花契り
暗紫色の闇のなか、ボ~と花明かりに浮かぶしだれ桜を背に、女はしなやかに手を返し身をくねらし、ときに狂おしく、ときに妖しく、そして艶やかに舞ったのである。それは燃え上がるかがり火に舞う蝶のようであり、ほとばしる滝に踊る鮎のようであり、沸き立つ白雲に戯れるカモメのようであった。
「有り難う、いい声で踊りがいあったわ。」
身体を寄せると女は酒を求めた。飲み干すと盃を返し、差しつ差されつ、ピンクに染まる目もとが何とも色っぽい。思わずグイと抱き寄せた。
「口移しはどうだ。」
含んだ酒を半開きの女の口に流し込んだ。ウッ、一瞬むせんでゴクリと飲み干す女。陶器のような白い喉が上下する。
「もっと」、首に手を回してねだった。
口移しで酒を飲み干す女の襦袢が乱れた。緋色に火照った太ももが悶える。秘所に手を伸ばすと、アア~喜悦しながらしがみついてきた。
生温かい春夜であった。淡色しだれ桜が今が盛りと乱れていた。山中の一軒家、憚(はばか)るものは何もない。二人は激しく交わり、女は何度も登り詰めたのである。
二
どんよりした花曇りの朝であった。
肌寒さを覚えて目を醒ますと、障子を開けた女がしだれ桜を眺めていた。雪片のようにヒラヒラ花びらが落下していく。
「桜も終わりね・・」
赤い襦袢の後姿が淋しそうであった。Kは有名な句をもじってみせた。
「・・花の命は短くて、淋しきことのみ多かりき・・か。」
桜に見入ったまま振り向きもしない。
「・・誰にも見られず散っていくって淋しいことね。・・苦しいより淋しいほうがピッタリかもしれないわ。」
気持ちを変えようと思ったのだろう、女は二の腕をさすりながら風呂場へ走った。
「寒い、寒い、温まらなくちゃ。」
Kも起き上がって囲炉裏に薪をくべた。火吹き竹で空気を送ると、勢いよく炎があがる。薄暗い部屋が焚き火の暖色に染まっていく。身体を温めた女が戻ってきた。
「気持ち良かったわ。スッキリしちゃった。」
見上げると、濡れた黒髪を梳く女の襦袢姿が艶めかしい。床のしとねが昨夜の交わりで乱れている。
「今日は雨みたい、貴男もお風呂で温まったら。」
パチパチはじける炎にKの姿態が赤銅色に映える。筋力がみなぎり股間が熱を帯びた。火掻き棒を押し込むと女の足首を掴んだ。
「・・お前の身体で温まりたい。」
フフッ、女は妖しく微笑むと片足をKの肩に乗せた。襦袢の下は何も着けていない。薄桃色の太ももが露わになった。獣のように呻くと、Kは女の秘所に食らいついた。
アア~ッ、女はKの頭を抑えた。腰が揺れ黒髪が乱れ襦袢がずり落ちる。風が強まり、桜花の落下が激しくなった。
どれくらい忘我の海を漂っていただろう。
放心したままKは呟いた。
「・・花は短し、恋せよ乙女。」
目を瞑ったまま、女は満ち足りた面持ちで応えた。
「・・もう、乙女じゃないわ。・・花の時代は終わったの。」
女の横顔に見入った。上気した頬に髪の毛がほつれている。広い額からすっと高まり急降下する鼻、それを受ける濡れた唇、完璧な横顔である。
「花は終わってないよ。・・今がピークじゃないか。」
そう?女が含み笑いで身体を寄せてきた。
「じゃ、乙女短し、女は長しかな。・・私、絶好調だもん。」
Kの身体に上体を乗せると、男がするように愛撫し始めた。耳たぶをかじり、乳首を舐め、男の物をまさぐり、ニヤリと微笑むと股間に顔を埋めた。思わず身体を仰け反らせるK。
女の欲情はとどまるところを知らなかった。しだれ桜のように髪を振り乱し、満開桜のように燃え上がった。久しく潜んでいた深奥のマグマが爆発したかのようであった。
雨に閉ざされた二人は日がな交わり続けたのである。
閨のなかで女は語った。
「・・実は結婚したことがあるの。人並みに幸せな家庭をつくろうと思ったけど、上手くいかなかった。新婚の熱々っていつまでも続かないし、男は女と違うのよね。」
「私に子供が出来なくて、彼が遊ぶようになり、女に子供が出来たとたん戻らなくなった。・・修羅場だったわ。」
「でも、愛が無くなれば私は赤の他人、子供は血が繋がっている。・・独りで生きるしかないと思ったの。子供の出来た女と暮らせばいいと家を出たわ。」
「・・家を出たけど、親の所に帰れるわけじゃなし、女が独りで生きれる所って、住み込みの仲居くらいしかなかった。母が亡くなって父が独りだったから、故郷に近い温泉旅館に勤めたの。ここから半日ほどの北陸の温泉街よ。」
「言い寄る男はいたけど、家庭を諦めていたから、何か生きて行く術を身につけようと思って、仕事の合間に三味線や踊りを習ったわ。元々芸事が好きだったし、それに稽古してるとシャンとするの。独りで生きていける気持ちになれる。」
「3年前に父が亡くなったわ。母も兄も亡くなっていたから、この家は私しかいないの。親に心配させたから、お彼岸前後に墓参りに来るようにしてる。・・それに、ここに来るとホットするの。ボ~と縁側から湖や山を見てると心が落ち着く。」
「村は無くなったし、身内もいない。私は根無し草、タンポポみたいなもん。・・温泉街でいつまで働くか分からないけど、春分の頃は来るつもりよ。」
終バスの時刻が近づいていた。
Kは帰らねばならなかった。女はしばらくいると言った。別れ際、女はしだれ桜の枝をちぎって小指に巻いた。
「私たち、しだれ桜の下で結ばれたのよ。桜が咲いたらまた会おうね。来年も来て下さいよ。待ってますからね、絶対よ。・・花契りよ。」
しだれ桜の下で二人は何度も指切りをした。Kは絶対来ると約束した。愁い顔の女は喜んだが、指を解くとき真顔になった。
「・・もし、もし来なかったら、化けて出るわよ!」
翌年の春、Kは約束を守らなかった。・・転勤でそれどころでなかったのである。
翌々年の春、バイクを手に入れたKは約束を果たそうと春が来るのを待ちわびた。
春分の日、早やる気持ちで訪れたが、桜は蕾で一軒家は森閑としていた。桜が開花すると今度こそはと訪れたが、女はいなかった。タンポポみたいといってたから、北陸の温泉街を出たのかも知れない。
桜が散り始めた頃、これが最後だろうと諦め気分でバイクを走らせた。坂下にバイクを停めてしだれ桜を見上げたとき、突然会えるような気がして急坂を駆け上がった。
茅葺き屋の縁側が開いているではないか、ヤッタ!女が来ている。Kは声をあげながら走った。
「Kです!会いに来ました、やっと来れました!」
息せき切って呼びかけたが応答が無い。おかしいな??家の周りを探していると、大きな桜の根方に人影が見えた。
女だと思って声を掛けると??やつれた老婆が振り向いた。
「・・こ、ここの方ですか?・・お、女の人を知りませんか?」
一瞬喜んだように見えたが、老婆の眼窩は暗くて険しい。
「・・・」
老婆の着ている縦縞絣が女のそれと似ている。
「桜が咲く頃に会おうと約束したんです。ご存じありませんか?」
「・・・」
無言のまま家に入ると、お盆に梅酒グラスを持って現れた。
「この梅酒、グイッと飲みなされ、気持ちようなる。」