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夏目 愛子
夏目 愛子
novelistID. 51522
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Modern Life Is Rubbish ギリシャ旅行記

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10. アムスにてスマホのない旅を思う


 
 
2013年9月6日 金曜日

 
●1. スマホのない旅
 翌朝は、たいしたプランはなかったが、再び自転車に乗って出かけた。市街地の西のほうに、しゃれたお店が立ち並ぶナイン・ストリーツという場所があるということをヒルトンのホテルマンにきいたので、とりあえずそこに向かってみる。
 
 途中、ヒルトンからホランド・カジノまでの間あたりで(つまりまだアムステルダムの市街地の中心部までは入っていないところ)、緑の樹々が気持ちよさそうな、黒を基調とした素敵なカフェがあったので、そこでブランチをいただく。
 もちろんオープンテラス。
 平日ということとお店の雰囲気から、オランダのマダム連に人気のようで、テーブルはブロンド・マダム・グループで埋め尽くされていた。私はフレンチ・トースト、夫はモーニング・セット的なものを頼んだが、そのフレンチ・トーストと、夫のクロワッサン、それからコーヒーが、とても都会的に洗練された、しかし東京では味わえないような美味しいものだった。お店の名前をメモしておかなかったのが少々悔やまれるほどである。フレンチ・トーストは、薄めのパンをカリカリに焼いているのだけれど中に味がぎっしりしみていてややひたひた気味なほど。その上に、シュガーパウダー、いちご、シロップ少々がかけられていて、最後にミントで飾りつけ。クロワッサンも外はかりっ、中がほわっほわで、夫は感動していた。
 
 ナイン・ストリーツおよびその近辺をサイクリングしていると、アイスクリーム屋さんがあって、たくさんの人たち、主に家族連れが並んでいた。私たちも食べてみようと並んで食べた。おいしかったのだが、それ以上に驚いたのは、その家族連れの半分くらいはお父さんが子どもをつれていたことである。金曜日の昼下がりにお父さんが子どもをアイスクリーム屋さんに連れて行く、機内で予習したとおりの素敵な社会だなあと感心した。
 
 それから、おしゃれなインテリアショップやTシャツのお店、チーズ専門店などいろいろ見ながらサイクリングで1日を過ごした。途中、今回の旅ではじめての雨にも遭遇し、バーやカフェで雨宿りもした。
 昨日と同様にサイクリングに集中し、道に迷ったりする中、思った。
 
 スマホがないこと。
 正確にはiPhoneはもっているけれどインターネットができない状況にあること。
 そのためにグーグルマップが使えなかったり、グーグルでおいしいお店や船や電車の時刻や遊び場所を調べられないこと。誰かからLINEが来ることもないこと。
 今回の旅はほとんどずっとこの状況だった(ギリシャの最初のホテルでは時々Wi-Fiが使えたりしたが、それくらいだった)。
 この状況って、なんというか、すごく落ち着く。
 なぜか。論理的に説明しようとすれば、説明できるだろう。でも、ここではあえてそれは避けたい。
 この原始的な状況に「落ち着く」感覚、それこそが答えそのものなのだと思う。
 テクノロジーが、人を不安定にしていく。
 「法律や政府よりも、実際は経済やテクノロジーに構造を規定されている現代社会」にユナボマーは警鐘を鳴らした。
 
 旅としても、スマホのない旅はより旅らしいし、日常生活としても、スマホのない日常生活はより日常生活らしい。
 そして、心が安定する。
 
 そんなふうに思った。
 
 
●2. 新婚旅行らしく
 日は暮れて、さすがに自転車で動き回って疲れたねと。最後の晩だし、ゆっくり新婚旅行らしい時間もすごしてみようか、と、アムス市街地の運河にかかる橋の上のベンチにふたりで座ってみる。新婚旅行らしくロマンチックな時間をすごせるかと思って座るやいなや、見るからに薄汚い格好をした老人が、からだじゅうを震わせて
 
 「たばこを1本くれんかね?」
 
 と物乞いしてきた。彼はあきらかに震えていて麻薬中毒か何かのようにも見えた。優しい夫は、落ち着いた様子で、オッケー、とアメリカン・スピリットを1本渡す。老人は、手を上げて、もらったたばこを、ありがと、と去っていく。と、思いきや、
 
 「もう1本いいかね?」
 
 とさらなる物乞いをしてくる。これはきりがないと思った私たちはその場を無言で立ち去る。ロマンチックとは程遠く。
 
 最後の晩餐はさすがに素敵な場所で食べたいと、街の本屋さんで素敵なフレンチレストランを調べた。フレンチinオランダ。このフレンチレストランも残念ながら名前を覚えていないのだが、黒でまとめたシックな内装で落ち着いてゆっくり話せた。夫はオランダに来てから私の口数が少ないことを少々気にしてくれていたみたいで、こんな会話をしたのを覚えている。
 
 「たぶん口数が少ないのは、無駄なことを考えないで常にきもちよくいられている証拠なんよ」
 「ふうん。そんならいいけど」
 「機嫌が悪いわけじゃなくって、むしろ理想でもある『禅』の状態に近い感じがするなあ」
 「『禅』???」
 「うん。日本でもいつもこうあることができたらいいなってくらいにね」
 
 そう、普段の生活では、私は考えすぎているし、感じすぎている。自分が感じたことを言語化しすぎている。それは時に素敵なことだし、それが自分の特徴でもある。
 しかしこのアムスでの状態、つまり、まったく何も考えない状態。正確に言うと、自分が感じたことを言語化しない状態、感じたことはすべて時間の流れや風景の流れとともに過ぎ去っていくような状態。これは想像を超える素晴らしさだった。
 と、後になって思う。むろん、このときは何も感じていないに近い状態なのだから、素晴らしいとかそういうこともあまり感じていないのである。
 
 新婚旅行らしく過ごそうとふたりで気が合ったこの晩は、ヒルトンに帰ってもお酒を一緒に飲んだりと、フレンチレストラン以降はまさに新婚旅行らしく仲良く楽しく過ごした。雨降り後のアムスの晩は、涼しく湿っていた。