスはそう叫んでいた。“魔女”が持つのは、悪魔を使役する力。悪魔を自在に操る力。緋色の髪の魔女が行う悪魔祓いは、人々を惑わす偽の救済。教会が信じる“真実”を、マリウスもまた信じている。魔女が持つ救済の力は悪魔に由来するものだと。
本当は違うのに。
「だったらどうしたっていうの」
次の瞬間、地底湖の中心から蒼い光が立ち上った。光は一つに集束し、輝く氷の欠片を舞い散らせる。その舞い落ちる六花の中から、緋色の髪の人間が現れた。
「魔女だから何? 私は魔王(サタン)を復活させる生贄になるなんて、真っ平御免だわ」
輝く立花を纏ったリゼは、低い声でそう呟いた。氷の大地へと変化した地底湖からの悪魔の噴出は止まり、“門”は完全に閉ざされている。その真上に立つ彼女を、マリウスは茫然と見つめた。
「“地獄の門”に飲まれていたというのに、何故・・・・・・!?」
助かるはずがない。マリウスは言外にそう言っている。だから、アルベルトが助けようとした時にも嗤っていた。無駄な行為だと。アルベルトですら、半ば諦めかけていた。
しかし、彼女は今ここに立っている。
「あと少しで完全に飲まれそうだったわ。おかげで胸糞悪い思いをした。でも、
壊れかけてるみたいだから、壊すのは楽ね」
その瞬間、地底湖から光が立ち上った。
陽光のように輝くそれは浄化の光だった。まばゆい光は洞窟中を照らし出し、悪魔達は逃げようとするも光に飲まれて次々と消滅していく。その凄まじいまでの浄化の力は氷に閉ざされた“門”の中からもほとばしり、易々と真っ二つに引き裂いた。
奇妙な叫び声が洞窟内に響き渡った。“門”を構成する闇も、そこから力を得て実体化した悪魔達も、全て蒸発して消えていく。強い光に照らされて、地底湖は真昼のように明るくなった。
「私の邪魔をするな! 魔女めがぁっ!」
太陽の如き光が地底湖を照らす中、それを忌んだマリウスは吠えるように叫び、槍を構えリゼに投げつけた。これほどの術を使っていては、リゼは動けない。立ち尽くす彼女に、黒い槍が迫った。
しかしそれが届く前に、アルベルトが振るった剣が槍を叩き折った。槍は黒い粒子に変わり、霧散して消滅する。武器を失ったマリウスは一瞬ひるんだが、しぶとくも空の右手をアルベルトに掲げた。突き出された右手からは黒の衝撃波が放たれる。至近距離で放たれたそれを紙一重で避け、アルベルトは剣を振り下ろした。剣はマリウスの右腕を深々と斬り裂き、傷口から血が噴き上がらせる。腱を断ち切られ、右腕が使い物にならなくなったマリウスは、今度は左手を振り上げた。
「至尊なる神よ。その御手もて悪しきものに断罪を!」
マリウスが仕掛ける直前に、アルベルトは祈りを唱えて剣を振り上げた。その軌跡から生まれた聖なる光はマリウスの胸部を斬り裂き、集まった黒い靄を弾き飛ばす。わずかに残った悪魔の力も、リゼの浄化の光が瞬く間に滅ぼしていった。
そして、マリウスは完全に沈黙した。
右腕と胸部を斬り裂かれても、マリウスはまだ生きていた。
アルベルトが与えた二つの傷。それはどちらも決して浅くはないけれど、致命傷になるほどでもなかったようだ。最後の最後で、武芸に長けた者の勘が冴えわたったらしい。ただ、もう再生する心配はない。アルベルトが悪魔を斬り、マリウスを吹き飛ばした瞬間、リゼの悪魔祓いの術が、マリウスに憑く残りの悪魔を祓ったのだ。もう、悪魔の力は一片も残っていない。血の滴る傷口を押さえて、マリウスはただひいひいと呻いている。
「おいてめえ。こんなことしてくれたからには覚悟が出来てんだろうなあ?」
ゼノはいつになくキレた様子で、蹲るマリウスに凄んだ。シリルは今のところ命に別状はないが、気を失ったまま目を覚まさず、精神面にどんな影響が出ているか分からない。アルベルトが視た限り、浸食が進んだ悪魔憑きほど酷い状態ではないが、かといって安心は出来ない。そういう状況だから、悪魔召喚の実行犯の一人であるマリウスに、ゼノは怒り心頭なのだ。今にも殴りかかりそうなぐらいには。
「ゼノ。少しだけ待ってもらっていいか」
拳を握っていたゼノを押しとどめながら、アルベルトはマリウスの前に立った。マリウスは斬り裂かれた腕を押さえ、顔面蒼白で蹲っている。腱を斬ったから手では何もできないはずだ。
「――ブラザー・マリウス。どうしてこんなことをしたんですか。あなたは神のしもべたる悪魔祓い師でしょう」
『汝、神に適わぬ悪しき心を持つなかれ』。悪魔祓い師の『清廉』の誓願を破り、悪魔教徒の手引きをした。それだけにとどまらず、自ら悪魔憑きになった。何がマリウスにそうさせたのだろう。アルベルトの疑問に、マリウスは唇の端を歪めてあざ笑うようにして答えた。
「力への欲求だ。貴様になら分かるのではないか? 悪魔堕ちした悪魔祓い師よ」
マリウスの返答に、アルベルトは眉を寄せた。力への欲求・・・・・・? 優れた武術の腕を持っているのに? 悪魔祓い師であるのに、悪魔の力を求めるのか? ただそれだけのために悪魔召喚を行ったというのか? 疑問が頭の中で渦巻いている。それを見通したかのように、マリウスは言った。
「おや、分からない振りをするつもりか? 貴様は魔女を助け、『服従』の誓願を破った。それは力が欲しかったからではないのか? 悪魔祓い師のものではない力が」
マリウスの言葉は、まるで蜘蛛の糸のようにねっとりとしていた。嫌味で気取った、不愉快な口調。この期に及んで挑発的な態度を取るのは、負けを認めたくないからだろう。マリウスは神学校の先輩であったのだが、思えばあの頃から負けず嫌いだった。『力への欲求』も、その負けず嫌い故なのか。
ただ、マリウスの言うことは一つだけ間違っていない。アルベルトが力を欲しがっているのは本当だ。例えそれがマラークの神のものでなくとも、悪魔を滅ぼせるものならば。
マリウスは嗤った。無言のままのアルベルトを見て、勝ち誇ったように。にやにやと、厭味ったらしく。
そして次の瞬間、その横っ面に容赦のない膝蹴りを叩き込まれた。
マリウスは首が曲がる勢いで吹き飛び、頭から床に突っ込んだ。情けなくひいひいと痛みに呻きながら、マリウスは顔面を押さえる。指の間からはばたばたと赤い液体が零れ落ち、地面に染みを作った。
「『力への欲求』? そのために誰かを生贄にして悪魔を喚び出す? ふざけないで」
リゼは蹲るマリウスを見てそう言い捨てた。その声は静かながらゼノ以上の怒気がこもっている。視線もそれだけで相手を凍らせられそうなほど冷ややかだ。
「悪魔の力なんて下らないもの、求めるのはクズだけよ」
「それを貴様が言うのか。悪魔に魂を売った魔女めが」
鼻を押さえたまま、くぐもった声でマリウスは言う。目つきだけは鋭かったが、その姿は酷く間抜けで情けない。冷たい目で反省の色のないマリウスを睨みつけたリゼは、容赦なくその胸倉を掴みあげた。
「だから言ってるのよ。そんなことも理解できないの? 脳みそまでまともに機能してないなんて、さすが無能者ね」
「む、無能だと? 私は――」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ 作家名:紫苑