小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
明梨 蓮男
明梨 蓮男
novelistID. 51256
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

二進数の三次元

INDEX|19ページ/29ページ|

次のページ前のページ
 

 僕がこんな気持ちになれるとは、思ってもみなかった。満たされているはずなのに、ズキズキと心が痛むのだ。―――人を想うとは、意味のない一人相撲だ。想っていようとその相手には届くことはない。口で伝えても言葉など泡のように脆い。だから、人を想うことなど無意味だし生産的ではないと、得意の諦観でいなしているつもりでいた。でも、この感情はいなしていいものなのか? そんな簡単なものではないはずだ。一定の思考や、その場で判断していいものじゃない。セレナが僕を信じてくれている、それが僕に気づかせてくれた。僕も信じなくてはならない。そう信じたい。


 風呂から上がってもセレナは起きていない。そろそろ起こして風呂に入ってもらわないと、昨日の無駄遣いを切り詰められない。
「おーい、セレナ。早く風呂に入っちゃって」
 居間に寝転がっているセレナ。顔はソファのせいで見えない。今日昼まで寝ていたというのによく寝るものだ。いやしかし、昨日やっとの思いで逃げ帰ってこれたのだ。疲れが残っていても不思議ではない。仕方ないので、PCに再び向かう。適当にサイトを閲覧していると、おもしろい情報が目に入る。
「十二月十日、今日は皆既月食! 日本全土では十一年ぶり!」
 先月といい、今月といい、面白いことが起きるものだ。六月にも皆既月食があったらしいが、それは一部でしか見れないもので、日本全国で見れるのは珍しいことだと書かれている。おそらく部分月食ならもうすでに始まっているはずだ。十一年ぶりの皆既月食だ。セレナと一緒に見たい。
「セレナ、起きろよ! 今日皆既月食があるんだってさ!」
 揺さぶってみると、セレナは寝苦しそうな顔をしていた。関係なしといわんばかりに叩いてみると、流石に起きた。しかも、文句の一つもなくだ。
「なに?」
「今日皆既月食なんだってよ。すっげー珍しいから、一緒に見ようと思ってさ」
 こうしている居間にも月食は進んでいるのだ。はやる気持ちを押し出す。セレナは気だるそうに、でもうれしそうに返事する。
「へぇー、面白そうだね」
 僕らは小さいベランダで夜空を見上げる。狭いせいで自然と触れ合う。もう十二月。冬の夜風は殺意を含んで僕らの肩と肩のぬくもりさえ奪っていく。セレナはこんな中を走ってきたのか。そりゃ疲れてぶっ倒れるわけだ。上着を羽織る。セレナに羽織らせる時、不安そうにあたりを見渡していたから、フードを被せてやった。
「ほら。あれじゃない?」
 僕が指差した先に、すでに欠けている月があった。肉眼で見ればただの三日月にも見えるが、地球の影に食われている証拠だ。
「………」
 部分月食を、ただぼーっと見ているセレナ。吸い寄せられるように、一心に、一点を。そんなに感動的だったか。見せることが出来てよかった。しばらくは黙って見ていよう。
 
――――――キィ――――――――――――――――――――――――

 始めは小さなものだった。クレッシェンドして耳に障るのはモスキート音にも似た高周波。まだ大きくなる。それは耳鳴りというよりは、頭に直接細い針を刺されたかのような痛みだ。有害電波か、隣人の仕業か? しかし、隣は消灯しているし、僕なんかより一般人をしている人だ。
「セレナ、耳鳴りってこれか?」
「………」
 駄目だ、月食に心奪われている。息すらしていないように感じさせる。様子がおかしい。畏れおののく瞳はかすかに揺らし表情は強張って固まっている。
「お、おいセレナ!」

―――――――――――…………ィン。

 月が、食われた。皆既月食の時間だ。耳鳴りは反芻してやがて止まった。セレナは月の呪縛から解き放たれたのか、力なく、その場にひざをついた。

「セレナ! どうした? 大丈夫か?」
 昨日の今日で倒れる。もしかして風邪をこじらせたのかもしれない。月食観測は中止したほうがいい。セレナの脇を抱えて、立たせようとしたけれど、僕の裾を力なくつかんでくる。わずかに震え、呼吸も荒い。意識はあるようだから、大事には至らないはずだ。「いいから捕まれ」と肩に担いで開いた手でセレナの額に手を添える。
「熱はない、みたいだな」
「ち……、がうの」
 息荒くつむいだ言葉は、予想外のものだった。
「何が、何が違うんだ? 具合が悪いんじゃないのか」
 さっきまでうつろだったセレナが口を開いた。それは『違う』。不穏な空気が漂う。さっきまで煩かった耳鳴りが、嘘みたいに鳴り止んでいる。「たかちゃん」たちの仕業なのか? いや、しかし、セレナはずっと月を見ていたんだ。すぐ近くの僕の声など聞こえていないようなくらいにだ。
「説明してくれ、ゆっくりでいいから」
 呼吸を整えているセレナを急かさぬよう、穏やかに言う。肩に手を回し、軽く抱きしめるようにしてセレナの言葉を待つ。
「うん……。落ち着いて、聞いてね。とても、とても大事なこと……」
 セレナは正常な呼吸を取り戻そうと必死だ。深呼吸を幾度となく繰り返す。セレナがいきなり倒れた理由など、この間の事件くらいしか思いつかない―――。セレナのことを一番理解しているだなんて思い違いだったのか。とにかく、分からない僕はセレナの言葉を待つしかない。
 ようやく呼吸が整ったのか、ゆっくりと、月の揺らめきのような言葉を紡いだ。切なくも悲しげに、言い切った。
「思い出したわ、私のこと」
「私、月の女神様だったみたい」
「……気まぐれ。で、旅行に来たみたい」
「ふふっ、どうして忘れていたんだろうね」
「あと……、二週間くらいしか、ここに居れないみたい」
 それは『セレナ』としての記憶。皆既月食が解け始めて、セレナはわずかな月明かりに照らされた。同じように僕も照らされた。月の光が少し眩しい。この狭いベランダ、触れ合っている体。なのに、セレナを感じられなくなりそうだった。


 まさか、という感想しか浮かばない。以前調べていたことが、そのまま答えだったなど信じられようか。世界の神話は本物だったと証明された、歴史的瞬間を目の当たりで目撃したけれど、そんなこと至極どうでもいいことだった。そして、しかも、二週間もすればセレナはまるでかぐや姫のように月に帰ってしまうという。僕は翁、取り残されて、また同じ日々を繰り返す。
 それは何度も聞きなおした。証拠はないと何度も言われた。強いて言うのであれば、月に帰るその時に証明される、と。皮肉なものだ。それで納得しろと? 信じろと? 怒鳴り散らしたかったけれど、セレナの顔を見れば飲み込むしかなかった。セレナが帰るのと同じように、僕も日常に帰る、その日まであと二週間もない。
作品名:二進数の三次元 作家名:明梨 蓮男