韓国客船に乗り合わせて
私の胸の緊張が高まり、アドレナリンが身体に満ちた。そして、私はてすりを持ちながら、転ばないようにしながら、ドアに向かった。膝まで来た水を足でかき分けながら、出入り口に進んだ。出入り口に到着した。そして、ドアのノブを掴みながら、ドアを開けてドアの向こう側の脇の鉄製ライフハンマーを取りだそうとしてドアノブを回した。
だが、ドアを開けると、通路の向こう側には少しだったが、水が流れ込んでいた。
「急がないと、後が無い」
私はドアノブに?まるようにしてドアを開け、それから腕を伸ばして、手探りにライフハンマーを探した。手でパタパタとはわせて探した。
「あった、これに違いない」
私は掴んだものがらライフハンマーに違いないと確信して、強く握ってこれを持ってまた手すり伝いにチェ君が待っている船窓に行った。
「持ってきたわよ、ライフハンマーよ」
チェはすでに腰のところにベルトを結わえて手すりに結びつけていた。そして、私からライフハンマーを受け取るや立ち上がってやや上に向けて、ライフハンマーを振りかぶった。
ガツーン
バリっ
一発で割れた。
喜びながら、チェ君は船窓から割れ残ったガラスを取り外した。またライフハンマーで軽く叩いて破片を取り除いた。まだ残っていたが、顔を切ることも気にせずに、チェ君はそこから顔を出した。
「おーい、おーい。おーい」
と思い切り大声を出してくれた。そして、顔を中に戻すや今度は手を振っていた。
「先生、向こうもこっちに気付いたみたいだよ、おれたち助かるよ」
私はふと安心して腰が抜けたように、その場にしゃがみ込んだ。
午前9時59分 船体傾斜角49度
割れた船窓の外に紺色の制服の男性が集まったようで
「おい、誰かいるか?・・・いるなら、この手を掴め!!」
と外から太い声が聞こえてきた。そして、筋肉質のたくましい男の腕が入ってきて、その手が開いて掴めと招いていた。
「先に行きなさい。私、先生だから後から行くから。先に行きなさい」
私は命じるようにチェの目を見た。
”今、どちらが先か迷っているときではない。男の子のメンツとかどうでもいい”
なにも口応えが出来ないほどのきっぱりした口調でそう言った。
動こうとしないチェに対して
「早く、行きなさいって言ってるでしょ、先生の命令よ。あなたが出てから、次に私が続けて行くんだから、早く出なさい」
「分かった、先に行きます」
チェ君は、そう言いながら、窓から差し込まれた紺色の制服の手を右手で掴み、続けて頭から船窓に突っ込んで行った。この後、40センチくらいの穴に器用に身体をねじって、あっという間に足首だけ残して、身体を船外に出した。ついで足首も船外に出て行った。
”やったーー助かったチェ君は助かった、私は一人助けたのよ!”
第5章 浮遊?
私はちょっと一安心して、手すりに?まったまま、壁に背中を凭れて呼吸を整えた。
次は私だ。また船窓からたくましい腕が差し込まれてくる。私がその男性の手を掴んで、その導きに従って外に出ていけばいいんだ。もうすぐだ。
・・・ドドドドーギュー
そのときだった、私の心臓を締め付ける不快な音だった。その「ドドドー」という不快な音は、海底に住む魔物がこのボロ船を魔物の世界に引っ張り込んでいる作業の音だった。
ふと、この客室の出入口を見ると通路側から侵入してくる海水が増えていた。海水がドアを押して、ドアを全開にしていた。静かに、しかし確実に水かさは増していて、さっき足元にしていた海水は私の腰の高さにまで持ち上がっていた。
私は腰まで上がってきた海水を手で触ってから、その手を天井に伸ばした。伸ばした手から天井まで1メートル。窓から手も腕も、何も出てこない、なにも。
来るべき手が来ずに、海水だけは冷酷にやって来た。船窓から外を見ると、さっきその地点に浮いていた救助艇はおらず、そこには泥色の海がだけがあった。
”救助隊はいない、救助隊は消えた”
もう一度見たが、やはりその地点に救助隊はなくて泥の海だけがあった。
「あいつら諦めたんだ。このボロ船がやばくなったんで逃げたんだ。ばかやろうーー」
私は見捨てられたんだ。直前の浸水にいよいよこのボロ船が沈むと怖くなったんだ。あいつらは、怖じ気づいて、私を見捨てて、この船から逃げていったんだ。
海水は、私の腰を優々と越えて、胃の辺りに寄ってきていた。救命胴衣を着ている私は少し身体が浮き始めた。
午前10時04分 船体傾斜角52度
ふと、私が通路の方を見たら、通路からなにか流れてきた。リュックサックが3つ、使われなかった救命胴衣が5つ、船に備え付けの毛布が2つ、プラスティックの箸立て、それに救命胴衣2つ。
”救命胴衣2つ”
その救命胴衣には紺色の衣類がくっついていた。
最初に見たとき3メートル先の通路付近に浮かんでた。そのときは、通路にいる人が客室に入ろうかそのまま通路を歩いて行こうか迷っているかのような動きだった。
迷っている2つの救命胴衣の周りに、こちら側に押し流す水流の波が見えて、スピードを上げて救命胴衣がこちらに近づいてきた。毛布、プラスティックの箸立てと一緒に流れてきた。2つの救命胴衣が私から50センチまで近づくと、それは人が身につけているものと分かった。救命胴衣は制服の生徒が身につけたままの状態だった。その救命胴衣がこちらに流れてきた。まるで私のところに来たがっているようだった。すぐそこまで来た2つの救命胴衣を私は手で掴んで、まだ息があるかもと思いつつ、髪を掴んで顔が見えるようにした。「もしかしたらまだ生きているかも」と思った。もし生きていたら、一人ではなくなると思って救命胴衣を水から引き上げると、ザッザーという水の音とともに顔が見えたが、目に光りはなく魂がないことが分かった。同時に胸元付近が見えた。胸元付近には、救命胴衣の余ったひもの結び目があった。見えた顔は、男子と女子の制服を着ている私の生徒だった。校庭の陰で二人っきりで話し込んでいるのを見たことがある私の生徒だった。二人の顔は白くて美しかった。しかし、しかし。
目に光りがなく、魂の抜け殻だった。死んだかどうかは、魂が抜けたかどうかだと改めて知らされた。胸の奥が咳き込みそうになり、わーと涙が胸の奥から溢れてきた。たったいま恋人同士になった二人が、救命胴衣を二人で力を合わせて結びつけたのだった。結び目の強さが悲しかった。なんて残酷なことを強いたのだろう、大人たちは。
見なければよかった。こんな状況で生きている生徒がいるはずがなかった。
この二人だった。はみかみながら食堂で仲良く食事をしていた、あの二人だった。食堂でキムチを互いの口に食べさせていた、あの二人だった。このボロ船の中で微笑ましくも実り始めた初々しい恋人の二人だった。
「見なければ良かった、見なければ」
所詮、私にできることはない。無理をしなければ良かった。私だってこれから死んで行くというのに、こんなにも残酷なものを見たくなかった。
私は、救命胴衣を掴む手からあっという間に力が抜けて、手を離した。その2つの救命胴衣は通路へと流れていった。
”私にふたり一緒だと言いたかったの?”
作品名:韓国客船に乗り合わせて 作家名:ブラックウルフ