霧雨堂の女中(ウェイトレス)
ふと、その人の目がまっすぐ私の方に向けられた。
瞬間心臓がどきんと跳ね上がった。
「ブレンドをお願いします」
そして彼女はそう私に告げて、メニューを折りたたみ差し戻してきた。
一瞬目を白黒させながらもどうにか平静を取り戻そうと努めて、私はメニューを受け取った。
「以上でよろしいでしょうか?」
そしてどうにかそう尋ね返すと、
「あとで連れが来ますから、その時に追加をお願いします」
彼女は優しく温かい声音で、そう言った。
カウンターの方に戻るときにはもうマスターがコーヒーを淹れる準備を始めていた。
何しろ小さなお店なので、ほかのお客さんがいなかったりBGMが静かだったりすると、注文はその端にいても聞こえてしまう。
私はカウンターの向こう、『お店の人』としてのテリトリーに戻ると、目立たないように改めてすうっと深呼吸をした。
そしてふとさっきのマスターとの会話を思い出してしまう。
――口元が隠されていて、いや、顔の下半分が隠されていて、だからこそ私はその中に自分の理想を当てはめているのだろうか?
それだけの理由で、こんなにも驚いたり、視線のひとつですら凶器にでもなったかのように、心がざわめくものなのだろうか?
店内にやがて馴染みの深いブレンドの香りが立ち込め始める。
マスターが淹れたての一杯をそっとカップに注ぎ、トレイに置くと、私の方に差し出す。
私はそれを持って、もう一度あの圧倒的な存在感を纏う女性の方へと歩き出す。
その時、
作品名:霧雨堂の女中(ウェイトレス) 作家名:匿川 名