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霧雨堂の女中(ウェイトレス)

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「インフルエンザですねえ」
と、この町で一番古い内科の老先生は淡々と告げたので、私は『はあ』と気のない返事をするしかなかった。
4月にもなって、インフルエンザ?
「ほら、ここをご覧なさい。赤い線が出ているよねえ。これが感染の印。B型だねえ」
そう言いながら先生はぐいぐいと私の方に長方形をしたシャーレのような何かを差し出してくる。
確かに、言われてみると先生が示すところに赤い線が縦に一本、すっと綺麗に伸びていた。
「今の時期はB型が多いんだよねえ。でも、薬があるから心配はあまり要らないんだけどねえ」
しゃべりながらも先生の目線はカルテに落ちたままで、さらさらと年季の入った万年筆で何かをそこに書き加えている。
ウムラウトが何となく見えたから、『ドイツ語なのかな』と思った。
でも大学を中途半端に休学している私には、先生の達筆な筆記体はとても盗み見で読めるシロモノではなく、言われたままに『まあそうなんだろう』と思うしかなかった。
なんだか以前外出していた時、ワイドショーでいつか聞いた名前のお薬の処方を受けて、そのまま私は霧雨堂に帰った。
裏口からそっと屋内に入る。
ここで咳き込んでしまってはマスターにご迷惑をかける。
なので、二階の私の部屋に戻ってから、一度お店の電話を鳴らしてみた。
2コール、きっちりそれだけ店内に音が響いてから、受話器を取る音がした。
「はい、霧雨堂です」
営業用の声がして思わず私は『こいつめ』と立場もわきまえず思ってしまう。
「マスター?私です」
「おお、あやめ君かい?どうだった?」
「はい、インフルでB型でした。ついでにもう二階に戻ってますから、上がってきちゃ駄目ですよ」
私は老先生から聞いたとおりに報告した。
「そうかい・・・でも仕方がないよね。今日はゆっくり休んで。お客さんも少ないから、お店はなんとかなると思うし」
マスターはそう言って、
「でもあやめ君がどうしてもって言うなら、お店を閉めて添い寝をしてあげないこともないんだが」
とぬけぬけと続けたので、
「絶対にお断りいたします」
と私も丁重にお断り申し上げた。

「そうか、残念だけど、それじゃ一人で真面目に働くことにするよ」
マスターはやや大げさにしぼんだ声音を出して、でも最後には『たいしたことはないよ、きっと』と言わんばかりに薄く笑いながらカチャと電話を切った。
でも、