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ブラックウルフ
ブラックウルフ
novelistID. 51325
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韓国客船に乗り合わせて

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 天井まであと1メートル。あの高さまであと25分だろうか20分だろうか。それで私は終わりだ。さっきの二人のように間違いなく死ぬのだ。魂がこの身体から抜けていくんだ。
”もう終わりだ、終わり。”
 もう一度頭の中で呟いた。
”もう終わりだ、終わり。”
 救助隊は私を見捨てた。もう奇跡は起こらない。私はここで死ぬ。私は自然と言葉が浮かんできて、自分のそのセリフを自分に聞かせるように、声に出した。
 「私はここで死ぬ、ここで死ぬ。wa−wa−wa−」
 「私はここで死ぬ、ここで死ぬ。アイゴーアイゴーアイゴー」
 何度も叫んだ、だれも聞いていないから思い切り大声で、ありったけの感情をはき出すように思い切り大きな声でさけんだ、アイゴー
 アイゴーアイゴー
 
 すべてを口から出した。そして、もう声を出す力も涙を出す力も失った。気力とアドレナリンの喪失とともに恐怖が消えた。命が惜しくなくなった。命が惜しいと思うのは、人がまだ助かると思って、生存本能が生きるための手段を探させるから。だから、助かることを完全に諦めれば、命を惜しいとは思わなくなる。
 水の音がうるさい。せめて自分の心に集中できるように静かにして欲しい。ジュージュージュー
 腰まで来ている海水はさっきより冷たくなった。流れがあった。通路側から船窓に向かう海水の流れがあり、次には船窓から流れ込んでくる海水の流れもあった。
 船窓から海水が流れ込み始めて3分が過ぎただろう。この勢いからすれば、天井まで海水が満ちるのに6〜7分だろうか。そして、私はその後の5分間で呼吸困難になるだろう。5分間で海水を大量に飲み、胃に入りきれない海水が肺に入ってくるだろう。肺は抵抗するだろうが、諦めればなんでもない。自分の意思に力で海水が肺に浸入するのを許すのだ。そうすれば苦しさはそれほどでもないだろう。その5分間は苦しいだろう。けど、たかが5分だ。5分だけ苦しめば意識を失う。いや、3分で意識を失うかもしれない。
 そう、私の終末まであと20分もかからないだろう。私は最後に他人を助けた。しかも、私の嫌いな韓国人を助けた。先生である私は生徒を助けた。チェは、私のことを「先生のおかげで助かった。先生は僕の命の恩人だ」と言ってくれるだろう。私は栄誉も得られる。死んでからの栄誉を得られる。その保証も手に入れた。何を悲観することがあるだろう。
 後は、ここを心地よく揺れるプールであり、揺れるゆりかごと思って、身を委ねるだけだ。
ジュージュー、水の音
 ジュージューという水の音が聞こえて、私の足先が冷たくなり、次第に感覚がなくなっていく。海水は私の胸から首の間に来ている。身体全体が浸かると寒くなってきた、夏というのに。
 私は対馬にいた5歳の夏を思い出していた。私が一番幸せだったあの夏。これまで経験したことがないくらいに鮮明な映像が頭の中に蘇った。きっと、不安な気持ちを忘れさせるために、脳が反応して、一番幸せだったときを鮮明に思い出させているのだろう。
 パパと母さんと私の3人は、7月末、対馬の美しい美しい、佐護海水浴場に来ていた。母さんは少し熱があるということで先に帰った。夕方の4時半頃だった。私は昼寝もすませて、また実で海で遊びたくなり
「パパ、また海につかろう、波で遊ぼう」
といいながら、パパの手を引っ張り、ビーチパラソルの日陰から出て、パパに手を繋がれて、まだ熱の残っている砂の上を裸足で歩いた。浮き輪はパパが持ってくれていた。水玉で赤色と透明ビニールの浮き輪。
「分かった分かった、また波で遊ぼうね。日が暮れるまで遊ぼう」
「うん」
 パパが手を繋いでくれているのを海水浴客が見ているのが、自慢だった。
 その頃、筋肉質でたくましくしいパパが、私は大好きだった。
 パパの顔を下から見上げたら、白い歯を見せて笑って返してくれた。
 波打ち際に届いて、熱い砂から解放された足の裏が冷たく透明な水に浸されていた。足首にかかる海水の冷たさが気持ちよかった。
 私が上から、水に浸かった私の足の甲を見たら、砂の色と同じ小魚が2〜3匹気持ちよさそうに泳いでいた。
「冷たいねえ」
「そうだね」
 
 ちょうどその時だ、携帯が鳴った。黄泉の国に近づいた私の目を覚まさせるように鳴った。パクヲムだ。私は胸のポケットに、チャック付きのビニールに収納していた携帯を取りだした。そして、水に濡れないようにと気にしながら、着信ボタンを押した。
「なによ、もうだめなのよ。救助隊は私を見捨てたわ。私は死ぬのよ」
「ええ、本当か?」
「こんなこと冗談でいえるわけない!」
「・・・治美?」
「治美さあ、ずっと愛してるよ、会ったときから好きだった、今も愛してる」
「ああ、ありがとう、でもなんでこんなときに電話繋がったのかねえ?」
「それは。それは僕がどうしても治美に会いたいと強烈に思ったから」
「パク、めずらしくロマンティックなこと言うのね、ありがとう」
「治美、なにかすることないか?」
「なにかって言われても、だいたいパクは、ばかでセンスの無い韓国人のパクヲムは、私のそばにいないし。」
「いつもおれって治美が必要なときに治美のそばにいなかった。」
「ああ、反省しているんだ、ありがとう」
「うう・・・」
「ああ、パク泣いてくれてるの?」
「うう・・泣いてる・・・よ」
「そうありがとう、泣いてくれる人が私にいたんだね」
「当たり前じゃないか」
「それにな、治美。チェジュ島で父さんも治美を待っているんだ。美味しい物を食べさせたいって、待っている」
「ええ、どういうこと美味しい物って」
「父さんはおれに『惚れた女を嫁に欲しければ、美味しい物を食わせなさい』と言って、なんか日本から醤油を取り寄せて、酸味を抜いた辛めのキムチを作ったから、治美さんに食べてもらえって、言っていた」
「ええ、ホント?パクは私のこと本気だったの?」
「当たり前じゃないか!本気で結婚して欲しいって言ったんだ」
「。・・・」
「・・・」
「パク、こんなことなら、1回くらい寝ておけばよかったね、ごめんね」
「いいよ、そんなこと・・うう」
「あと10分くらいだわ、ここが水没するまで。つまり私が死ぬまでね」
「治美、死なないでくれ、戻ってきてくれ」
「韓国人は、恋人が死んでもあとを追って自殺なんかしないのよ。だからパクが後追い自殺することは無いわよ」
「・・・」
「なにか言ってくれよ、おれにできること、でないとおれ、この先何していいかわからないじゃないか、なにかおれに命じてくれよ、思い残すことがあるだろう」
「思い残すこと?もう私は涙も出ないし、思い残すことって?」
「なんでもいいから言ってくれよ、おれにできないことでもなんでも、おれは治美のために何にもしてないから。あれもこれもして上げたかったのに何にもしてないから。おれにために何かしろって言ってくれよ、なんでもいいから思いつきでも何でもいいから。」
「パクヲム・・・優しかったんだね、パク君」
「言ってくれよ、なんでもするから。例えば治美の母さんのために、お金送ってくれとか?」
「全く韓国人って現実的ね」
「・・・」
「・・・」
「・・・」