韓国客船に乗り合わせて
「そんな、治美は韓国が嫌いになったって言っていたじゃないか?早く日本に帰りたいって言っていたじゃないか。とにかくお前は助かれ、でないと、でないと・・・」
「もう切るわね、下に生徒がいるのよ、見てこなくちゃあ」
「つーつーつー」
私は切った。切りたくなかったけど切った。
私は教員だ、それも対馬の海で私自身が遭難しかけたことがある教員だ、それに、私を頼っている子がいる、私の手を握っているスジンがいる、チェジュオンとのスジンの恋が実るかもしれない。それに、チェの父親は日本人が嫌いで学校まで乗り込んで来たとき、チェジュオンは私を殴ろうとした父親を止めてくれた、だから、私はここを捨てて行くわけにはいかない。
第一、私は今沈みかかった船に乗っているんだ。現実にはここから離れられない。
「つーつー」と鳴っている携帯電話を見たら、【9:32】を表示していた。
船底から、小さくギューギューギュー、ギーギーギーと唸るような音が響いてきた。それに夏なのに妙に冷たい風が吹いてきた。私もスジンも救命胴衣を付けていたが、陸側から吹いてくる冷たい風から嬲られていた。その風は私の指をジンジンとしびれさせ、鉄製のてすりの固さが嫌になってきた。
今また「ビュービュー」と突風が吹いた。陸から吹いた風は、沈みかけたこの船をさらに陸から遠ざけようとしていた。
第4章 脱出できるか?
8月3日午前9時33分。3階客室前通路。船体傾斜角38度
「先生、上はなにもしていない」と慌てた声で話すチェが近づいて来たが、チェが近寄ってくる前に、私とスジンの手を切り離すように、若い顔の船員が身体をぶつけながら通って行った。その船員はさっき「大丈夫大丈夫!」と言っていたリューだった。さっきと違って顔色が真っ青にしていたリューは、私たちを横切ってから、船の縁のデッキの手すりのところに小走りに近づき、そのまま陸側の海を見ていた。
そこにチェがすぐ横まで来て、「先生、上の奴らは何もしていない。無線で早く来てくれ早く来てくれ、と言っているだけだ。無線の相手は『乗客に救命胴衣を付けさせて、乗客を避難させなさい』とか言っているけど、船員は『いつ救助は来るのか?救助が来ないのに乗客を冷たい海に飛び込ませたら、乗客が怒る』とか言っている。なんか全然頼りにならない。」
「なんだって『乗客を避難させろって』無線で指示されているんでしょ、船内放送と違うじゃないの。何やっているよ。私、下に行って、待っている生徒に上に出るように行ってくるわ」と直感的に口に出した。
「先生、でももう一度下に行ったら、もう一度上がって来られるかどうか分からないじゃないか!!」
確かにそうかもしれない、いやきっとそうだろう。どうしよう、私は韓国人でもないし、この1年で韓国が嫌いになった。そんな嫌いになった国のために命をかけるなんて。。。
私の頭の中には迷いが渦巻いていた。生徒たちを守らなければ先生と言われる立場だから当然生徒を守らなければという思い、これに反する自分の命は自分で守るとの生存本能との狭間で、迷った。
「先生、行っちゃあーいやだよ」とスジンが一番強く手を握った。
”そんなこと言わないでよ
”もっとわがままなことを言いなさいよ
”先生だから生徒を助けて当たり前とかいいなさいよ、
私は、何も言えないで、じっとスジンの目を見た。
この可愛い目の子、今恋を掴もうとしているこの子がいじらしくて可愛くて仕方が無かった。
”もっと冷たいこと言いなさいよ
”私の心も汚くなるような、それらしいこと言いなさいよ。
私の心は迷っているのに、口ではきっぱりと言った。
「何言っているの!私は先生なのよ。下で生徒が何もせずにじっと待っているのよ、放送で『下にいなさい』と欺されたばかりに死にそうになっている生徒がいるのよ、私は下に行くわ」
黙って来ていたチェ君らに
「あんたたちは、ここで待っていなさい。私が下に行ってすぐにここに戻ってくるわよ」
「先生、おれも行くよ」とチェが言った。
「ばかなことをいちゃだめよ、スジンをここで守ってあげるのよ」
スジンは、頬を赤く染めて恥ずかしそうに下を向いていた。
「ほらスジン、下向いていると気持ちが伝わらないよ、ちゃんと上向いて相手の目を見て」
ホントに素直な子だな、すぐに顔を上げてチェの目を見た。
*****
スジンが口を開くしていた。だがちょうどそのとき、デッキの端で手すりに?まっていたリューが、こちらに歩いてきていた。リューは携帯電話を耳に当てて誰かと話していたが、心ここにあらずという状態で、前を見ていなかった。
ゴーン、ドーン、ドガーーン
ギューギュー、ギギギーーー
と船はうなりを上げながら、さらに傾き、しかも今度は急に傾いたので、スジンもチェも床に叩き付けられて、私、スジン、チェジュオンは床の上をゴロゴロと転げた。4回、5回と転げて頭やら腰やらを鉄柵に打ち受けながら、階段を転げて下に落ちた。頭をぶつけながら転げ落ちてしまい、私は脳震盪に陥り、「気を失ってはいけない」と最後に思ったが、下に落ちているということだけは分かっていたが、目の前に霧がかかって意識を失った。
*****
8月3日午前9時45分。セオルル号3階客室通路。船体傾斜角度43度
ひどい頭痛がしていた。痛む頭の方を触ると、右側頭部には金属製の何かが当たっていた。さらに触ると、それが棒状のようなものだったと分かった。
私は痛む頭をさすりながら、周りを見始めた。どこにいるのか分からずに、最初「ここはチェジュ島か」と思い次に「まだインチョンの中学校近くの私の下宿にいる」と思った。しかし、目を開けて見えたものは、白いペンキの金属の天井であり、聞こえたのは
”ゴーゴーという金属音
”何しているのよ、押さないでよう、出れないじゃない、早く先に上ってくれという焦りに焦った死に物ぐるいの怒鳴り声
だった。
状況が分かり始めたら、私はさっきまでいた甲板の1つ下の客室前の通路にいることが分かった。
「ああ、先生気が付いたね。僕と先生だけここに落ちたんだ」
「ええ何ですって?」
「だから、さっき大きく揺れたときに、スジンと僕と先生が団子になって階段を転がり落ちたんだ。そして、スジンは先に団子状態から離れていったから、今はたぶんもっと上にいる。僕と先生だけが客室の通路まで落ちたんだよ」
なんという皮肉なんだ。でも助けなければ、生徒たちを。
「先生、見れば分かるだろ、もうほかの生徒を助けるなんて無理だよ、第一ここからは下にも上にも行けないよ」
私は周りを見てみたら、もうどうにもならなくなっていると認めるしかなかった。通路はさっきよりももっと傾き、40度くらいに斜めになっていた。それに、上に上がる階段には人がたかっているだけでなく、乗客のスーツケースやら衣類が入ったような荷物やそれに、自動販売機までがメチャクチャに転がっていた。これでは階段まで2メートルくらいの位置にいる私もチェ君も階段にさえ行けそうもなかった。
「どうしよう」
作品名:韓国客船に乗り合わせて 作家名:ブラックウルフ