二進数の三次元
お金も出るっていうから、やるって言った。メンバーの皆は止めたけど、別に私は写真とられることくらいどうってことないし、貧弱そうなたかちゃんくらい、どうとでも振り切れるとタカをくくってた。だから、皆の説得も聞かなかった。
フリフリのコスプレ服から、なんでか知らないけれど、軍服もやった。そういや、アーシェもやったの! 好評だった。
「すごいね。才能の塊だよ!」
そういってたかちゃんは私を褒めた。うれしかった。悪い気はしなかった。私の魅力はやっぱり通用するんだって、自信を持てたんだもん。調子に乗った私は、今後もやるように約束した。でもね、たかちゃんは褒めながら私にこういうの。
「さすがオレのセレナだな。話が早い」
違和感っていうのかな? いや、悪寒だ。私は別に『たかちゃん』のものでもない。お互いが楽しく出来ればそれでいい。私はあんたの何? 着せ替え人形? 潜むもやもやを押し殺しながら笑顔でありがとうを言った。一応、たかちゃんは撮り専の間では有名みたいだったし、癒着しておくくらいならいいかなって思ったから。
でも、それは大きな間違いだったわ。
それから私、ストーキングされるようになった。毎日我が物顔でお店に来て、彼氏面した。他のメンバーも迷惑してた。たかちゃん、良い意味でも悪い意味でも有名だった。それを知ったのは、メンバーが愚痴を零したのを盗み聞きしたとき。たかちゃんの周りの仲間たちは、全員たかちゃんを慕ってたし、ネットでもすっごい応援されてたのを見せられてたから、たかちゃんはすごい人なんだって先入観を植え付けられてたのね。
気づいたときではもう、遅かった。メンバーには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ちゃんと忠告を聞いておけば、こんなことにはならなかった。皆笑って許してくれたけれど……。そんなはずない。だから、もう泊めてもらうように言えなかった。もし泊まったら、たかちゃんがきっとそのメンバーの嫌がらせする。私は確信していた。予感じゃない。絶対する。あいつは私のことを自分のものだと思ってるから。気に入ったおもちゃを他人に横取りされないよう、永遠に自分のものだと、それが当然の権利とさえ思っているような、そんな奴。いろんなものを私に買い与えては、自己満足する。エゴの塊。いろんなものは、私のものじゃない。買い与えられたものを持っている私は、あいつのもの。あいつの中ではね。だから私、あいつの家で暮らす他なかった。そんな男が私を求めてこないわけもなく、何回も私は夜這いされそうになった。そのときばかりは、本気で怒っておいた。一応、気の利く言葉を選んでおいたから、あいつも納得してくれた。
「セレナが僕を求めてくれるまで待つよ」
名前で呼ぶな。気持ち悪い。その舐めるような視線で言われても信用ならねぇんだよ。
もう限界。逃げようと思ったそのとき、ついにバレちゃったの。財布を盗んだ奴から、たかちゃんにメッセージが来たらしくて、ネットでも写真を乗っけていた私はちょっとした人気になっちゃった。私はそこでひどいことを言われ続けていた。別によかった、報いがついにきてしまったと、そう思えたから。これは当然のことなんだ、そう思えた。けど、それに追い討ちをかけるように、あいつが言うの。
「火消ししといてやったから」
その言い方。どうだ、すごいだろ? 力の誇示。信用の強要。それは暗に私にヤラせろ、さもなくば追い出す。そういう、弾圧的で、下劣で、最低な庇護だった。今私が追い出されたら住む場所もない、お金が持つ限り、ホテルや漫画喫茶通い。たとえそれでも、ネットの力は怖い。私を見つけた奴らが襲ってくる可能性もある。戸籍も、後ろ盾もない私に守るものはなくなる。
………。私、記憶あるのここ一ヶ月くらいだけど、でも思ったの。あんなに悲しい思いをするのは、産まれて初めて。もう、あのね、あの……、あの夜の……。
うん、だからね、私怖くて。もう、こいつを殺してしまえばいいのか、と思った。でも、出来なかった。だからまた満喫生活。バイトには行かなくなった。もう顔向け出来ないわよ。私があいつの家を出て行けば、あいつはバイト先に来て難癖つける。そしてネットで悪い評判を言いふらし、ネタにする。そんなことは目に見えていた。
これからどうしようか、なんてちゃんと考えられなかった。二日、ただぼーっとして、漫画を読んだ。その二日だけだった。私に許されたのは。
だって、あいつ私を追ってきた。
いつもの満喫から出て、違う満喫へ行こうと店を出たとき、居たの。すごいのよ、そこには私に財布を盗まれた奴もいた。合計で五人くらいだった。今思うとそれ以上いたのかもしれない。心臓が勝手に大きく跳ねて、それからずっと私の耳にはバクバクしか聞こえなくなる。私は広い街先で、そいつらを見つけて一歩も動けない。
「あいつだ!」
瞬間、いっせいにこっちを向く。足はすくんで、声も出せない。逃げろ、逃げろ! 心が叫び声をきりきりと上げて痛み出す。あいつらが駆け出してからやっと、私の足は動いた。でも、ヒールがある靴だったらか、走りにくかった。とにかく逃げたい、その一心で足からそのまま放り捨てた。後ろを振り返ったらもうおしまいだ。きっと走れなくなる。ただ前だけを見て走る。目に付いた地下道に逃げ込んで撒こうと思った。でも、それはあいつらの罠で、挟み撃ちにされた。上がる息に、ひゅーひゅーとなる喉。どっと疲れが足に、上半身にのしかかる。どうにか逃げようと、前を向くけど、そこには欲望にまみれた、獣の目。捕まったらされるであろうことを考える。吐き気がした。でも、出したら、その隙にあいつらは私をひっとらえる。根性で飲み込んで、再び前を見据える。すると、通行人が遠くからやってくる! 整っていない息で、今生の思いで叫んだ。そしたら前からやってくる二人はビビッて、通行人は私に気づく。ただ事じゃないと、果敢にも近づいてきてくれる。その隙に前から迫る一人をバックでぶん殴って、脱兎の如く逃げだした。
人ってあんなに走れるものなのね。死ぬより怖い思いってあるのね。走って逃げてて思ったわ。これは私のせいで起こった事だから誰も攻められない。だからといって、こんなことになるだなんて聞いてない。死ぬほどあいつらに犯されるくらいなら、死ぬほど走って逃げ抜いてやる。その後にしてださい神様、私はちゃんと罪を清算します、って。都合のいい話。自分でも笑えちゃう。
人通りの多い道を走った。泣きながら、人の目が突き刺さる中、そんなことお構いなしで。こっちのほうが、見つかろうともまず手を出してくることはない。でも、だんだん不安をあおるように日は傾いていく。早く逃げ切らないといけない。夕闇時は結構危ないの。私、同じところを二回も走ってた。注意がそれやすくなるから道に迷っちゃう。それはあいつらも同じだったみたいで、追いついてこないのを確認するために、勇気を持って後ろを振り返った。
私はタクシーに乗った。サタローの近所の駅まで、出来る限り近づけるように。ある分のお金だけ走ってと運転手に告げる。駅前、とまではいかなかったけど、駅まで一本の道でおろしてもらった。