Modern Life Is Rubbish ギリシャ旅行記
SPACEというクラブと、一昨日行ったカヴォ・パラディッソが候補にあがった。SPACEはなんとこの日がラスト・パーティーだった。この日で閉店だ。偶然ではあるが、2年前のイビサ島の旅行のときに、SPACEというクラブがめちゃくちゃよかったという記憶がある。なので、SPACE、ラスト・パーティー、といわれるとがぜん盛り上がった。しかしながら、カヴォ・パラディッソのこの日のDJがAgent Gregという人で、夫がなんとなくきいたことがある、確かかっこよかったと思う、ということであった。かくして、私たちは、再び、魔のカヴォ・パラディッソ道中を行くこととなった。
●3. 強烈オンパレードinミコノス
しかし、今回は夫が道を覚えていてくれたようである。全く迷わず、バギーですぐにカヴォにたどり着いた。と思ったら、まだクラブ自体が開店していなかった。時刻は夜の11時。
「あと1時間後に来て」
私たちはやむを得ず、すぐ下のパラダイス・ビーチのビーチ・サイドのクラブ「トロピカーナ」で時間をつぶすことにした。
ここから、信じがたいほどに強烈な人々や出来事が次々と私たちに押し寄せてきたのだった。
トロピカーナでは、私たちの隣で踊っていた白人のカップル(これはゲイ・カップルではなく、男女のカップルだった)の陽気な小男が、私たちに話しかけてきた。
「僕はイタリア人。僕の恋人、すごくきれいでしょ。男はやっぱりこんな風にしてあげないとダメだよ!」
そういって、自分の恋人の背中に手を回し、抱きかかえるようにして正式な社交ダンスのように恋人の背を後ろにぐいーんと反らせる。これを何度も何度も延々と繰り返し、笑いながら私たちに見せてくる。
要はお調子者である。
最終的には夫もつられて、私にぐいーんをやっていた。
このあたりは単に楽しい人々の思い出である。
トロピカーナで時間をつぶして約1時間、カヴォ・パラディッソにもう向かってもいい頃だろう。実際、トロピカーナの人々もカヴォ・パラディッソにおそらく流れ始めていた。
私たちはトロピカーナ入口に停めたバギーにまたがり、カヴォ・パラディッソに向かう急な坂道を上った。
あと20メートルでカヴォ・パラディッソ到着である。
そこで、我らがバギーは、ガス欠を起こした。
「やばい、ガス欠じゃ」
自分たちの目と耳を疑った。動かない?バギーが?
気持ちは愕然とする。
しかしまだ現実に気持ちが追いつけていない。
とりあえずは、カヴォ・パラディッソに到着し、停車しなければ。
夫はバギーから降り、私にバギーにのってハンドルをとってくれと指示した。彼は後ろから押すから、と。
私は指示通りハンドルを切って、彼はうんうんうなりながらも、無事、なんとか、20メートルの距離を押し切って、バギーはカヴォ・パラディッソの駐車場に停車した。
ほっとした私たちは、ようやくここで、気持ちが現実に追いついた。
ここまで辿り着けたのはいいけど、帰りどうする???
カヴォ・パラディッソは、ホテルからバギーで20分〜30分かかる場所にある。バギーが時速30キロと仮定して、徒歩が時速5キロとすると、これは歩くと3時間ほどはかかることになる。
これは完全にトラブル発生である。
「パスポート事件」に続く、リアル・トラブルである。
ガソリンスタンドでガソリンを買って、何か容器に入れて持ってくればよいが、こんな深夜にはミコノスではガソリンスタンドはもちろん開いていないと思われる。
ガソリンスタンドが朝開いた頃にタクシーでガソリンスタンドまで行って、ガソリンを何か容器に入れてカヴォ・パラディッソまで戻ってきて、バギーに入れる。これは考えられうる案だが、タクシーはミコノスでは総数20台ほどしかないらしく、この観光シーズンの明け方にタクシーをつかまえるのは至難の業とのこと。
あとは明け方バスでいったんガソリンスタンドに行って、ガソリンを買ってバギーまで戻ってきて、バギーに投入。これが現実的な案か。
ただ、問題は、翌朝8時には私たちはホテルを出発しないといけないということだ。そう、翌朝には私たちはミコノスを発って次の島へ出発する予定なのだ。
私たちは、念のため、カヴォ・パラディッソの敷地内にあるジャンク・フード店を営む家族に、こうこうこういうことが起きたのだが、どうにかできないだろうか、何か手立てはあるだろうか、と相談してみた。しかし彼らの答えは空しく、残念だけど、朝まで待つ以外はどうにもしようがないよ。あるいは、そこにカヴォ・パラディッソの駐車場管理(?あるいは案内?)をしている、パーキング・ガイがいる。そいつに相談してみたらどうかな?
駐車場を見やると、確かに、パーキング・ガイはいた。彼はそれらしい蛍光色の入ったユニフォームを着て、何やら駐車場でここに停めてくれなどの指導をしていた。一見、忙しそうだが、ほとんどの時間は、仲間とみえる客やスタッフと立ち話をしている。
彼に同じことを相談してみると、いかにも神妙な顔つきで、オーケー、ちょっと俺の友達に電話してみる。彼がガソリンをもってくることができそうか、きいてみるよ。ちょっとだけ待ってな。俺も今忙しいんでな。
そう言われ、私たちは例の敷地内のジャンク・フード店のテーブル席にいったん座る。座ってパーキング・ガイの調整の行方を待つ。・・・。待つこと30分。パーキング・ガイからは何の音沙汰もない。彼はますます仲間との雑談に忙しそうである。
彼はいかにも神妙な顔をしているのだが、その実は私たちのことを忘れてしまっているんではないかという感じのする男であった。それは神妙な「ふり」をしているのではない、あくまで神妙なのだ。しかし、1秒後にはどんなことも忘れてしまっている。つまり、常に記憶喪失状態にある。そんなような感じのする男だった。ぱっと見、彼は中肉中背で、毛深くもなければ薄い顔立ちでもなく、特別イケメンでもなければ醜いわけでもない。いわゆる地味で普通な外見である。しかし、内面からにじみ出るその特殊さは隠されておらず、極めて不思議な空気をまとっている男だった。
そんなパーキング・ガイに私たちは待たされて30分後、どうなったのか。友達と連絡はとれたのか。と訊いてみる。この男、私たちのトラブルのことなんて忘れていたんではないか?そんな懸念を抱きながら。
「あー、友達とまだ連絡は取れないんだ。もうちょっとあそこで待っててくれよ」
無表情に言う。それから彼は少々早口でもある。
なんとも言えず、すごすごとジャンク・フード店に後戻りする。そこしかカヴォ・パラディッソ敷地内で座って待てる場所はないのである。カヴォ・パラディッソ店内からはドン、ドン、とハウス・ミュージックが聴こえてくる。大きな音が外にもれているといった感じだ。早く入りたいなあ。そう思いながら、ほとんど無言で、時折、パーキング・ガイの不思議さについて夫とふたりで話しながら、パーキング・ガイからの報告を待った。
作品名:Modern Life Is Rubbish ギリシャ旅行記 作家名:夏目 愛子