霧雨堂の女中(ウェイトレス)
嘘と女中と霧雨堂
「や、ほんと、申し訳ない」
マスターはそう言いながら、文字通り平謝りに頭を下げている。
私はといえば、正直もうどうでも良いことだとは思いつつも、ここぞとばかりにため息をひとつ大きくついてみる。
言葉はあえて発しない。
黙ることで相手に与える威嚇というモノは、時に百の言葉に勝る恫喝になるのだと冗談半分に私は考える。
結局、あの日お店の鍵を開けていたのはマスターだと判明した。
と、言うよりも消去法的に言えば、私が鍵をかけ忘れたのでなければマスターしか解錠出来る人は居ないので、聞くまでもなかったし私自身としては特にその件に触れるつもりはなかった。
何しろ私はマスターの好意でお店の二階に間借りしている身分なのだ。
本来何かを積極的に言える立場ではないと言うことは重々承知してはいる。
でも、私も生物学的には女性なのであって、無施錠の家で寝るのは(そこに鍵がかかっているかどうかは外見上不明であるにしても)防犯的に実に不用心であるという認識もある。
だから、休み明けにマスターが何かきまりの悪そうな様子で私のことを見ていたり、「あー」とか言いながらそのまま言葉が途切れるのを何度か繰り返す様子から、きっと『そのこと』を話そうとしているのだろうと何となく私も察していた。
で、
「あのさ」
と話を振ってきたのは午前10時も過ぎた頃のことだったので、そのときまで私はこのまま話は流れてしまうモノだろうと思っていた。
作品名:霧雨堂の女中(ウェイトレス) 作家名:匿川 名