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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅳ

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「強くなれないからって悪魔の力に手を出すような馬鹿が有能だとでも? 要するに、悪魔祓い師として三流だったってことでしょう。無能者に神様も天使様も力を与えてくれるわけがないわね」
 リゼの冷たい罵倒に、マリウスはわなわなと震えた。やはり挑発には弱いようだ。怪我のため動かないが、そうでなければリゼに掴みかかっていただろう。仮に掴みかかったとしても、リゼが相手では何もできないだろうけど。
「無能・・・・・・? 魔女ごときが私を侮辱するか。私は、私は――」
 這いつくばったままぶつぶつ呟きながら、マリウスは憎しみに満ちた目で一点を見据えている。繰り言は恨みがこもり、呪詛めいていた。
「私は優れた人間だ・・・・・・なのに邪魔を・・・・・・穢れた異邦人どもが・・・・・・滅びの輩(ともがら)が・・・・・・悪魔のしもべ如きが人を救うだと・・・・・・!」
 不意に、マリウスの表情が変わった。何かが切り替わったように、憎しみのこもった表情から厭らしい笑みに面持ちを変える。うずくまった体勢のまま、不気味に光る眼がずずずっと動いた。
「唯一絶対の神に従わぬ者はすべからく滅びの使者となる。悪魔教徒も、ミガー人も、悪魔堕ちした悪魔祓い師も、そして魔女よ。貴様もだ」
 マリウスは勝ち誇ったように笑いながら、爛々と光る眼でリゼを見る。先程まで情けない表情を浮かべていたのに、その変化の速さに驚かずにはいられなかった。まるで別の人格が現れたようだ。
「神に仇なす者が、救世主を気取って悪魔を滅ぼすのか。そんなことをしても宿命は消えぬぞ!」
 そう言って、マリウスは狂ったように嗤う。いいや、本当に狂っているのかもしれない。あれだけの悪魔を取り憑かせて、何の影響もないということは有り得ない。理性も、正気も、全ての箍が外れたように、マリウスは嗤い続けている。
「話になりませんわね」
「全くだ。この期に及んで自分のことは棚上げか」
 嗤うマリウスを見て、ティリーとキーネスは呆れたように言った。
「しかもミガー人(オレ達)まで滅びの使者扱いかよ」
 苛立ちを滲ませながら、ゼノもそう呟く。この世にはマラーク教徒と悪魔教徒しかいないのか。悪魔堕ちしても悪魔教徒とミガー人の区別がつかないのか。そんなことを言いながらゼノはマリウスを睨む。だが、そんな彼以上に怒っているのはリゼだった。
 剣呑な雰囲気を纏ったリゼは剣を抜くと、刺突の構えを取った。マリウスを斬り捨てる気だ。アルベルトは慌てて、突き出されそうになった右腕を掴んだ。
「放して! これ以上ふざけたこと言えないようこいつの頭斬り飛ばしてやる!」
「駄目だ! リゼ、落ち着くんだ」
「何よ。こいつを庇うの? 同じ悪魔祓い師だから同情でもしてるわけ!?」
 リゼの蒼い瞳は怒りに煮えたぎり、炎よりも苛烈な意志が踊っている。今にも言葉通りマリウスの首をはねに行きそうだ。だがそれは困る。同情心なんてないが、こうして生きたまま捕らえられた以上、マリウスしか知らないであろうことを訊かなければならないのだ。すなわち悪魔教徒の目的――というより、意図を。口を割るかどうかは分からないが、マリウスなら悪魔教徒について何か知っているかもしれない。
「そうじゃない。この人にはまだ聞きたいことがある。この人を悪魔教に引き入れた奴がいるはずだ。そいつのことと、悪魔教徒について知っていることを洗いざらい話してもらう。悪魔教徒の企みを阻止するためには情報が必要だ。そうだろう」
 リゼは同意も拒否もしなかった。ただ剣を下ろし、マリウスを睨みつけた。アルベルトが手を離しても、リゼは何もしない。しばらくして、彼女は溜息をついてから剣を納め――へらへらと嗤うマリウスの横っ面に、再び蹴りを叩き込んだ。
「・・・・・・今度余計なこと言ったら即殺すわよ」
 地面に突っ伏しているマリウスを見下ろして、リゼはそう吐き捨てた。小心者なら、それだけで縮み上がってしまいそうなほどの気迫だ。だがその気迫も、今のマリウスには通用しないようだった。
「無駄だ。誰も救われない。誰も導かれない。闇が満ちる。悪魔が満ちる。宿命は変えられん。皆地獄に堕ちる・・・・・・」
 地面に突っ伏したまま、マリウスはぶつぶつと呟いた。本格的に狂って来たのだろうか。リゼを止めたものの、これでは情報など望めないかもしれない。それほど、マリウスの魂はぼろぼろになっていた。自業自得とはいえ、哀れに思えるほど魂の損傷は酷い。こうなったらもうどうしようもなかった。
「――? これは・・・・・・」
 しばしマリウスを観察していたアルベルトは、不意に今まで気づかなかった奇妙なものがあることに気付いた。それはマリウスの腹部で、陽炎のようにぼんやりと揺らめいている。悪魔ではない。もっと小さい、注意深く視なければ簡単に見落としてしまいそうなものだ。それはアルベルトの視線に気づいたかのようにちらちらと瞬いた。
「みんな下がれ!」
 嫌な予感がして、アルベルトはそう警告した。その次の瞬間、マリウスの表情がすうっと凍りつく。何かを感じたのか硬直するマリウスの腹部に、奇妙な紋章がぼこりと浮かび上がった。衣服の上からでも分かるほど紋章は禍々しく輝き、妖しく脈動する。そして、
「ぐああああああああああ!?」
 叫び声と共にマリウスの腹部は風船のように弾け飛んだ。赤い液体と肉片を撒き散らしながら、悪魔堕ちした悪魔祓い師は仰向けに倒れる。切断寸前の胴体からは、黒っぽくなった内臓がはみ出していた。
「うわああ!?」
「きゃあああ!」
 足元まで飛散した血を見て、ゼノとティリーは悲鳴を上げつつ後ずさる。キーネスは静かだったがその表情は極めて不愉快そうだ。魔物やそれに襲われた人間、身体が変形してしまった悪魔憑きを見てある程度耐性はついているものの、突然グロテスクな光景が目の前で繰り広げられたら気持ち悪くもなる。アルベルトも一瞬茫然として、元同僚の死体を見つめていた。
 だがその光景にもっともショックを受けたのは、図らずもマリウスの一番近くにいたリゼだった。幸いにも血は被らずに済んだようだが、肉片が足元まで飛び散っている。それを見たリゼは声もなくその場に崩れ落ち、すっかり血の気の引いた顔で、マリウスの無残な死体を凝視した。身体は細かく震え、瞳は凍りついて瞬き一つしない。爆破されたフロンダリアの神殿で、祭司達の死体を見た時と同じように。
「リゼ、大丈夫だ。落ち着いて」
 マリウスの死体が目に入らないようリゼの前に屈み込み、アルベルトはゆっくりと言い聞かせた。動かないリゼの瞳は硝子玉のようで、実際はマリウスの死体など目に入っていないのかもしれない。もっと別の、記憶の中にある何かを見ているのかもしれない。ふと、凍りついた彼女の瞳の奥で黒い何かが蠢いたような気がしたが、瞬きする合間にそれは見えなくなっていた。
 少ししてから硬直が解けたリゼは、それまで呼吸すら忘れていたのか長い潜水の直後のように大きく息を吸い、苦しげな呼吸を繰り返した。幾度か瞬いているうちに瞳に光が戻ってきて、のろのろとアルベルトに視線を移す。リゼは辛そうな表情で頭に手を当てると、か細い声で言った。
「ご、めん・・・・・・大丈夫」