花は咲いたか
土方の静かな声が、隣室から聞こえる薪のはじける音に重なった。
明治2年3月
雪の降らなくなった蝦夷にも春らしい陽差しが戻ってきていた。
春が近い、それだけで近頃の五稜郭は空気が硬い。幹部が集まって行う連日の軍議はもちろん、日常的な会話までがやがて来るその日を想定したものだった。
蝦夷で一時的に平定を果たし、諸外国からは蝦夷共和国などと呼ばれてもいたが、そんな言葉に浮かれていられないほど、切迫したものだった。
軍議の合間に土方は箱館から出かけ、方々を見てまわっていた。
うめ花は引き続き五稜郭にとどまっていた。伝習隊の調練のない時は写真館を行ったり来たりもするが、だいたいは五稜郭で自分なりにできることをしている。
そして今日の軍議はいつもと様子が違っていた。
海軍の艦長以下、主だった士官やフランス海軍までもが顔を揃えていた。
大広間の壁際でうめ花は土方の小姓の鉄之助と立って、軍議の行方を見ていた。
これだけ大勢の軍議に鉄之助だけでは手が回らない、要するにお茶汲みだった。
旧幕府がアメリカに発注した軍艦で甲鉄艦(ストーンウォール号)というのがある。アメリカは新政府と旧幕府の成り行きを見ながら中立の立場を取っていたが、榎本が旧幕府海軍の艦隊ごと蝦夷へと北征を始めた時、中立を解いた。
旧幕府がアメリカに発注して造らせた甲鉄艦は横浜で新政府軍に引き渡された。
江差沖で不注意から開陽丸を失い、旧幕府の海軍には新政府軍に勝てる要素はひとつもなかった。旧型で動きが遅かったり、小回りの利かない艦ばかりなのだ。
甲鉄艦はその名の通り70ミリから120ミリの鋼板で船体をすっぽり覆っていたから、砲撃くらいではびくともしないし、敵艦に体当たりして沈没させることができる。
その甲鉄艦が新政府軍に引き渡されたのだ。そして2~3日後には新政府の艦隊が北上を始めるという情報が入ったのだ。
海軍は色めき立った。
だが、どんなに海軍が鼻息を荒くして叫んだところで、一旦引き渡された軍艦は今、新政府のものなのだ。返せ寄越せは通じない。
軍議で話し合われるのは、
海軍の現在の兵力で勝てるか否か。
陸軍の現在の兵力で勝てるか否か。
まず海軍だが、江差沖で開陽丸を失ったのが大きい。現在は回天丸が旗艦をつとめているが、回天はもとはと言えばイギリスの船で外輪船。船の舷側に大きな水車をつけている。もとは商船だったものを速力を上げるために改造し、船体に似合わぬ馬力を持っている。
今の旧幕軍に、この回天より性能の良い軍艦がない。となると後は戦い方の工夫しかなかった。
陸軍はどうか、陸軍は伝習隊をスペンサー銃で強化したため取り立てて劣るところはない。兵の数で負けているだけだ。
だが、往生際の悪いヤツというのはどこにでもいるもので、
Γあれは(甲鉄艦)元々幕府の発注した軍艦だ」とか
Γなんとか交渉して引き渡してもらえないか」とか、言ったところで埒のあかないことを言うのだ。
Γはぁ」
土方は苛々がつのってきていた。陸海軍の合同軍議だというから意気込んで来てみれば愚痴の言い合い、これじゃあ女の井戸端会議だ!と膝を両手でパンと叩いて席を立とうと腰をあげた。
すると...、
Γアボルダージュだっ!」
声をあげたのはニコールだった。うめ花も土方もおそらくこの大広間の全員がニコールに注目した。
フランスのマルセイユ出身の金髪で青い目の青年。うめ花に祝賀会で言い寄った軽い軽いフランス人だ。
誰もこの八方塞がりの状況を打破する意見など、この軽いフランス人に期待していない。なのに、誰もが一斉に注目したのは何故か。
Γアボルダージュ」という聞きなれないフランス語か?それともこのΓアボルダージュ」という言葉に何かもの凄い力があるのか。
Γそれだっ!」
回天艦長の甲賀源吾が叫ぶ。
この男が叫ぶことこそ晴天の霹靂、甲賀源吾は普段から寡黙で思慮深く、冷静な判断を下す男なのだ。
大広間はざわめき出した。
海軍の男達は少なからずこの言葉に聞き覚えがあるのだろうが、陸軍には意味不明だ。
席を立とうとした土方は、ニコールの言葉に腰をおろし、腕を組んで成り行きを見ていた。
Γ陸軍の協力を仰ぎたいが、いかがだろう?」
甲賀艦長が土方に視線を向け、答えを求めた。
Γまず説明してくれ。陸軍の俺達にはさっぱりわからん」
アボルダージュとは接舷攻撃。
敵艦に乗り込んで艦を奪い取る。標的である甲鉄艦に近づき平行に並べ、舷側から陸軍が乗り込み機関ごと制圧して、蝦夷へ持って来る。ということだ。
Γいいぞニコール、海賊みてえだな。斬り込みなら俺達の出番だ」
土方は不敵に笑うと、目を輝かせた。
こんなおもしろそうな作戦があるか。今、この国で最新最強の軍艦を敵のド真ん中に斬り込んで奪うのだ。京にいた頃の新選組を思い出し、震えが来るほどだった。
アボルダージュ作戦の細かな打ち合わせは、出撃する艦、乗り組む隊とその役割に至るまで夜を徹して行われた。
回天丸には総司令官として海軍奉行の荒井郁之助。
土方歳三は斬り込み隊の検分役と総指揮をとるため、新選組の野村利三郎を連れて乗り込む。
あと2艦、蟠龍丸と高尾丸は実際に接舷するため、斬り込み部隊の新選組、彰義隊、神木隊の100名を乗せて行く。
土方のいる回天丸は外輪船のため接舷が難しく、実行艦の援護にまわる。
Γ俺も斬り込みたいところだな」
野村利三郎にぼそりと呟く。
野村利三郎は京、鳥羽伏見の戦いの少し前に新選組に入隊し、流山で投降した近藤に付き添いやはり拘束された。近藤の処刑が決まると釈放され、今はこうして陸軍奉行並介添役として常に土方と行動をともにしていた。
Γ副長に何かあると困ります、動くのは我々ですよ。副長でなければ的確な指示が出せませんから」
五稜郭を出て、あちらこちらの地形を毎日見てまわる地道な仕事について回り、それとなく土方を気遣っていたのはこの野村利三郎だ。
野村は口に出すことはなかったが、土方が宇都宮攻めの際に負った足の怪我が原因で軽く右足を引き摺って歩くことに気づいていた。険しい山の斜面や、石ころだらけの沢を歩く時には特に辛そうに顔をしかめる。
だから登りは土方のうしろ、下りは前を歩くようにした。
流山で投降した近藤について、その様子を伝え互いに男泣きをした野村が側にいてくれることは土方にとっても心強い。
土方が他の隊士を動かし後方にいて指示を出すことの難しさや辛さも野村にはわかっていた。
戦闘の合間に、前線へ出てひとりひとりの隊士に声をかけて歩く土方を、
Γ土方副長は変わった」と思うのだ。野村自身は京での土方をすべて知っているわけではないが、京にいた頃はギラギラしていたという印象しかない。
それが、声をかけられ肩を叩かれ隊士達は労われて苦労を忘れ、子供のように土方を慕うのだ。
作戦の実行は、3月21日未明箱館港の出港を持って行う。
と、決定した。
長い軍議が終わり、うめ花は写真館へ帰る支度をしていた。一旦帰って片付けをしたいと思っていた。