バディ・ボーイ
彼はBBの小さな肩をポンと叩き、右手に持っていたケースからギターを取り出して渡した。
「歌うってのか? その白んぼが」カウンターで呑んでいた客の一人が言った。
その言葉をきっかけに、店の中が嘲笑に包まれた。
「こいつぁ傑作だ!」別の客が言った。「年上の召使いを連れた白人様が、貧乏人の俺らに何の御用で? 陽気なカントリーでも歌うってのか」
「酒がマズくならぁ」また別の客が言った。「場をわきまえるって事を知らんのか」
「今は気にするな」口をつぐんで震えるBBに、ウィリーは言った。「黙るまで歌ってやれ」
BBは体に似合わないサイズのギターを抱え、スペースの空いている一角へと向かった。
「おい、ウィリー。いい加減にしねぇとタダじゃ済まさんぞ」
詰め寄ってきた店主に、彼は懐から取り出した銃を向けた。
「いいから、ちょっと黙ってろ」ハンマーを下ろし、タダじゃ済まさないのは自分の方だと示した。「ほんの子供が一曲歌うってだけだ。平和にいこうや」
店は再び静寂に包まれた。
その瞬間を見据え、ウィリーはBBに目線を送った。それに頷いて応えた彼の小さな手が、錆びた弦に触れる。
〝僕には目と耳が二つ
鼻と口が一つずつある
僕にナイフの刃を滑らせれば
そこから赤い血が出てくる
悲しい時には涙が出て
褒められると嬉しくなる
僕は両親を覚えていない
ウィリーに教わった事しか覚えていない
あなたと違うのは白い肌だけ
お気に召さなければ泥でもかぶるさ
あなたと違うのは白い肌だけ
心はあなたと共にありたい〟
短い歌だった。
当たり前の事を、BBはその幼い声でシンプルに歌った。
ウィリーは銃を下ろし、店にいる町人へ問いかけた。
「あんたらの返事が聞きたい。俺の息子を、明日からも目の敵にするのかどうか」
店主と客は、ウィリーからBBへ目線を移した。そして少し間が空いた後、静かな拍手が彼に贈られた。
3
歌の中でしか存在しなかった恋愛感情というものを、BBが初めて覚えたのは13歳の頃だった。
クリーニング店を営むシンディ・ロイズの一人娘であるマリッサは彼より一つ上で、大きな目とツルリとした額がよく目立つ少女だった。生まれた頃から父親のいない彼女はBBの境遇に共感を覚え、時折彼の元へと訪れ、歌を聞いていた。
「二人は、この後どうなったの?」
いつものように歌い終わると、マリッサはそう問いかけた。
「さあね。僕が作ったわけじゃないから」ウィリーから教わった歌で、主人公と女性の顔が互いに近付くところで終わっている。「多分、キスをしたんだろうさ」
BBの言葉に、彼女は顔を赤らめた。
互いの気持ちに気付くのには、さほど時間がかからなかった。しばらくすると、マリッサがBBの元へと訪れる目的に、彼と口づけを交わすという項目が加わった。二人の関係は周囲の誰にも、ウィリーにすら明かさなかった。
しかし、子供の浅知恵による隠し事が大人に通用するはずもない。以前よりもBBと時間を共にする頻度が多くなったマリッサを、母親のシンディが問い詰めた。
「恋をする気持ちは分かるけど」予感が的中し、シンディは手の平を自分の額に当てた。「もう少し、相手を選びなさい」
「どうして?」マリッサは反論した。「彼の何がいけないの?」
「あの子の人生は複雑なの」シンディは諭すように言った。「あなたの手に負える相手じゃないわ」
往々にしてそのような説教は、子供にとっては逆効果となるものだった。マリッサはウィリーにも二人の関係を明かし、BBを育て上げた彼の慈悲深い心を味方に付けようとした。
「お前たちが恋をしてるって事は、とっくに知ってたさ」ウィリーは微笑んで言った。「その気持ちをこちらの都合でどうこうしようなんて権利を、大人は持ち合わせちゃいない」
「でも、ママはその権利があると思ってるわ」とマリッサ。「お願い。おじさんから、何とか言ってやってほしいの」
「恋に試練は付きものだ、マリッサ」ウィリーは頼みを断った。彼らの恋愛に干渉しないという事は、同時に彼らへ訪れる困難は全て、己の力で解決すべきだという事も意味していた。
その代わり、彼は試練を乗り越える為のアドバイスを与えた。
「BBの良いところを、うんと知る事だ。そしてお前自身の言葉で、シンディにそれを伝えてやりなさい。あいつもそんな風にして、この町に受け入れられたんだ」
マリッサは数日後、BBと一日の行動を共にする事にした。今まで彼女が知っていたのは、ギターを抱えて歌う彼の姿だけだったのだ。
早朝、BBが窓をノックする音で、彼女は目が覚めた。
「こんな早くに、どうしたの?」
訊くと、毎日同じくらいの時間に起きて、自分の役目を果たすのだという。
マリッサは彼の後に付いて、畑へと向かった。
途中の川で水を汲んだバケツと鍬を抱え、片道3マイル程の道のりを歩く。
「今日は君がいるから、距離が短く感じるよ」BBは言った。
畑へ到着すると、彼はひしゃくで水を撒いていった。所々に、鳥や獣によって踏み荒らされた跡があり、それを見た彼は溜め息をつくと、折れた茎を引き抜き、鍬で土をならした。
「大変なのね」
マリッサが言うと、BBは汗を拭って応えた。
「日課だからね。もう慣れたもんさ」
畑からの同じ道のりを戻ると、BBとマリッサはウィリーの作った朝食を摂った。10時頃になると、今度は町を出るという。
「野菜を売ってくるんだ。白人相手には、白人の方が良い値で売れるんだよ」
町で役に立つ人間として暮らす為、彼はその肌の色を活かした仕事をするようになった。
「それじゃあ、私は付いて行かない方がいいのね?」
「そうだね……残念だけど、商売の為にはその方がいい」
“商品”を荷車に乗せて向かった町で、BBは野菜売りの仕事を始めた。麦やニンジンなどを手に取り、その作物がどのようにして育ったか、どれほど新鮮かという事を歌にして伝えた。ウィリーによるブルースの教育が思わぬところで役に立ち、野菜はいつもよく売れた。
「坊や、お父さんとお母さんはどうしてるんだい?」
時折、一人で商売をするBBを見て、そんな事を問いかける者がいる。
「農作業で手が離せないから、売るのは僕の仕事なんだ。歌うのが好きだしね」
嘘を付いているわけではない。実際彼がこうして働いている間、ウィリーも畑を耕し、作物を育てている。これが二人にとって、最も効率的な役割分担なのだ。
夕刻近くになり、荷車の作物がある程度無くなると、BBは店を畳んだ。そして帰り道では、持参した四つの空タンクに、水道の水を入れた。黒人はその水道を使う事が許されていなかった為、町では清潔な水を得る事が困難であり、ミネラルウォーターが密造ウィスキーよりも値が張る事もあった。汚れた川の水を飲む事で引き起こされる病気を、幾らか防ぐ事が出来るよう、こうして集めた水を持ち帰っていたのだ。無論、それを持って町へ入るところを警察などに見つかれば、処分は免れない。荷車に置いたタンクの周りを売れ残った野菜で囲み、その上から布をかけ、人目に注意を払いながら帰宅した。