二進数の三次元
傷心の上、暴言されたので苛立ちにも拍車がかかる。が、どうせ言ったところでさらに傷つくだけなので、小さな復讐心で砂糖を大匙四杯入れてやった。持っていってやると、セレナはさっそく飲んだ。
「うん、おいしいわ」
小さな復讐は不発になってしまった。ハムを乗っけたトーストを齧って、セレナの満足そうな顔を見る。
「もうコーヒーじゃなくてカフェオレ飲めよ」
「作ってくれるの?」
地雷を踏んでしまったようだ。僕は適当に明日ね、といってはぐらかしてパンを頬張る。だまっていればかわいいのに。
二人の間には会話はなく、コーヒーをすする音と、焼きたてのパンのサクッという音だけ。他人と、しかも女と食事をするのは久しぶりだから気まずい。テレビの電源を入れる。相変わらずテレビはつまらない。
昨日出会った、しかも衝撃的な出会いを果たしたセレナ。初対面のはずなのに、そんな気さえしない。バイトのメンバーや、久しぶりにあった顔なじみ程度の学友でさえ、僕は緊張してしまうのに、どうしてこんなにもフランクに接することが出来るのだろう。さらには現実の女と接するような機会もなかったし、オタクの身分の宿命か距離を置かれることもしばしばあった。女と接することに慣れていないのに、セレナとは普通に話せる。出会いが衝撃的過ぎた、からだろうか。いきなり出会って「飯、服、よこせ」だからな。ビンタとか、アイアンクローとか。
なるほど、女っぽくないから距離感を感じにくいのか。正当な文句を言っても跳ね除けるようにののしる勝気な物言いにも要因がある。そういえばこんなキャラいたなぁ、最近のアニメでよくある、『ツンデレ』のツン部分の典型的要素じゃないか。そうか、特異すぎるセレナのキャラは、僕が数多く見てきたアニメのキャラに似てるから自然に対応出来ているのか。
(それはねぇか)
飛躍しすぎた。どちらにせよ興味本位。幼い頃に捨て猫を見つけて拾ってくるようなものだ。叱る親はいない。自分でどうにか出来る範囲で、不思議な二人暮らしを始めたらいい。何とかなるさと安請け合いしてみたものの、それでも普通の日常に飽き飽きしていた僕には、これ以上にない刺激だ。
「決めたわ」
長々と考えている間、テレビを見ていたセレナがいきなり立った。その勢いでジャージの襟が反れてうなじが見える。パウダースノーのような滑らかさを誇るうなじに、僕の目はいざなわれたが、すぐに目線をそらす。罪深い女よ。
「あんた、今日、服を買いに行くわ!」
声高々に宣言した。確かに、セレナの服は僕のお下がりしかない。
「あんたって言うな。僕はサタローっていう立派な名前がある」
僕に注意するくせに、あんた呼ばわりだ。言い返してやる。これには何も言い返せまいと、自信満々に言ってみせると、我が振り見ないセレナ様は上から見下してきた。
「立派なの? でもまぁ、私も、お前、って言われたくないし。サタローって呼ぶことにするわ」
「お、おう」
目を見て話してくるセレナにドギマギした。意識を吸い取られてしまいそうだ。セレナはこんな性格でも、男からすればセレナは暴力的なまでに女としての魅力がある。するな、という方が無理な話だ。
「いいけどさぁ。セレナ、金持ってるのか?」
ただかわいいだけなら画面の中だけでいい。服だって、鞄だって、買わなくてもいい。
「持ってないわよ」
「僕が出すのかよ」
「いいの? 私女なんだけど」
得意げに言いながら、セレナはジャージをなまめかしく脱いでいこうとする。服の中から篭った声で脅してきた。
「叫ぶけれど、いい?」
現実の女なんて、こんなもんか。
休み返上で、昨日知り合った女の服を買う。フリーターで、アニメゲーム以外にお金をかけることのない僕は、貯金ならそこそこあったので、我慢することにしてやった。デパートで買うことを提案したら、思いのほかセレナはすんなり認めた。曰く「買ってもらうんだから」だそうだ。案外謙虚な部分がある。
外に出て困難があった。少々の対人恐怖を持っている僕の方ではなく、セレナの方だ。今、セレナが着ているのは僕の高校時代のジャージ。ジャージだけならギリギリセーフかもしれないが、『クロセ』と名前入りのワッペンがボーダーラインを振り切った。
ブロンドヘヤーで白肌の美少女が、冴えない男の隣で、ダサいジャージを着ている。
稀有の眼を集めて歩く当のセレナは、全く気にしていない。もしかしたら気づいていないかも。
まるでファッションショーのモデルウォークのように堂々と歩く様のせいで、道行く人はセレナを見ているはずなのに、僕まで見られて比べられている気がして精神的に不安定になりそうだ。けれど、世俗を画すような振る舞いに、アーシェのような気高さを見て、心の中で感動してしまった。
目的地のデパートの有名カジュアルファッション店についてもじろじろと視線を向けられる。店員ですら二度見してくる。その中を僕ら、主にセレナが無視してお気に入りを探す。友人から聞いていたけれど、果たして女の服選びはどれくらい時間がかかるのだろう。気が重くなってきた途端。
「これでいいわ」
次々にセレナは選んでいくのだった。セレナはやはり違った。
質素なデザインで有名な安物ブランド店で、地味なジーパンにスウェットをいくつか、無地のトレーナー、男物の白と赤のストライプのパーカー。どれもこれも安物だ。その選び方たるや、選ぶ悩みをズバズバ切り倒していくかの如く、いや、その悩みさえ感じさせない。サバサバしている。
「こ、これでいいのか……?」
拍子抜けして、思わず聞き返してしまった。
「いいよ。着れれば何でもいいし」
手に束ねて、今にも持っていこうとするセレナを引き止めて更衣室に連れて行く。
「おま―――、セレナ! サイズはちゃんと合ってるのか? 一回着てみねーと分からないだろうが」
「あ、ありがと……」
てっきり覗くなと毒づかれると思ったけれど、素直にセレナは受け入れてくれた。薄いベニヤ板一枚向こう側から聞こえる音に過敏に反応するのは、まだ僕が経験がないせいじゃない、と思いたい。だから、更衣室から少し離れてケータイをいじる。しばらく経ってセレナが出てくる。しかし、どういうことかまだ買ってもない服を出てきた!
「バカヤロー! 元のジャージで出てこいっ!」
「えっ、いけないの?」
「いけないに決まってるだろ、まだ買ってねーんだからさ……」
「そっか」
「お腹すいた」
しっかり買ってから体育着から着替えたセレナは、恥も恩も知らないせいか僕に荷物を持たせた。断ろうとしたけれど、持ってあげる甲斐性を示すために我侭に付き合ってみた。その気まぐれを知ってかしらずか、今度は飯をせびってきやがった。
「マックだぞ」
おごってもらう立場を理解しているらしく、ありがとう、と笑って答えた。その笑顔で僕は許してしまうのだった。現実の女はずるい。同じデパートにあるマックで昼飯を食べることにした。メニュー表がレジにしかないマックは、僕はあんまり好きじゃない。付けあわせで買わせようとか、せかす気持ちを利用させようとする、会社側の目論見が透けて見えるようだ。しかし、値段ははらないしすぐ食べれる。