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霧雨堂の女中(ウェイトレス)

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 ※

サイフォンのヒータースイッチを入れて、粉を選ぶ。
お客さんの印象から私はコスタリカ産の豆を選んだ。
豊かな香りと嫌みのない酸味と、やや上品な味わい。
人生の味わいを様々な形で知ったであろうこの紳士にふさわしいのは、きっとそんな味ではないかと思ったからだ。

壁にあるスイッチの中からそれとなく、お店の中で奥の方の明かりをつけた。
音楽は適当にレコード盤を見繕いターンテーブルに載せてみた。
正直私は音楽にはからっきしなので、もっぱらジャケットの絵柄の印象に頼ったのだが、スピーカーから滑り出した音楽がトランペットで始まる伸びやかな調べだったので、正直なところ内心でホッとした。

「マスターはお留守ですか」

とその紳士は呟いた。
その声の響きに私は、
「はい」
と短く答えた。
ここにも私はにわかな罪悪感を感じた。
この紳士はマスターを知っている。
私は何となく流されて注文に応じてしまったが、お店は本来定休日なのだ。
カップに注いだコーヒーはふわりと湯煙を立て、私の鼻腔に届いたそれは概ね注ごうと思った格好で出来上がったことを私に知らせた。

「それは残念だ、出来れば今日は彼と話がしたかったのですけれどね」

紳士はそう告げて、私から小皿に載せられたコーヒーカップを受け取った。
そっと縁に口をつける仕草が何とも様になっていた。
もう何年も、何十年もそうしてコーヒーを飲んできたのだろう。
そこには私が知る限り『コーヒー党』だけが持つ様子というか、雰囲気がありありと見て取れた。
「彼がいないのなら仕方がないですね。
 でも折角なのでお嬢さん、もしもよろしければ――私のくだらない話におつきあい願えませんか」
老紳士はカウンター越しに私に向かい、にこりと笑ってそう言った。
ここまでの私の主観だが、このヒトは決して『嫌なヒト』ではなさそうだ。
なので私は「はい」と答え、求めに応じて頷いた。