韓国客船に乗り合わせて
「なんて言ってくれ、なんでもいいから欲しい物とか言ってくれ」
『パパ?』と私は小声で呟いた。
たったいま妄想していた夢の中のパパを思い出した。
「なんて言った?」
「会いたい人がいるのよ」
「男か?男でも治美の願いなら、おれ絶対探すぞ」
「いまの受けたよ!!滑らなかった」
「ええ」
「私が探しているのはそういう男じゃなくて、もっと年上の男性よ」
「ええ、誰だい?韓国人の元彼?それとも釜任大学の教授とか?」
「ああ、そんなんじゃない!そんなんじゃなくて・・」
「ええ、じゃあなんだい?」
「韓国人ってドン勘ねえ」
「韓国人じゃなくて、おれだけだろ」
「私はねえ、私の父さんを探して欲しいのよ」
「ええ、アボジ?治美の?日本にいるんじゃないのか?」
「いや、これまで言わなかったけど」
「えっ?」
「これまで言わなかったけど、私の父さんは韓国人なのよ。」
「本当か!!」
「私の父さんは、私が7歳の時に、私と母さんを捨てて韓国に帰っちゃったわ」
「そんな!」
「ひどい奴でしょ」
「ああ、ひどい奴だなあ」
「パパがいなくなってからは、対馬の小学校で韓国人の父親に捨てられた哀れな子どもって見られて、毎日いじめられたわ、陰湿にいじめられたわ」
「うん」
「それでもね、会いたいんだよね、私に似た顔をした、筋骨隆々でがっちりした身体のパパに会って、『なんで私を捨てたんだ』ってビンタして謝らせて。それで。それで」
「うんうん」
「それで、パパの方から『韓国で金儲けして治美たちを迎えに行くつもりだった、ずっと治美を探していたよ』って聞きたいのよ」
「治美?そんな大事な話しなら、もっと早くに言ってくれれば良かったのに。」
「いや君に頼りたくなかったし、第一どこに行ったかも分からないから、探しようが無いっしょ」
「でもなんで?なんで今なんだよ?」
「さっきパパのこと夢見ていたからだね、そして、もしかしたら私のことが新聞に載るかなと思って」
「ええ、どういうこと?」
「だって、修学旅行の生徒がたくさん乗っているこのボロ船が沈没するのって、重大事故でしょ、下の生徒たちも多分助からない、悔しいけど。」
「そんな?」
「だからさあ、生徒を最後まで救助しようとした日本人の教員がいたとなれば、新聞に載せてくれるでしょ、きっと」
「その記事を見て、治美のアボジが名乗り出るから、おれにその手伝いをしろって」
「そう、私が死んだら、『韓国人の生徒を助けた日本人の教員は、実は韓国人の父親に会うのが遺言だった』ってを新聞社に大々的に売り込んでね。大々的によ。」
「そんなことできないよ、できるわけがない」
「やるおのよ、やってよ、さっきなんでも願いを叶えるって言ったじゃない、絶対にやってよ」
「無理だよ、第一新聞社に知り合いはいないよ」
「そんな日本人みたいな遠慮がちなことをいわないで。韓国人らしくやりなさい、やれるわよ、私を愛しているんでしょ」
もう後がないと分かっている私は、腹の底から携帯の向こう側に居るパクに怒鳴りつけた。もしここに誰か人がいたら、私の怒鳴り声に驚いて、きっと私にひれ伏したに違いない。
私の有無を言わさぬ勢いに圧されたパクヲムは、「分かったよ、言うとおりにするよ。でも最後まで諦めないで、愛してるよ治美」と優しく言った。
海水が上がってきた。それまで海水が上がって来なかったのは、私とパクの最後の望みを叶えるためだったかのようだ。
「水が来た、ありがとう、パク、サランヘヨ、これ聞きたかったんでしょ、サランヘヨ」「治美!!」
「ツーツーツー」
「治美!!」
海水が来た。これから苦しくなる。
「辛い!」もう海水は口のところまで来た。
飲んだ海水が、咽頭から胸奥を通って肺に入って行く内から伝わってくる。
「あううーー」私は海水を飲んだ。
「辛い辛い!」
この先、大量に海水を飲んで呼吸が苦しくなって、そして意識を失うまでは途方も無く苦しいだろう。
助かろうと思うまい。
助かろうと思わなければ、脳が体外に向けている感覚を遮断するに違いない。そうすれば、もがくことも無く、苦痛もそれほど感じないだろう。
私は、海水を飲むのを受け入れていたが、その頃の足が引っ張られる感覚がした。
何かに引っかかり、足首はさらに下に引っ張られている。身体全体が下に下げられた。1メートルほど下がった、そして船内から流れ込んできた激流に圧されて、さっきチュ君が脱出していった船窓に近づいた。
身体が勝手に動いた。そして、頭を船窓に突っ込み、外に出ようとした。
頭が抜けて脇腹が船窓の枠に当たり、残ったガラス片が脇腹に当たって痛かった。
呼吸のことは忘れていた。
ちょうどそのとき、船内の通路から流れてきた重い物が私のすねの辺りに当たった。かなりの重量の物だったが、体当たりされて、私はその勢いで外に押し出された。
上を見た。上にはなにか浮かんでいる物があった。意識が遠ざかる、頭が痛くなり、目の前が暗くなり始めた。
遠くなる意識の中で、激しい流れを身体が感じた。言葉は失いつつあったが、身体の感覚はまだ残っていた。その激流は下に向かっていた。
『いよいよ、終わりだだった』と覚悟して薄くなる意識に自分を委ねた。
私は暗い方へと押し流されていった。
すでに、海水が肺に流れ込むのを止めていなかった。
私は揺れながら、ボロ船さえも上になり、私がさらに海底へと向かっていくのがぼんやりと分かった。
午前10時34分 セオルル号付近海域
その頃、さきほどチェを船窓から救い出した救助隊員は、救助艇に乗って、セオルル号から700メートル離れたところで、セオルル号の様子を見ていた。
チェが、毛布にくるまれていたが、救助隊員に話しかけていた。
「まだ、いるよ。この近くで探してくれよ、さっき僕はあの船室にいたから、女性教員が自力で脱出しているはずだから」
「分かってるよ、だからここにいるんじゃないか」
「ここじゃ、遠いよ。もっと近くに行ってくれよ」
チェの要求を聞き入れたのか、エンジンを架けられた救助艇は、ゆっくりとセオルル号に再び近づいた。
チェは指さしながら
「あの辺りだよ、僕らがいた船室は、あの辺りに行ってくれよ」
救助艇の周りには、セオルル号から湧き出た乗客の荷物、船の備品などの残留物があるのに、人が一人もいないかった。結局甲板に上がることさえ出来なかった中学生ら多くの乗客は船内にいたまま生き埋め状態で船とともに沈んだのだろう。このことを直観したチェは
「あんたたち、大人は何やっているんだよ、おめおめと生きやがって」
泥色の海をじっと見ていたチェの目に柿色の救命胴衣らしいものが目に入った。
「あっち、あすこに人らしいのがいる、近づいてくれ」
救助艇がチェの指示した方に近づいてくれ、柿色の救命胴衣の正体が次第に分かった。
その救命胴衣は人が身に付けているものだった。
救助艇の隊員は、胴衣ごと引っ張り上げてくれた。
「先生!!」
甲板に引き上げられた救命胴衣を取り外して、隊員が人工呼吸を始めた。
第6章 救命は完了?
8月5日午後1時43分 木浦市立中央病院12号室
作品名:韓国客船に乗り合わせて 作家名:ブラックウルフ