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夏目 愛子
夏目 愛子
novelistID. 51522
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Modern Life Is Rubbish ギリシャ旅行記

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 「振り出しに戻ったねー」
 「振り出しだわー」
 お互いにそう言いつつも、実際は振り出しに戻るも何も、そもそもどこへも向かっていなかったんだということはわかっていた。そして、これからどっちへ向かったらいいかも皆目見当がつかない。標識が少なすぎて、たったひとつのヒントすらなかった。
 
 インターネットが使えてiPhoneが使えてGoogleMapが使えたなら。こんなことにはならなかっただろう。もちろん。
 でも、私はやっぱりこの状況が楽しかった。はっきり言って、楽しかったのだ。
 
 携帯電話がないって本当にいいなあと思った。まあ、旅先だからこんな悠長なことを言っていられるのだろうけれど。
 
 そこに立ち止まっていても何のヒントも得られるはずもないので、なんということもなく、バギーに乗っかる。なんとなくの夫の方向感覚に任せて、バギーを進める。
 
 しばらく進んだところで、パーティーをやっている家が見つかった。外に数人のグループがいたので、カヴォ・パラディッソまでの道を訊ねてみた。彼らはすでにひとパーティー終えたところなのだろう、テンション高く、口々に言った。
 
 「あー、カヴォ・パラディッソ!トロピカーナってクラブのほうにいくとカヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 「僕たちも行くんだよ、これから。カヴォ・パラディッソに」
 「ちょうどいい、僕ら今から車に乗って先に行くから、車の後ろをついておいでよ!」
 
 彼らに後光が差している気がした。やっと希望の光が見えた!
 
 「ありがとう!!!」
 「やったね!」
 私たちは興奮しながら、その集団の車について行った、しかし、バギーののろいスピードではあっという間に希望の車との車間距離が広がっていった。曲がり角の先で、希望の車は待っていてくれると信じていた。しかし、ハイテンションな彼らを乗せたその希望の車はあっという間に消え去った。
 心やさしく律儀な日本人の常識はそこでは通用しなかった。ここは自由と自律と解放のミコノスだった。
 
 「スーパー・パラダイス・ビーチはこっち」という標識がところどころにあることを唯一の手掛かりに、私たちはあきらめず、バギーと共に進んだ。なぜなら、帰り道すらわからない、本当の迷子になっていたからだ。すでに出発して1時間以上は経っていただろう。
 
 丘からは完全に下りて、海側に近い感覚を得ていた。
 静かな道端に、松葉杖をついた一人の男が立っていた。パーティー・アイランドのミコノスで、こんなパーティーの時間帯に、道端に松葉杖の男が立っている絵は、奇妙だった。彼に道を訊こうと近づくと、彼も松葉杖を使ってこちらに歩み寄ってきてくれる。
 「カヴォ・パラディッソはあっちだ」
 彼は右手で、ゆっくりともっともらしく、遠く右側を指していた。右側は、私たちがもと来た方向だった。
 「ありがとう!!!」
 
 私たちはその足の悪い男の導きに従い、もと来た道を右手に戻ってカヴォ・パラディッソを探そうとした。しかし標識まで戻ると、どう見ても左向きに「トロピカーナ、こっち」と矢印がある。さっきの希望の車の集団は、トロピカーナのほうに行けばカヴォ・パラディッソもある、と言っていた。足の悪い男は右と言い、希望の車の集団は左と言っている。矛盾だ。いったいどちらが正しいのだろう?
 
 標識の前で途方に暮れる私たちのところに、さらなる指導者が現れた。
 車に乗った男に、声をかけて、再び道を訊ねたのだ。
 「カヴォ・パラディッソ!道は知っているけど、説明が難しいな…。うーん、とにかくこっちに向かって、トロピカーナってクラブのほうに向かえば、カヴォ・パラディッソもあるんだよ」
 トロピカーナ!
 彼も左を指していた。
 やっぱり希望の車の集団が正しかったのだ。あの足の悪い男はなぜだか嘘をついていた。おそらく嘘をついたという認識もないのだろう。ただ単に適当なのだ。
 
 結局、この最後の車の男が結果的には救世主となった。
 私たちは、無事、カヴォ・パラディッソに辿り着いた。もはや時間の感覚はなかった。それくらいの時間が経っていた。実際は、2時間くらい経っていたのだろうか。
 
 「カヴォ見つからない事件」の顛末はこんな具合であった。
 
 夫が後から言うには、トロピカーナもカヴォ・パラディッソも、スーパー・パラダイス・ビーチでなく、パラダイス・ビーチ(ややこしい名前だ)のほうにあったということだった。それが私たちの勝手な思い込みで、スーパー・パラダイス・ビーチをずっと目指していたことが敗因だった、と。確かに調べてみたら、そのとおりだった。
 
 しかしよくよく思い返してみると不思議なことがあった。
 この翌日、太陽のぴかぴかと輝く時間帯に、スーパー・パラダイス・ビーチを目的地とし、実際すぐに何の問題もなくスーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けたのだった。確かに、カヴォ・パラディッソは本当はパラダイス・ビーチにあったのだから、あの晩、カヴォ・パラディッソ到着に苦戦したのは理解できる。しかし、あの晩、間違った目的地ながらもカヴォ・パラディッソがあると思い込んでいたスーパー・パラダイス・ビーチを目指していて、そのスーパー・パラダイス・ビーチにすら辿り着けなかったのである。これはよく考えたら奇妙である。
 
 スーパー・パラダイス・ビーチの標識に従っていたのに、スーパー・パラダイス・ビーチに辿り着けなかった。
 
 もしかしたら、あの晩、私たちは異次元空間にでも迷い込んでいたのだろうか?あの、世にも美しい星空とこの世のものと思えない解放感はそのせいだったのだろうか?